児玉さんの忠魂碑 [忠魂碑の類]
花鳥山の一本杉の下に、忠魂碑が建っています。
この忠魂碑は、中心の文字「忠魂碑」の上に、「日露」「戦役」と2行書きされているのが
ほかにちょっと例を見ないものです。
碑に刻まれた文字の書き手はどなたでしょう。
「陸軍大将従二位 勲一等/功三級 子爵兒玉源太郎書」と左脇に添えられていました。
児玉源太郎さんは、1852(嘉永5年)に周防国福山に生まれ、長じて明治の世を迎えると
箱館戦争を皮切りに軍の道に進み、軍人で政治家という生涯を送り、
1906(明治39)年に没しています。
碑面には「功三級」とありますが後に「功一級」、没後に「正二位」に叙せられています。
花鳥山の忠魂碑の背面です。
上部に篆顎(判読できず)をいただいた下に、日露戦争で命を落としたと見られる
6名の方のお名前が並んでいるのです。
その末尾に建立時期と建碑を営んだ組織名がありますが、それは次のようです。
この碑の建立は、明治39(1906)年2月で竹野原村在郷軍人會によるものです。
年代的には、明治38年の広厳院境内の乃木さんのそれに次ぐ古さです。
その「竹野原村」は、いまの笛吹市御坂町と八代町にまたがる地域で、
それまでの「竹居村」「大野村」「奈良原村」が合併して、明治22年に誕生、
昭和6年に花鳥村と改称されるまで存在したものです。
田の面は緑、トンボは赤く [田や畑でスケッチ]
当地は、田植えが少し遅めです。いまようやくこんな感じになってきました。
田の面を渡る風が、若い稲の株をなでるように吹きわったていました。
緑の田の面を、すいすいと移動する赤い点が気になりました。
体の赤いトンボです。
今日は二十四節気の一つ「大暑」、でも静かに秋が忍び寄っている・・・か。
とはいえ、酷暑の砌、暑中お見舞い申し上げます。