かっしのとう [いのり・信仰]
甲府市小曲町で、自然石に「甲子塔」という文字をきりつけた石碑を見ました。
甲子は、十干十二支の60通りの組み合わせの最初で、「ひのえね」であり、
音で表すときは「かっし」となります。
このあたりのことまでは知っていたのですが、甲子塔というのは、
あまり意識の中になかったので、ちょっと新鮮、どんな性格のものなのだろう、
いろいろと調べて見ました。
参考になったのは、『甲府の石造物』(甲府市役所 1993年刊)という文献、
その224ページにくわしくでていました。
それによると、甲子講の人々が建てた記念碑であることが理解ができました。
芋づる式に疑問が・・・、「甲子講」とは何でしょう。
甲子の日の夜、講に研修する人々が仏寺に寄り合い、大黒天を祀って甲子祭を行う
ことなんだそうで、陰陽道で祭祀を行うに吉日とされる甲子、
それに仏教と神道が習合した習俗と言うことです。
甲子の日の夜の習俗は、甲子待ちとも呼ばれ、子の刻(いまの23時頃)まで起きていて
商売繁盛などを願って大黒天をお祀りするもので、大豆や黒豆、二股の大根などを
縁起物として供えていた・・・そのように解説がありました。
さらに「ウィキペディア」の甲子の項によりますと、甲子の「子」はネズミであり、
ネズミは大黒天のお使いとみなされていたそうで、そうしたことから深夜の
子の刻を皆で待つ行事、となったようであります。
そうしたことが盛んに行われた時分に、それを記念してこのような石碑が建てられた、
と考えられるのであります。
ちなみに今日(2013年10月13日)は壬子であり、この後、直近の甲子は10月25日になります。
ところで、この甲子塔、いつ建てられたんでしょう。
裏にまわって細かくチェックする必要がありましたが、このとき現地では
正面から見ただけで観察不十分。
でも先にあげた文献にきちんと情報がでていました。
明治19(1886)年の10月31日に「朝井村」の人々が建てたということでした。
あれ、朝井村って何だろう。 とても長くなったので、今回はここまで、朝井村はまたいつか。
≪追記151113≫
「朝井村」については、このブログの中で関連記事が2つあります。
まずは「『朝井村』のこと」(2013.10.15)をご覧ください。
それから「秋晴れの夕暮れに・・・」(2007.10.21)をご覧ください。
[補記:画像データおよび関係するリンク情報を再設定しました 2023.10.3]