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甲信幹線441号鉄塔 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 東京電力の基幹的送電線の1つ、甲信幹線の441号鉄塔鉄塔です。この鉄塔は、
当ブログでは何度も登場していますが、また撮って載せちゃいました。それだけ
なじみ深い存在と言えるのかもしれません。

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今日の北岳 [甲斐の山々]

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 甲府市下向山町にある米倉山、そこの山頂から見た南アルプスの主峰であり、わが国
第2峰の北岳です。このところ、雪雲に閉ざされている時間が多かったように思われま
すが、よく晴れてきれいに見えました。少し薄いつるし雲のようなのはありましたが。
 なお、その場所でその時に見たもので、ちょっといいものもありました。別のブログ
にのせてあります。よろしければ、見てやってください。こちらから・・・。
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芦川橋梁の塗装変更 [鉄道-とくに身延線点描]

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 前回のJR身延線・川浦踏切のスケッチに前後して、2010年1月10日に芦川橋梁を望遠
していました。あれっ、トラス部の塗装の色が違ってる・・・。

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 こちらは、少し前に取り上げた芦川橋梁の記事に使用した2007年5月14日撮影の写真
の再掲です。こちらは薄い藤色のような感じで塗装がされています。

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 その辺が少しあやふやだったので、昨日(2018年1月11日)、確認に出向いています。
2007年の撮影は、芦川橋梁を下流側から見ていますが、昨日の撮影は、アクセスの関係
もあって上流側から確認したものです。
 その結果、どうやら2007年の観察時から 2010年1月までに間に、塗装色の変更がなさ
れ、今に至っているようです。
 こうしたことは、たゆまぬメンテナンスが存在することの査証の1つと言え、わが身
延線は、ずっと生き続けているな、と感じたものでありました。
 
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川浦踏切 [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR身延線の芦川―甲斐上野間にある川浦踏切での2010年1月10日のスケッチです。こ
こは、特に人道が線路を横切る踏切なのです。人道踏切とは言え、車道の踏切と変わら
ない施設設備が配されています。(その後現時点までの間に、少し、一部分の施設の配
置が換わっているようですが、今回は特にこだわりません)

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 1点目の写真の一部を切り出してみました。そこには、「71K388M」の数字を読み取
ることが出来ます。すなわち、この川浦踏切が、身延線の起点から 71.388kmの位置に
あることを意味しています。

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 人専用の踏切であって、車が来ないことをいい幸いに、踏切の中ほどから上り方向を
見てみました。この踏切からすぐそこは、芦川駅となっています。
 それにしても、このところは、直線の線路になっていますね。

180111kawaura_fumikiri02b_100110.jpg

 またまたすぐ上の写真から、向かって右手の芦川駅のホームの部分を中心に切り出し
を行う形で眺めてみました。
 この画面の右端の部分に、前々回に取り上げた、ハエたたきのような形をした電信柱
を認めることが出来ます。
 さらに、線路のずっと先を見ると、右にカーブを始めていることも読み取れます。ど
こまでもまっすぐなんて、なかなかないですよね。


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甲斐上野駅で見た「マルタイ」 [鉄道-とくに身延線点描]

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 2007年11月24日に、JR身延線の甲斐上野駅の構内で見た保線関係の特殊車両である
マルチプルタイタンパー(MTT)です。
 身延線でJR東海のマルタイを見たのは初めてのことで、これについては、見学して
から数日後の2007年12月1日に、このブログで記事にしていますし、その追加情報を
2007年12月14日に残しております
。マルタイの詳細は、そちらでご確認くださりたく
存じます。
 もちろん、マルタイを見かけた機会はその後もあり、また追って取り上げたいと思って
います。

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古い時代をしのばせる電信柱 [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR身延線の芦川駅の傍らに、それはひっそり建っていました。歴史の生き証人です。
今年、富士-甲府間全通90周年を迎える、歴史ある身延線ですが、かつてそいつは重要
な役割を果たしていたのです。

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 「そいつ」とか「生き証人」とかいっているのは、これ。木製の電信柱です。ちょっ
と似ているけど電柱ではありません。通常の三相交流を伝える電線を支持する電柱には
3つの碍子が付けばいいだけなんですが、4段の腕木にいくつもの碍子が付いていて、
いくつもの電信回線が取り付いていたことを物語っています。
 ちなみに、この電信柱の形状が、あるものに似ているのですが、思い当たるもの、あ
りますか。この形、いまではあまり見かけなくなってはいますが、ハエたたきに似てい
るとされてきました。なので、こうした電信柱には「ハエたたき」のニックネームがあっ
たとも伝えられています。

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 芦川駅のホームを歩きながら、反対側から見ることにしました。電信柱の上の方に焦
点を当ててクローズアップしたものです。碍子の付き方がよく分かります。木製の電信
柱に雨水が染み込んで腐ることがないように、上部にキャップが被せられているのも確
認できます。
 碍子の上端部に留められて、支持されていた電信線はもう、とうに撤去されて、本来
の役割は終わっています。以前には、この前後に仲間がずっと、線路とほぼ並行するよ
うに一定間隔で並び、鉄道の運行に関する情報を伝えていたのです。それが今は、まっ
たくの一人ぼっち。でも、よく残っていてくれたものです。

