さくら、さくら 2013 [巨木・記念木・気になる木]
この時期、どこもかしこもサクラの花のめでたく咲き広がり、
それにつけて人出も多くなっているようでございますが、
昨日、そんな桜の名所をいくつか回ってきました。
ここは北杜市武川町山高にある、とびきり有名な名物ザクラ。
だらかとびきり大勢の人が出ていました。
この写真の中央、ずっと先にズームインすると次の写真に・・・。
もう大変な賑わいです。
周辺に、にわか駐車場がいくつも出来て(たいてい1回500円です)、
出店もいくつも並び、お祭り騒ぎとでもいいたいくらい・・・。
で、どんな名物ザクラなのかというと、多くの人が目を向けている
この写真の左手にそれはありましたので、次はそちらにご案内・・・。
人呼んで「つっかい棒ザクラ」・・・いやいやそうではない、
国の天然記念物「山高の神代ザクラ」でございます。
神代というのは、神代の昔からあるのではないかというくらいに古い!
と信じられてきたことで、その名をいただいたようですが、
エドヒガンの古木なのだそうです。
これからもずっと美しく咲き続けてほしい、そんな地元の方々の熱い想いがこめられて、
古木の養生が功を奏し今年も美しい花をつけたようですが、
古くなった枝々が折れやすいので、支えがいくつも施されています。
その神代ザクラの咲きぶりをもう少し望遠ズームでアップに。
根元を踏み固めると、サクラの樹勢によくないため、近づけないようになっているので、
望遠レンズは欠かせません。
さらに望遠を効かせ、アップにしました。
遠くから眺めても、またこうして近く見ても、美しく、かつ気高いサクラではありました。
目にしたチラシによると4月1日から25日まで、神代桜祭りが設定されていたようですが、
この神代ザクラ、今年は、いつもよりずっと早く咲き始め、今が満開というところです。
ねんど人間エートマンの昨夜 [エートマン的kokoro]
ご存知、甲府駅南口の駅前にある信玄さんの銅像です。
撮影時刻データを見てみたら、昨晩の22時30分過ぎでした。
よいよいのご機嫌で撮った信玄さんでしたが、
信玄さんご当人も、サクラの花に包まれて満足げでした。
今日、3月30日が土曜日で、その次の31日が日曜日なので、
昨晩は、平日として平成24年度最後の日でありました。
ちゃんと区切りを付けなきゃね、ということで、遅くまでセレモニーを行っていた
というわけでございます。
旧2月15日に・・・ [はないちもんめ]
花鳥風月、という言葉があります。
自然の巡りが美しく感じられるさまを表した言葉だと思います。
写真は、数日前のものですが、サクラの花とそこにやってきたシジュウカラ。
優しく春風も吹いていました。あと、お月さまですね・・・。
お月さまといえば、今日は旧暦の2月15日ですから、月夜であれば望。
まん丸お月さまが春の夜空に浮かんでいるはずですが、あいにく曇り空でございます。
まあ、すべて望んではならないのかも・・・。
旧暦2月15日は、むかしむかしは「涅槃会」が行われていました。
彼の西行さんは、一生を終わるとしたら、この日がいいと詠っていましたね。
「その如月の望月のころ」と・・・。
如月の望月の頃を、以前は新暦で考え、2月の寒い時期に「花の本」も何もあったものか、
と理解不足で思っていたのですが、旧暦でものを考えてみると、いまは時期は
西行さんがいっているとおりの花の盛りになってきているのですね。
なお、涅槃会とか西行さんの歌のこととかについては、
このブログを始めて4月ほど経ったころに、「めもらんだむ」という記事をのこしていますが、
その中で触れていますが、あわせてどうぞ。
桃の花が咲き始めています [季節の話題]
甲府盆地の底近くから桃の花が咲き始めています。
順に標高のより高い場所に駆け上がっていきます。
沈み行く夕日の中で見た桃の花です。
甲府盆地の底近くでは、桃の花のほかに、白いスモモの花、サクラ色のサクラの花など
色とりどりの花の時期を迎えています。
墨書きに込められたものは・・・ [いのり・信仰]
今日で春の彼岸も開けとなります。
このお彼岸の間に墓参したところの話題でありますが、
花と水と線香を手向けた後、例によってキョロキョロとしつつ、
残った水をかけてみた石祠であります。
お水の力で墨書の文字がくっきりとしました。
でも数行の文字列のはじめの文字が読み取れるくらいで、期待以上の成果とはなりません。
正面から見るとこのような石造物です。
この古びた石の祠・・・のようなものも、笠の下の本体の周囲が
墨書きでグルッと埋め尽くされていたと思うと、見方が少し変わります。
書かれた文字、その意図などにより祠とはいえなくなることも考えられますが、
いまは何とも・・・。
少し離れた墓地区画で見られた供養碑です。
