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「感動」が失われてしまいました・・・甘利山方位盤 [エートマンの日記]

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 ここは韮崎市内の名所の1つ、甘利山です。標高1740m余りの山頂から北東方向、
すなわち韮崎市役所の方向を見ているところです。

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 上の写真の中心部分を望遠しました。
山頂からその北東方向へ少し下がったところは、「鍋頭」と呼ばれるところで、
数基のベンチと、それから あの感動ものの方位盤がおかれているのです。

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 ところが、いままたその方位盤を見てみると、その現状はこんなふうになっていました。
前回(2010年10月)にとくに感動した部分を中心に、情報が剥がれて
方位盤の意味が大きく失われていました。
 壊されたのかな、それとも耐用年数を超えたのかな。
どちらにしても、多くの登山者やハイカーが目にするものですから、
何とかならないかなぁ・・・と。

スパティオの泉 [エートマンのお出かけメモ]

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 「小淵沢温泉湧出地点」という石碑が据えてありました。
スパの源です。

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 碑の裏側です。
曰く、掘削深度 1,500m。湧出温度 58.8℃。泉質 ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。
これに、平成7年12月15日という日付と小淵沢町(北杜市に合併する前の旧町)
という内容でした。

 今回はスパの入口までで、ナトリウム温泉につかることはありませんでした。
今度ね。

さきみつさんの娘(前編の本編) [エートマンのお出かけメモ]

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 前光さんの娘について、話を前々回のスパティオ小淵沢でのことに戻します。
道の駅であったり、スパとくるので温泉で宿泊も可だったり、体験工房もありと
様々なメニューを提供している同施設の敷地内に、ひっそりと歌碑が据えられていました。

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 歌碑の背面に周り、碑にまつわる情報の収集を試みました。
建碑の主体となった方は、甲府市内の土屋長子さんであり、数名の協力者のお名前と
昭和56年という建造年が確認されたのでした。
 ここで、土屋長子さんって、どんな方? 行き詰まりました。
それはともかく、歌碑と言うから、だれのどんな和歌が詠まれているのでしょうか。

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 それは、こうでした。
歌の終わりに詠み人の署名がありました。白蓮と・・・。

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 さらに碑の傍らに設置されている説明板の内容を手がかりに、
歌碑についての理解を進めることにしましょう。

 そうです。この歌碑に記された和歌の作者は、柳原白蓮さん。いまちょっと話題の・・・。
そして柳原前光さんの次女、燁子さんその人なのでありました。
ようやく前光さんと燁子さん、すなわち歌人の白蓮さんとつながったのです。

 詰めて言えば、小淵沢で白蓮さんの歌碑を見てきましたぁ・・・、というお話であります。
詠われている内容は、時期的にちょうど今くらいの季節のことでしょうか。
ヒグラシの声は聞かれなかったけれど・・・。
ともあれ、これが前編でありますので、その続き、後編があるらしいですよ・・・。
どんなことでしょうかね、お楽しみに。

さきみつさんの娘(前編の本題の前に、とくにその父のこと) [エートマン・モードの人物館]

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 さきみつさんのこと考えてたら、どうしても甲府城が出てきてしまうのでした。
写真は、くろちゃんのアジトから見た甲府城跡(らしい)。
『くろちゃんの甲府城つづりII』というブログの今日の記事から借用です。
(断っておきますが、オリジナルはもっといい写真でして、当方では画像サイズを
極力小さくしておりますので、粗々というわけです)

 さきみつさんとは、フルネームを柳原前光さんといいまして、嘉永3年、
京都生まれのお公家様でありまして、明治27年に、御年45歳でご他界あそばされました。
奇しくも明日、すなわち9月2日が命日でございます。

 さきみつさん、いやこの後は前光さんとしましょう。
弱冠18歳で迎えた慶応4年、戊辰戦争が起こりまして、前光さんは東海道鎮撫副総督という、
官軍の大将の一人とおなりになったのであります。
 その年の3月、副総督・前光さんは、甲斐に入国。この甲府城で御維新の幕開けを
迎えようとしていたのです。
 具体的には、それまでの城代に取って代わって、甲府鎮撫使として、わが山梨
(まだ山梨ではなく甲斐だけど)を治めていたのであります。その11月、
甲府鎮撫府は甲斐府となり、翌明治2年に甲府県、さらに2年後の明治4年の11月20日に
山梨県となった経過があります。

 前光さんは、山梨県の誕生の前に、その歴史に大きく関わってこられたのですが、
あまり知られていません。(学校でもちっとも耳にしなかった)
 前光さんは、新政府では外務省などに活躍の場を得、西南戦争の終結に現地に赴くなど
また皇室典範の制定に関わったりと、たくさんのお仕事をなさいました。

 それから前光さんの妹・愛子(「なるこ」とお読みします)さまは、明治天皇の典侍となられ
大正天皇の生母となられた方です。
 前光さんの家は、伊予宇和島藩伊達家の血を引く正妻との間に設けられた長男・
義光さんに嗣がれていきますが、後に義光さんはたいへんな目にあうのであります。
 その原因は、前光さんの次女・燁子がもたらした一大事件によります。
(続きは、「前光さんの娘(前編の本編)」に・・・)

さきみつさんの娘(前編) [エートマンのお出かけメモ]

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 ここは北杜市小淵沢町にあるスパティオ小淵沢
それにしても、「さきみつさん」って誰だ? どんな関係がある?? で、なぜ娘???

防災訓練ありました [エートマンの日記]

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 今日は、「防災の日」 1923(大正12)年のこの日、関東大震災が起こり
たいへんな被害が出たと伝えられています。
1960年から防災意識を高めることを期して、この「防災の日が定められた由。
 昨日の日曜日、エートマンが住む甲府市でも、各地で防災訓練が行われました。
そして当地でも、消火器訓練等いくつかのメニューで訓練が行われたのでありました。

 備えあれば、きっと希望がつながる・・・。