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旧4月15日のお月さま [月や宇宙・宇宙開発]

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 今日は、旧暦の4月15日。23時45分過ぎに撮影のお月さまです。
その夜のお月さまであるからして、十五夜。
夜になると少しばかりさわやかな空気となって、いいお月見が出来ました。

くろとな・4 [神社まいり]

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 シダレザクラに花を添えられた神社の鳥居の神号額。
そこには「黒戸奈権現神社」とありました。

 ここは、甲府市北部の山間部、標高約1,000mの黒平町。
しずかな日だまりの地でありました。

くろとな・3 [神社まいり]

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 5月の3日だったというのに、シダレザクラがとてもきれいに咲き誇っていたのです。

(次回に続く)

くろとな・2 [神社まいり]

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 とても美しい神社のご本殿の、側面を飾る彫刻なのでありました。

次回に続く

くろとな [神社まいり]

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 とある神社、この5月3日に訪ねた・・・、のご本殿に見られた彫刻の一部です。
軽快な鑿裁きに驚きと心地よさを感じました。

次回に続く

さらば天井板@恵那山TN [エートマンの道路等交通情報]

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 直近の記事を書き終えたとき、当ブログの編集用ページにこんな画面が現れました。
編集用ページに貼り付けられているCM枠であります。
ついに恵那山トンネルの天井板が撤去される時が来たのです。
それは最初に出来た、現在の下り線にある天井板を、危険排除の観点から、取り外す模様で、
上り線を対面通行にして行われるようです。

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 最初の画像に貼り付けられていたリンクをたどると、NEXCO中日本の告知ページに導かれます。
そこには、工事の詳細な情報が見られます。

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 そういえば、昨年12月15日、おそるおそる通った記憶がよみがえりました。
携帯電話のカメラ機能なので、ちょっとばかり厳しいものはありますが、その時の写真です。
 おそるおそる・・・そう、2012年12月2日、天井板の突然の崩落事故が起こったばかり
だったのです。

進む山梨リニア実験線工事(29;望遠編その2) [やまなしリニア]

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 韮崎市の甘利山から、山梨リニア実験線工事の状況を見ました。
望遠レンズで見たのですが、これではちょっとね。写っているの,この中に???

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 いつも便利しているI-viewのお任せ画像処理を試みました。
少し見えてきたけど、青みが強すぎ・・・。

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 面倒だったので、お任せ処理を選んだのに、結局マニュアル処理をして時間がかかりましたが、
ちょっとはましになったでしょうか。左手上方から右の下方に向けて一直線の路線が確認できます。

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 もう少し広く見てみましょう。
ああっ、広すぎ・・・。
甘利山から見た甲府盆地の中央部全体が写っているのですが、中間はないのかなぁ。

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 中間的には、こんな感じですね。
甲府盆地のこの景観の中で、次世代交通のリニアはじっくりと育っているのです。

南アルプス夕照 [季節の話題]

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 国道358号が笛吹川を渡る下曽根橋。
珍しく夕映えの南アルプスを見ました。

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 午後6時43分。もうすでに日没の時刻は過ぎ、日は静かに暮れゆきます。

 今日は、日中、とても暑くなりました。でも、朝夕はそうでもない。
春から夏へ、季節が移りゆくときでもあります。
そういえば、蚊も出現してきました。

河口村の忠魂碑(2) [忠魂碑の類]

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 前回の記事の忠魂碑の背面の情報についてふれるのをうっかりしてしまいました。
碑の背面には、お二方の従軍戦没者のお名前が刻まれているのでありました。

 それからそれから、今回の話題となります、もう1つの忠魂碑が、
明治40年建立・川村景明書の忠魂碑の向こうの方に見えるのでありました。

河口村の忠魂碑(1) [忠魂碑の類]

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 富士河口湖町の河口地区で見た忠魂碑です。
ちょっとばかり細身な碑ですが、傾いて見えるのは、
太陽の光線のあたり方を考えて、文字がうまく読み取れるように、というためです。
 しかしながら、「忠魂碑」の文字のある正面は、影となったままで、
左側面となる部分にある2行の文字だけがクッキリと浮き上がるのでした。
 すなわち「明治三十七八年戦役為紀念」「明治四十年八月三十日建之」ということです。
「明治三十七八年戦役」って何だろう。

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 正面から見ると、こんな感じなのです。
細身だけど、立派な忠魂碑です。

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 台座の文字は、右から読みますが「河口村」とありました。

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 もう一度、はじめの写真と同じような見方で、「忠魂碑」の書がある部分、見ました。
どなたの書なのか、気になるところですね。

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 「陸軍大将男爵川村景明書」との文字が添えられていました。
 そこで、川村さんについてウィキペディアのお世話になると、
日露戦争の最中、乃木司令官率いる第3軍の中から精鋭、第11師団を引き抜き
これに30歳以上の「老兵」からなる後備役第1師団を混成した鴨緑江軍が編成された際、
その司令官となり、よくこれをまとめて功をなしたことで知られる人物です。

 ということは、最初の疑問の「明治三十七八年戦役」と同時代の人が表していたものは、
後の私たちがいう「日露戦争」のことだったのです。(ちょっとお利口になってしまった・・・)