SSブログ

先の副将軍・・・ならぬ [地域の小さな歴史]

131005sekihi02.jpg

 前回登場のピカピカの石碑。今回はその中身について見てみます。
碑の中央には、「完成記念碑」と大書されています。
いったい何が完成したというのかな、と その情報、いや上方を見ると
「小曲土地改良事業」とありました。

 つまり小曲地区の田んぼの区画整理(たぶん)が完成したということ
を端的に示した石碑、それがこの碑の性格のようです。
 それがわかると、次はどなたが文字をお書きになったか、ですが。

 左脇に添えられたご署名は、先の副将軍ならぬ、ずっと前の「自由民
主党副総裁」であらせられた金丸信さんでございました。
ここで、すでに歴史ですね。

《追記》画像リンク調整および記事内容の一部修文を行いました。2018年1月15日

ひのおもて・・・ [田や畑でスケッチ]

131005sekihi01.jpg

 甲府市の南郊、小曲町は水田が広く広がる田園地帯。
その中にぽつんと鎮座する小曲大明神。その傍らに、ぴかぴかの石碑がありました。

   碑の面 連山影が 映ってる

 うん、パクリだな・・・、ですって?!。
いえいえ、パロディーですよ。大御所の著名な作をもとに文化が広がる・・・。
(完全に屁理屈です。この辺で止めにしておいた方がよろしいようで)

急に冷え込んで・・・黒くなりました [季節の話題]

131017centralkofu02.jpg

 甲府でスクランブル交差点というと、まずここが浮かぶ・・・。
そんな場所でして、左手の建物は、この9月に完成した県庁防災新館、
右手は1960年に竣工した県民会館です。

131017centralkofu04.jpg

 その交差点ですが、歩行者用の信号が青になり、行き交う人のようすを見て
少々驚きを感じました。まっくろじゃん。
 あぁっ、「まっくろ・・・」
それは、ココリのビルにより日が陰ってきているから・・・、ということではありません。
服装です。もう冬の出で立ち。急に冷え込んだからです。

 台風が過ぎて、陽気が急変してきました。
高いお山に雪が見られたのですから、無理もありません。
こんな時体調管理には、十分に留意しないといけませんね。


《補記:2024.4.18》画像リンクの再設定と一部の修文を行いました。

17th Oct. in the central Kofu [エートマン的kokoro]

131017centralkofu05.jpg

 甲府の中心の10月17日の朝、気持ちのよい青空が広がっていました。
平和です。

131017centralkofu03.jpg

 ハトが気持ちよさそうに飛び交っていました。
平和だと感じました。

131017centralkofu01.jpg

 平和な都市であることを目標とする甲府市の、10月17日の市役所の姿です。
平和な10月17日を迎えていました。
そう、この日、市制施行124周年のメモリアルデーを迎えていたのです。

 でもね、ほんとの甲府の町のすごさは、2019年に、都市誕生500年を迎えることなんです。
(その割には盛り上がってないけど・・・。
 奈良や京都などを別格として、そう確かな歴史を持つ町はないと思うのですがね。
 市内外の皆で盛大にお祝いをするためには、周到な準備プラス段階的な盛り上げが大事かな)


《補記:2024.4.18》画像リンクの再設定を行いました。

北岳・間ノ岳の初冠雪 [甲斐の山々]

131017minamialps02.jpg

 昨(10/16)夕に雨から雪に変わって、積雪があった・・・と、北岳山荘からの発信がみられました。
昨晩は、よいお月夜だったので、ウォーキングをしている折に、間ノ岳を中心に
白く月明かりに輝くのが見られました。
だから、今朝、何とかようすが撮影できないかと、適当な撮影を試みました。
 車で出勤の途上、下曽根橋の上でスピードが落ちたので、
見当をつけてコンデジのシャッターを切ったものでありました。

131017minamialps03.jpg

 カメラの撮影モードまでチェックしておかなかったので、ピントのずれたものとなりましたが、
朝日に照らされた白い間ノ岳が撮れたのです。
北岳の方は、少し雪が少ない状態。山の姿の差にその違いが出たようです。

131017minamialps01.jpg

 車に表示された外気温は、14℃。
台風26号の通過で、一気に秋が深まり、高いお山は冬の装いとなった、そんな朝でした。

 ちなみに、このブログご利用の中に、「北岳」「冠雪」というキーワード検索から
お越しになった方が折られたようですが、その方には、2009年10月28日の「北岳の冠雪」
という記事がお目にとまったのではないでしょうか。

12番目の月に見る時の移ろい [月や宇宙・宇宙開発]

