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埴山姫命 [いのり・信仰]

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 とある道祖神場で見た石碑です。
向かって左手は「蚕影山」で、養蚕の神様です。
問題は向かって右側の文字。う~ん、難しい。

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 とある道祖神場とは、笛吹市の竹居地区コミュニティセンターのある敷地の一角でありました。

 ところで、はじめの写真で見た難解な文字ですが、何とか何とか姫の命(みこと)と
女性の神様のお名前のようだということは、現地でも理解が出来たのです。
しかし一文字目と二文字目が・・・ね。
じっくり眺めていると、一文字目は「埴」(はに)という字だろうと・・・。
で、適当な字を推し当ててネット検索すると、「埴山姫命」(はにやまひめのみこと)では、
という答えに出会いました。
 それから芋づる式に、作物を生み出す女神らしいということがわかってきました。
「蚕影山」(こかげさん)と「埴山姫命」が併記されて、そこに蚕がうまくいい繭をたくさん、
それからいろんな畑の作物が豊に実るよう・・・お願い!!!
という地域の皆さんの気持ちがいっぱい込められて建てられたものだ
と考えられるようになりました。

 前回の記事で、うまく実らなかったモモの実を畑の隅に捨てた農家の方も、
気持ちは同じ、次はうまくできますように、と神に祈る心持ちなんだろうな。

捨てられたモモの意味するものは・・・ [田や畑でスケッチ]

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 笛吹市の景勝地・花鳥山、その周辺一帯は、モモやブドウの一大生産地です。
花鳥山を少し下ったモモ畑で、いくつも捨てられたものを目にしました。
どうしたんでしょうか・・・。

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 基本的な姿のモモ畑の今の時期、赤く熟したモモが出荷の時をまっています。

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 しかし、今年に限っては、色づきがよくないものが多くて生産農家は困っている・・・
そんなローカルニュースが、少し前に流れました。
急激に暑かったり、雨が少なかったり、いろいろな要因が考えられているようですが、
一口で言えば、これまでに余り例のない天候の不順、こんなに深刻だとはたいへんなことです。

一本杉の下の慰霊碑 [忠魂碑の類]

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 花鳥山一本杉の下、前回の忠魂碑よりさらに杉の木に寄った場所に、
四角柱型の石碑が見られました。
その正面には、「戦没者慰霊之塔」の文字が刻されていますが、
大書された文字の左脇に「厚生大臣 山縣勝見書」と書き手の署名もありました。

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 正面はそういことですが、こちらでは背面と右側面を見ています。
背面には、「満州事変支那事変大東亜戦争戦没者慰霊の為之を建てる」
「昭和二十八年春彼岸」「花鳥村」と3行にわたる刻銘がありました。
それから左右の側面ですが、合計で110名ほどの戦没者のお名前が列記されているのでありました。

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児玉さんの忠魂碑 [忠魂碑の類]

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 花鳥山の一本杉の下に、忠魂碑が建っています。
この忠魂碑は、中心の文字「忠魂碑」の上に、「日露」「戦役」と2行書きされているのが
ほかにちょっと例を見ないものです。

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 碑に刻まれた文字の書き手はどなたでしょう。

「陸軍大将従二位 勲一等/功三級 子爵兒玉源太郎書」と左脇に添えられていました。

 児玉源太郎さんは、1852(嘉永5年)に周防国福山に生まれ、長じて明治の世を迎えると
箱館戦争を皮切りに軍の道に進み、軍人で政治家という生涯を送り、
1906(明治39)年に没しています。
 碑面には「功三級」とありますが後に「功一級」、没後に「正二位」に叙せられています。

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 花鳥山の忠魂碑の背面です。
上部に篆顎(判読できず)をいただいた下に、日露戦争で命を落としたと見られる
6名の方のお名前が並んでいるのです。
その末尾に建立時期と建碑を営んだ組織名がありますが、それは次のようです。

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 この碑の建立は、明治39(1906)年2月で竹野原村在郷軍人會によるものです。
年代的には、明治38年の広厳院境内の乃木さんのそれに次ぐ古さです。