並んで表出されたお地蔵さま(?)、それぞれに表情が違ってるのも興味がそそられましたが、
2像の上に表された円も、墨が添えてあるのがよく残っていて、またさらによく見れば・・・、
右手のお像の脇に墨書きで一行、細かな文字列が認められるのも、
お像の衣を止める肩帯に墨がのせてあるのも、造立されたばかりのときどのようなものだったか
想像をかき立てさせるものとなりました。
多くの石像物は、野ざらしで幾星霜を経るうち、本来の姿が変化し、
今の私たちが・・・古い趣を感じる・・・という形になっているのですが、
元々の形やそこに込められた当時の想い、祈り、願いなどは、
古風さと反比例する形でわからなくなってきています。
(悪文ですみません。多分に読みにくいお話で、お許しください)
レンギョウの花に寄せて [エートマンのウェブメモ]
やさしい春の色、レンギョウの花です。
さて、このブログのご利用いただいている状況についてですが、
この2013年は、本日までに81日経過というところですが、
1月1日以来の延べのページビューが、10万を超えました。
アクセス数は2万1千あまりと伸び悩んではいますが・・・。
こうしたことを話題にするのも、今年の元日に 「目指せ 50万ページビュー、10万アクセス」という壮大な目標をたててしまい、
それが実現できるかどうか、毎日気になるのでありまして、現状からの読みは
まずまずかな・・・ということであります。
どうぞ、引き続きごひいきに・・・。
こうしん450・・・塗装工事後半戦 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
昭和町清水新居地内に建つ甲信幹線450号鉄塔です。
もうこれまでに何度か取り上げていますが、いま塗装工事が行われています。
送電線の中心の方向から、449号の方向から見ています。
向かって右側に塗装工事の現場はありました。すなわち2号回線側です。
また少し見る角度を変えて見ました。
前々回の434号鉄塔の場合と同じで、2号回線側で塗装が行われていることは、
434号を見たとき、もしやと思われたので、そのまま確認に回ったら、案の定・・・
というわけでありました。
ともかく、高所での作業、危険も伴いますが、気をつけて最後まで、御安全に。
こうしん429 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
ドラゴンパークの東側に建つ甲信幹線429号鉄塔です。
あそこに、あれがとまっています。いったい何だと思いますか。
では、そこにズームイン。
鳥ですね、タカとかハヤブサのような猛禽の仲間、で少し小さめ・・・。
さらに拡大してみます(これが限界)。チョウゲンボウでした。
送電線鉄塔と野鳥の関係も少し気になりますね。
こうしん434・・・塗装工事後半戦 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
甲斐市竜王のドラゴンパーク、そこから東側を展望すると
東京電力の主要送電線である甲信幹線の鉄塔群が見られます。
その中の1つに、塗装工事が実施されているものが認められました。
向かって左側の半分が、塗装工事用の飛散防止シートで囲われているのがその証拠です。
問題の塗装工事中の鉄塔の1つ手前が「433」という対空標識を付けていましたので、
塗装が行われているのは、434号鉄塔ということになります。
向かって左側、細かくいうと2号回線の側ですが、送電が止まっているはずです。
434号だけでなく、前後一連の送電線を支える鉄塔群は
すべて2号回線を止めることになりますので、塗装も簡単にはできないと思われます。
この時期は春分の日もあって、電力需要が落ち着いている時期だったのか、
片側を止め、1号回線だけで送電をしているのだと理解されました。
発送電の分離ということが検討されていますが、メンテナンス等の課題で、
たいへんな困難さがあるのではないかと想像されます。
嘉永2年のばとうさん [いのり・信仰]
先日、某所で目にした馬頭観音の石像です。
尊像の右側に「嘉永二年・・・」の文字を読み取ることが出来ました。
嘉永2年は、1849年。江戸時代の終わり近く、いわゆる幕末です。
静かに両の手を合わせられた観音像、ちょうど道が交わるところの傍らにお立ちでありました。
もっとも台座がかなり新しく調整されたようでしたので、もともとの位置からは
動いているかもしれないのですが、ともかくも長い年月、馬の働く姿、人の行き来の無事を
見つめてきてくれたものと思われます。
観音像の頭頂部に表されたお馬さんの頭です。
オン アミリトドハンバ ウン ハッタ、 オン アミリトドハンバ ウン ハッタ、
オン アミリトドハンバ ウン ハッタ・・・。