さよなら2012年のかんなづき [はないちもんめ]
先日、野歩きをした時、足元に見たタンポポの花です。
今日で、今年の10月はおしまい。
いろいろありましたが、いいこともそうでないことも
みんなまとめて、時のかなたに飛び去って行きました。
これから来る月、霜月はどんな月になるでしょうか。
たくさんの神様も、この地にお戻りになって、見守ってくれることでしょうねぇ・・・。
昨夕のブルサンは・・・ [鉄道・電気機関車]
一昨日、夕刻からお祝いごとがありまして、甲府駅の北口にある
とある式場に向かう途中、上り線に竜王方面からEH-200が滑り込んで来るのを見ました。
思わずそれを携帯カメラでとっていました。
ブルーサンダーの4号機でありました。
甲府駅構内に入っていき、まもなくブレーキがかかりました。
連結器の緊張が緩んで、ガタン、ガタンと大きな音をたてながら停止していきました。
久さびさに見た、ブルサンは、4号機だったというだけ・・・のお話はお終い。
龍安寺(6) まとめ [寺院めぐり]
前回まで、5回にわたって、笛吹市八代町米倉にある曹洞宗の寺院、
金富山龍安寺をめぐるスケッチを行ってきました。
それらの位置関係をグーグルマップをベースにのせてみました。
これで今回の龍安寺の訪問記は一段落です。
昨晩のお月様は・・・ [月や宇宙・宇宙開発]
昨晩は、お祝いごとの会がありまして、遅くに帰宅したのち、お月さまを見上げました。
昨日は、旧暦の9月13日。
なので十三夜さんなのでありました。
お天気が下り坂とあらかじめ聞いていたので、十三夜さんは見られないものと
あきらめていたので、重ね重ねうれしく見たものです。
龍安寺(5) 本堂 [寺院めぐり]
前回の記事の最初の写真の元データから切り出し方を変えたものですが、
龍安寺の墓地の北側に、溜池がありました、ということを示そうとしたものです。
農業用水を得るための溜池と思われますが、
訪れた時期には、もうトンボなどの姿は少なくなっていたものの
よいビオトープとしての役割もあるんだろうな、と眺めてた中で、
その向こう側に、本堂の再建現場が見えました。
今だけの、なんとも言えない光景だと思われました。
ところで、この龍安寺は、『甲斐国志』によれば、
中世、大永年間(永正年間とも)の創建とされ、初めは真言宗で真福寺といったのが
改宗改称されて、現在の曹洞宗となったとの歴史を有しています。
また伽藍の多くは、文久2(1862)年に焼失したと伝えられています。
本堂だと明確な確証を得ているわけではないですが、状況的に見て本堂・・・、
それが250年ぶりの再建・・・ということになるのではないでしょうか。
目下、数人の大工さんたちが、さかんに大屋根の
下地づくりの作業を進められているように見受けられました。
大屋根の小屋組み、伝統的な軸組みですが、筋交いなども多く入り、
最近課題になっている耐震性などに考慮した建築となっているようでありました。
基礎部分とその立ち上がりだって、柱数や貫も多く、やはり筋交いも要所に配されていて
たいへんしっかりとしており、そうはいっても現代的です。
少し周辺を歩きながら位置を変えて見ました。
左手に見える赤い屋根の建物は、庫裏のようです。
この記事では、「ようです」という表現が多用されましたが、
工事中であり、本堂に近づくことを遠慮したため、遠目に見た状況にもとづくもので、
断定的に言い切るのがはばかられたためです。
また少し見る位置が変わりました。
西面する建物を裏手から見ている状況です。
そしてさらに引いてみると、寺の南側を東西に、一段と完成に近づいた
山梨リニア実験線が、ど~んと横切って見られるのでありました。
龍安寺(4) 墓地 [寺院めぐり]
山門を入って、川を渡り、しばらく進むと、道が左右に・・・。
左は、本堂へと続き、右は墓地へと。
その墓地の手前にたつ比較的大きめの石碑の存在に目が留まりました。
これがその石碑です。
前面の上部に題額状に「墓地改良工事記念碑」とありました。
そして、その題額の下部には、草書による和歌が記されていたのでありました。
流麗な書の読み取り能力はほとんどないので、読み誤りがあるかもしれませんが、
「漸くに 工事おえたる 山すその 奥津城廣し 池に映りぬ」
と、そんな感じでありました。
裏面を見ると、工事趣旨・経過や賛同者芳名録等が記されてありました。
それによると、墓地の整理工事は、昭和51年9月に起こされて、3年をようし完成をみたそうです。
この建碑は、竣工後の昭和54年10月14日となっていました。30余年前のことでした。
ちょっと石碑の背後に目を移してみますと、なにやら気になるものが・・・。
そう、金富山龍安寺の墓地の背後に、山梨リニア実験線の橋梁部分が見えるのでありました。
あの第一米倉橋梁です。
龍安寺(3) 庚申の祀り [寺院めぐり]
再び龍安寺の山門前です。
今回のテーマは、右手に見える寺院の名を表した石柱と山門の間の、ちょっと向こう側にありました。
山門からその場所を見ています。
何やら石塔類が立ち並んでいますが、どのようなものなのでしょうか。
向かって右(寺の一番入口)側に建てられていたのは、萬霊塔でした。
寺院の入口ですから、もっともな存在といえます。
あえて気になったのは、これではなく、この後のもの・・・。
こちらの文字塔は「庚申塔」でありました。
それから青面金剛さん。
お寺の境内入り口ではありますが、庚申の祭祀にかかわる石造物が見られる、
ちょっと不思議に思える状況でありました。
もっとも、こうしたことは、このお寺の場合に限ったことではないようですが。
こうした祭祀が活きていたころ、その時代の人々の考えや信仰のあり方などは、
今となっては、なかなか理解が及びませんが、じっと向かい合っていくと
何かしらわかってくるのかな、と思っています。
気長にじっと・・・、これからも見つめていきましょう。
龍安寺(2) 龍安寺川 [寺院めぐり]
前回の最後の写真、もう少し引いて見ますと、
山門から境内に続く参道は、山門を入ってすぐのところで川を渡るのが見られます。
上流側を見たものですが、これはその名も龍安寺川であります。
境内を横切る川にお寺の名がある・・・。
何とも雄大な話だと思いました。
このさらに上流は、前々回の記事「進む山梨リニア実験線工事(20)」で見た現場があるのでした。
龍安寺(1) 薬医門 [寺院めぐり]
龍安寺の入口、山門を見ました。この門の構造形式は、薬医門と思われます。
医薬門は、手前に2本(鏡柱)、奥側にも2本の柱(控え柱)を立て、それぞれ桁でつなぎ、
桁の上に束柱を立てて棟木を渡して、切妻の屋根を乗せるもので、
本来は扉もつけ、格式の高い門とされていたものを、扉を取りはらい、
出入りを容易にした医家の門として採用されたことからその名があるとも言われています。
ここは、笛吹市八代町米倉。
リニア実験線の工事現場を見回っていた中で、たまたま訪れたもの・・・。
でも、龍安寺って、とってもいいお名前ですね。
門をくぐる正面に山号額が掲げられていました。
「金富山」・・・山号も実に縁起がよさそうな・・・。
山号額とは反対の側の部分に、門の建築経緯を記録したプレートがつけられていました。
「昭和四十四年十一月三日」(龍安寺第32世の代)に完成したと記されていました。
山門を内側から見ました。
控え柱をつなぐ桁の上に小さな屋根がついていましたので、高麗門かな
とも思わせるところがある門でありました。