西光寺境内の無縁さん [いのり・信仰]
西光寺さんの境内で見られた無縁さんです。
一対の「御霊前」と書かれた石燈籠を前に置いて、四角い範囲にまとめられていました。
「三界萬霊塔」とある新しい石碑が中央の最奥にあって、無縁さんとしては
なかなかていねいに処遇されているな、と思えるのでした。
その無縁さんをグルッと見渡して、このお地蔵さまに目がとまり、
写真に納めてお持ち帰りさせていただきました。でも・・・、
お地蔵さまの周囲をPCの画面上で観察しなおすと、そのお隣の墓石の方に
強い関心がスライドしてしまいました。
墓石の正面には「早世 秋露童子」と記されているのでした。
それから右側面には「元文四己未九月五日」とあるのが確認されました。
元文4年というと1739年。8代将軍吉宗さんの時代です。
その9月の初めに天に昇った幼子のために建てられた墓塔だと理解されるのでした。
秋露童子・・・、まだきちっと名前を与える前に早世したためでしょう。
秋の露のように逝ってしまった・・・。
切ない親の心が、270年余の歳月を超えて、しみだしてくるように感じられました。合掌。
続・増坪の西光寺さん [寺院めぐり]
甲府市増坪町の西光寺さんに関する続編。
本堂の入口に掲げられている山号額です。「無量山」
ちょっとばかり気になることがあって、そうした関係の文献を開いて見たところ、
曹洞宗、吉国山龍華院(甲府市上曽根町)の末で、文禄3(1594)年の創建、
古い時代には「無了山」と表記していたという情報に接しました。
意外に古いな・・・。
増坪の西光寺さん [寺院めぐり]
甲府市増坪町の、曹洞宗の寺院、無量山西光寺を訪ねました。
こちらがご本堂です。
鉄筋コンクリート製でしょうか、新しい建築です。
本堂の向拝の端に吊り下げられた梵鐘です。
小さめで、いわゆる半鐘とされるようなサイズでした。
その小さな鐘にもちゃんと銘文が刻されていて、これによって本堂は
昭和52年10月に完成したものだと理解されました。
久々にブルサン [鉄道・電気機関車]
時にエートマンは撮り鉄になります。
ところはJR中央線の笛吹川橋梁付近。川の対岸はすぐに山梨市駅というロケーションです。
このタイミングで、山梨市駅を出たばかりの下りのかいじ101号が橋梁に差しかかろうとしています。
ほんの少し間をおいて、上り線をEH200が橋梁に差しかかろうとしていました。
橋梁の上でのすれ違いになっていました。
わがブルーサンダーは19号機でした。
11両のタンク車を牽引してのゆったりとした進行でありました。
工事現場の向こうの日没 [さんせっとorとわいらいと]
外歩きしていて、その場では日没を迎える時刻になりました。
帰りに向かうべく、帰り道に移動をしながら日没を観察。
徐々に気温が下がっていくのが実感できるサンセットのころでした。
お気づきでしょうか、シルエットでラフターのアームが重なっています。
まぶしくてよく分からないけど、もう半分くらい沈んだようです。
アームも縮んできています。
すっかり陽は落ちてしまったようです。
アームもぐっと縮みました。
午後5時にはまだ30分近く間がありましたが、
日没と同時に気温がぐんぐん下がってきて、同調するように
ラフターのアームもたたまれていきました。
現場の足場では、耐寒の養生が進められているようでした。
ここは、南巨摩郡富士川町、中部横断自動車道増穂インターの工事現場でした。
建設が進む工事現場ですが、冬の寒さには、気遣いが必要なよう・・・、
そんなことをスケッチした、今日(2012年1月28日)の日没でありました。
月齢5 [月や宇宙・宇宙開発]
本日午後4時30分過ぎのお月さまです。
いつの間にか、三日月を過ぎ、月齢5のお月さまになっていました。
旧暦では1月6日のようですから6日の月、「夕月」・・・でした。
とある建築現場でスケッチ [新しい土地利用のかたち]
剣山・・・?
とあるビルディング(こういう言い方も最近は聞かれなくなりました)の基礎工事現場でした。
甲府市丸の内1丁目6番。山梨県庁の新しい庁舎の建設現場の今でした。
ところで鋼材を組み上げて作られた足場の上に、黄色の大きなクレーン車が配置されていて、
その全容を撮ろうとしたのですが、なかなか入らない。
撮影を行っていた丸の内歩道橋の上をずっと離れてようやく納めて見ました。
働く自動車のスケッチです。
みさか76 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
御坂線76号鉄塔です。
この鉄塔、何度も取り上げてきました。
また繰り返しになるかと思いますが、一番上に御坂線、中段に甲府線、最下段に玉諸線と
甲府市東郊をゆく3系統がここでまとまる重要な鉄塔、赤白塗装の鋼管鉄塔です。
一種の「みちしるべ」? [これ なあにっ?]
山梨市の山根地区を散策していたときのことです。
こんなのを見かけました。
もちろん、この場所、電車なんか走っていません。
右の方向が「落合」地区で、反対の左手方向が「矢坪」地区・・・
ということを示しているようです。
・・・ということは、道標でしょうかね。