 その「竹野原村」は、いまの笛吹市御坂町と八代町にまたがる地域で、
それまでの「竹居村」「大野村」「奈良原村」が合併して、明治22年に誕生、
昭和6年に花鳥村と改称されるまで存在したものです。

田の面は緑、トンボは赤く [田や畑でスケッチ]

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 当地は、田植えが少し遅めです。いまようやくこんな感じになってきました。
田の面を渡る風が、若い稲の株をなでるように吹きわったていました。

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 緑の田の面を、すいすいと移動する赤い点が気になりました。

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 体の赤いトンボです。
今日は二十四節気の一つ「大暑」、でも静かに秋が忍び寄っている・・・か。

 とはいえ、酷暑の砌、暑中お見舞い申し上げます。

旧暦6月15日、まんまるお月だね [月や宇宙・宇宙開発]

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 本日(2013.7.22)の午後7時52分のお月さまです。
今日は旧暦の6月15日ということで、十五夜であります。
月齢でいうと14.15で、これからして天文学的な満月は明日ではありますが。

 まだ東の空で、あまり高くはない段階。やや黄色っぽく見えました。

花鳥山の一本杉 [巨木・記念木・気になる木]

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 笛吹市指定文化財(天然記念物)の花鳥山一本杉です。
花鳥山自体が標高490mほどの高台にとなっていて、そこに大きくそびえるスギですから、
遠くから見たときのランドマークになっています。

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 見る方向を変えて見ました。
一本杉といっても、何だか2本に見えてしまいます。
 それからそれから、雷に打たれたと見られる筋状の焼け焦げも痛々しく見られます。
何年も年月を経る中で、いろいろな出来事があり、様々な世の中の変化を見続けてきた・・・
そんな一本杉、これからは山梨リニア実験線の場所の目印になるのかな・・・。

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 根元に立てられている説明板です。
先ほど2本に見えるといいましたが、それもそのはず、もともとは接近して2本あったものが
成長とともにくっついてしまった・・・というような説明です。
それって、おめでたいことですね。

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ジニアとリニア [はないちもんめ]

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 ヒャクニチソウが、畑の畔に咲いていました。夏です。

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 焦点をジニアから外すと、リニアが見えました。

進む山梨リニア実験線工事(31) [やまなしリニア]

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 花鳥山の一本杉の下近くに展望地がありまして、そこから見た甲府盆地南西部と
わが山梨リニア実験線の最新の状況(2013年7月20日現在)であります。

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 ちょっと撮影場所を変え、あらためて実験線の明かり区間の状況を見たものです。
18mm広角の画像をギュッと縮めているので、大変わかりにくいかもしれませんが
大まかなものを捕まえていただけたらと思います。

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「海の記念日」に・・・ [エートマンの日記]

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 「水」という漢字に似ている形をした貝。
いまは住人がいないので、正しくは貝殻ですが、以下は「貝」で通します。
それはともかく、名前をスイジガイといいます。
この貝、あったかな南の方の海に生息するものなのだそうです。
数年前、どこだったか忘れてしまったけど、海にいったとき
土産物屋の店先でこの貝殻見つけて、思わず買ってきたものです。

 ずっとほこりをかぶっていましたが、このほど故あって取り出し、
たまったほこりを洗い流して撮影しました。

 そういえば今日は「海の記念日」
えっ、それは15日でもう終わっちまったじゃんけ、ですって?!
はいはい、15日は、国民の休日に関する法律で定められた「海の日」で
7月の第3月曜日となっているものです。
もっともそうなったのは、2003年からでそれ以前は7月の20日に固定されていました。

 あらためて「海の記念日」とはどういう日か、についてですが
明治天皇が東北地方を巡幸された明治9年のこの日、「明治丸」という灯台視察船
(どのようなものか知らないけど、そういう役目の船があったようです)
に乗られて横浜に帰着されたことにちなんで1941年に誕生した記念日だそうです。

 山国の甲斐から、貝を手がかりにして、海のことを考えてみました。