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 鉄道と関係するものって、なぜ、そう言えるんだっ、といぶかる方もおられるかもし
れません。でも、よく観察すると、木柱のやや上の方に、こうしたナンバープレートが
打たれていて、全体の19番目の電信柱だということを表すとともに、鉄道関連を意味す
るマークが押されているのが、何よりの証拠です。

 身延線の長い歴史を伝えるもの、いろいろありますね。まだまだ出てくると思います
よ。次の話題をお楽しみに・・・。

《追記180501》この記事には、ほとんど同じ内容の過去記事「鉄道通信線のなごり」
 2010年3月17日)と関連の過去記事「電信柱、また見つけたよ~」(2010年7月23日)
 があります。ご参照ください。
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ロウバイの花 [季節の話題]

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 昨日の午後から雨が降りまして、時に強く降っていて、まとまった雨となりました。
乾燥していた空気もちょっとしっとり。
 そして今日の午前、庭に出てみると、薄日が当たったロウバイの花に、たくさんの
滴が付いているのが目にとまりました。いまにも落ちそうな滴には、向こうの景色が
魚眼レンズのように、しかも逆さまに映っているのが面白く感じられました。
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本照寺の境内で見た石碑 [地域の歴史-とくに開府500年]

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 2011年の10月10日に、市川三郷町落居にある日蓮宗の古刹、広布山本照寺を
訪ねています。この時のことは、5回にわたり、このブログで記事を残していま
す。
 今回の話題は、その4回目にも取り上げていることですが、あらためて注目し
ておきたいと思いました。
 それは、この写真の本堂の前面に据えられている左右一対の石灯籠の右手の方
の、さらに右脇にある比較的小さなものでした。

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 この写真の石碑がそれです。以前の記事にものせていますが、今回、もとの
データから切り直してご覧いただくことにしました。
 見たとおり、武田勝頼さんとその夫人、子どもの戒名が刻まれています。な
ぜ、そうしたものがここにあるのか、未だに解明できていません。この周辺に
武田信玄さんの戒名を刻んだ、江戸時代後期の石塔がいくつか分布している
とは、少し前に触れていますが、それと関係があるのかもしれない、と今では
そんなことも思っています。

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芦川橋梁(再構成版) [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR身延線の芦川-市川本町間に架かる芦川橋梁の2007年5月14日の観察記録です。
この日に現地を訪ねて2日後に、このブログの初版に記事を載せていますが、今回、
身延線90周年を念頭において、再構成を試みました。
 このトラス形式の鋼製橋で渡河する芦川は、御坂山地に源を発し、富士川支流の
笛吹川に合流する河川で、普段は水量もそう多くないのですが、壮年期の山間部に
長い流域を持つため、甲府盆地一帯でも有数の暴れ川として知られているものです。

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 ちょっと近づいてみました。平行弦でプラット形式の単純トラス下路橋です。

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 さらに近づいて見ました。ここでは単線で渡しています。

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 そしてズームイン。鋼材をリベット打ちでつないで構造する、かなり歴史的な手法
をとっていることが分かります。
 あらためてこの橋の歴史を確認しますが、それには次のサイトが役に立ちます。

  土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会 『歴史的鋼橋集覧』

 このサイトの「歴史的鋼橋表示」という表示のインデックスから入って、山梨県の
登録された20橋のうち、17番目のIDナンバーがT5-083が、今回の芦川橋梁になりま
す。
 そこの情報によると、この芦川橋梁の架造・開通は、1928年3月で、これは身延線
全通と同じタイミングであり、身延線全通を支えた構造物の1つだと言い換えること
も出来るものと考えられます。

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 この観察時は、風薫る5月。観察に夢中になったあと、長さ46mの芦川橋梁を渡り
きって、新緑の中を特急ふじかわが上っていくのが見られました。

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思い出の身延線車両・4 クモハ115 [鉄道-とくに身延線点描]

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 2006年6月18日に見た身延線の車両です。正直に申しますと、この時、身延線の車両を
見ようとしていたのではなく、その向こう側の甲府駅の待機線にいたEF-64を線路外から
見て回っていたのです。それで、EF-64と身延線の車両が並んでいるのが、かっこいいなぁ
という感じに撮っていたのです。だから、この時、身延線車両が写っているのは、この1
カットのみで、あまり細かなことがわからないままです(先頭なのか最後尾だったのか、
あるいは2両編成か、3両編成か、など)。

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 ともかく、クモハ115-2011の車両番号だけが、この写真から確認できることでした。
 115系は、国鉄時代に開発された急勾配路線のための近郊形直流電車で、1963年から19
83年にかけて製造され、1987年の国鉄民営化もJR東海などに引き継がれた車両なのだそ
うです。それで特に、身延線に投入された車両は2000番台で、1981年から製造され、そ
れ以前の旧型車両と置き換えられたと言うことのようです。
 この車両の投入の始めは、車両の塗装も「身延色」といわれるブドウ色の地に富士山の
雪をイメージした白線が入るものだったそうですが、民営化後には、今回見るようないわ
ゆる「湘南色」に変更されたということです。なお、身延線全通70周年にあたった1998
年には、約1年の間、限定的に「身延色」が復活したこともあったようですが、そんな歴
史を持つこの115系、2006年から現行の313系に置き換えられ、姿を消していったので、
この写真は、身延線の115系運行の最終段階のことと言えるようです。

《追記》この記事の作成に当たっては、「ウィキペディア」の情報を参考としています。
 

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