131016moon1748.jpg 17:48
131016moon1952.jpg 19:52
131016moon2318.jpg 23:18

 旧暦9月12日のお月さまを時間をおきながら撮影しました。
明日は旧13日、ということで、十三夜のお月見となりますが、お天気どうかな?
台風が過ぎ去ったとはいえ、今晩の月は雲間に出たタイミングで撮っています。
これに対し、明日はもう少しよく晴れるよう・・・。いいお月見ができそうです。

台風26号過ぎゆく [季節の話題]

131016typhoontracks.jpg

 昨日の後半から、台風の影響を受けて雨になりました。
そして今朝、7~8時ごろ、当地にはもっとも近づき、そして足早に去って行きました。
台風26号(1326 Wipha)です。
 前回の直撃的な台風18号は、甲府盆地南部の当地では、かなりの風と雨が見られましたが、
今回のはその時と比べれば比較的穏やかに通過という感じでした。
 もっとも、通過経路との位置関係の中で、たいへんな被害が出たところもあり、
当地のご都合ばかりではいけません。
ともかく台風一過の言葉があるように、過ぎ去るとすぐに記憶から遠ざかってしまいがちなので、
気象庁の情報を適当に加工してメモを残しておきたいと思います。

「朝井村」のこと [難読地名・珍しい地名]

071021arakawasaganteibou01.jpg

 前々回の「かっしのとう」の記事の中で、今はない「朝井村」というのがでてきました。
朝井村って何だろう・・・またいつか、という調子で終わっていましたが、
その後、気になってこのブログの過去記事を対象とした検索を行ったところ、
やはりありました。
 それは、2007年10月21日の記事で「秋晴れの夕暮れに・・・」というものでした。
その時に使用した写真をまた引っ張り出してきました。こんな写真の中に、
朝井村の引き出しをつけていたのでした。
関心を抱かれた方は、どうぞそちらの記事で、「朝井村ってなんだろう・・・」
の答えをご確認ください。

[補記:関係するリンク情報を再設定しました 2023.10.3]

脱穀しました [エートマンズ・ファーム]

131014dakkoku01.jpg

 今日は朝から脱穀作業。
稲刈りして天日干ししてきた今年のイネも、天気が続いたので
カラカラに乾いて絶好の脱穀タイミングとなりました。
牛足(当地ではそういうのですが)を片付けたり、稲わらを束ねて積み上げたり、
暗くなるまでがんばりました。
新米の味が楽しみです。


[補記:画像データの再設定を行いました 2023.10.3]

かっしのとう [いのり・信仰]

131012kasshitou01.jpg

 甲府市小曲町で、自然石に「甲子塔」という文字をきりつけた石碑を見ました。
甲子は、十干十二支の60通りの組み合わせの最初で、「ひのえね」であり、
音で表すときは「かっし」となります。
 このあたりのことまでは知っていたのですが、甲子塔というのは、
あまり意識の中になかったので、ちょっと新鮮、どんな性格のものなのだろう、
いろいろと調べて見ました。
 参考になったのは、『甲府の石造物』(甲府市役所 1993年刊)という文献、
その224ページにくわしくでていました。
 それによると、甲子講の人々が建てた記念碑であることが理解ができました。
芋づる式に疑問が・・・、「甲子講」とは何でしょう。
 甲子の日の夜、講に研修する人々が仏寺に寄り合い、大黒天を祀って甲子祭を行う
ことなんだそうで、陰陽道で祭祀を行うに吉日とされる甲子、
それに仏教と神道が習合した習俗と言うことです。
 甲子の日の夜の習俗は、甲子待ちとも呼ばれ、子の刻(いまの23時頃)まで起きていて
商売繁盛などを願って大黒天をお祀りするもので、大豆や黒豆、二股の大根などを
縁起物として供えていた・・・そのように解説がありました。
 さらに「ウィキペディア」の甲子の項によりますと、甲子の「子」はネズミであり、
ネズミは大黒天のお使いとみなされていたそうで、そうしたことから深夜の
子の刻を皆で待つ行事、となったようであります。
そうしたことが盛んに行われた時分に、それを記念してこのような石碑が建てられた、
と考えられるのであります。
 ちなみに今日(2013年10月13日)は壬子であり、この後、直近の甲子は10月25日になります。
 ところで、この甲子塔、いつ建てられたんでしょう。
裏にまわって細かくチェックする必要がありましたが、このとき現地では
正面から見ただけで観察不十分。
でも先にあげた文献にきちんと情報がでていました。
明治19(1886)年の10月31日に「朝井村」の人々が建てたということでした。
 あれ、朝井村って何だろう。 とても長くなったので、今回はここまで、朝井村はまたいつか。

≪追記151113≫
「朝井村」については、このブログの中で関連記事が2つあります。
まずは「『朝井村』のこと」(2013.10.15)をご覧ください。
それから「秋晴れの夕暮れに・・・」(2007.10.21)をご覧ください。


[補記:画像データおよび関係するリンク情報を再設定しました 2023.10.3]