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慧光山定林寺(その2) [寺院めぐり]

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 定林寺のご本堂の屋根正面の千鳥破風の頂部の、銅版製の獅子口鬼瓦注目してみました。
ややや、この紋所が目にはいらぬわけはない・・・、すごい数の三つ葉葵紋ですね。
しかも、中心のはピカピカ・・・。
さぞかし、徳川家とゆかりのあるお寺さんなんでしょうね。

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 そういえば山門の脇にあった由緒の説明版に、徳川の文字が見られました。

慧光山定林寺(その1) [寺院めぐり]

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 クリスマスも過ぎると、何となく社寺仏閣に足が向きます。
この暮れに訪ねた笛吹市八代町の定林寺さんです。

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 山門は、笛吹市指定文化財となっているそうです。

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 山門をくぐってすぐに左手に向かうと、五重塔が建っています。

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 五重塔から180度向きを変えると、日蓮上人の銅像がたてられていました。
そう、定林寺は日蓮宗の古刹なのでありました。

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 山門からまっすぐ進むとご本堂の前にでます。
この定林寺の境内は、見るべきものが多く、次回さらに続けて見ていきたいと思います。

福寿院本堂前でびっくり・・・ [寺院めぐり]

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 またまた承前。前回の記事の2つ目の写真からお話し始めましょう。
この写真を準備中に、湧き上がった驚きです。
現場では、まったく気付かなかったことで、慰霊碑のことをまとめるために、
写真のトリミングをしていた時、慰霊碑の右手に何か写っているじゃないですか。
どう見ても・・・狛犬。う~ん。

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 慰霊碑を撮影目的としていた別のカットから、その部分を切り出してみました。
もちろん狛犬を中心に据えて・・・。
どう見ても狛犬ですが、またどうしてなんでしょうか。神社ならわかるのですが・・・。

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 撮影時には気付かなかったので、ちゃんと一対の狛犬が写っている写真がありませんでした。
向かって右手の狛犬さん、向拝柱の陰に、お尻のほうが少しだけ見えています。
きっと阿吽の呼吸で、福寿院さんのご本堂をお守りしているのだろうと思われますが、
でもお寺なんですよねぇ。不思議・・・。

天神山福寿院 [寺院めぐり]

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 甲府市蓬沢1丁目にある曹洞宗の寺院、天神山福寿院です。
ここを訪ねたのは、10月の終わりのこと。例の甲府線18号鉄塔を見ての帰りでした。
空がまだ秋の色をしています。

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 境内入口に建てられていた石碑、前の画像では、影ってしまっていましたが、補正してみました。
三界萬霊塔でした。
その向こうに、山門のあった痕跡の礎石の並びがありました。
さらに向こうには、六地蔵石幢が見られます。
歴史があるお寺であったようですが、後世、火災にでもあったのでしょうか。

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 福寿院の境内に進みいると、ご本堂の前に。

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 福寿院のご本堂は、近年、再建されたようでした。
伝統的な木造軸組みの本堂建築で、向拝の奥には、新しい「福寿院」の額が掛かっていました。
 

龍安寺(6) まとめ [寺院めぐり]

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 前回まで、5回にわたって、笛吹市八代町米倉にある曹洞宗の寺院、
金富山龍安寺をめぐるスケッチを行ってきました。
それらの位置関係をグーグルマップをベースにのせてみました。
これで今回の龍安寺の訪問記は一段落です。

龍安寺(5) 本堂 [寺院めぐり]

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 前回の記事の最初の写真の元データから切り出し方を変えたものですが、
龍安寺の墓地の北側に、溜池がありました、ということを示そうとしたものです。

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 農業用水を得るための溜池と思われますが、
訪れた時期には、もうトンボなどの姿は少なくなっていたものの
よいビオトープとしての役割もあるんだろうな、と眺めてた中で、
その向こう側に、本堂の再建現場が見えました。

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 今だけの、なんとも言えない光景だと思われました。

 ところで、この龍安寺は、『甲斐国志』によれば、
中世、大永年間(永正年間とも)の創建とされ、初めは真言宗で真福寺といったのが
改宗改称されて、現在の曹洞宗となったとの歴史を有しています。
また伽藍の多くは、文久2(1862)年に焼失したと伝えられています。
本堂だと明確な確証を得ているわけではないですが、状況的に見て本堂・・・、
それが250年ぶりの再建・・・ということになるのではないでしょうか。

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 目下、数人の大工さんたちが、さかんに大屋根の
下地づくりの作業を進められているように見受けられました。

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 大屋根の小屋組み、伝統的な軸組みですが、筋交いなども多く入り、
最近課題になっている耐震性などに考慮した建築となっているようでありました。

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 基礎部分とその立ち上がりだって、柱数や貫も多く、やはり筋交いも要所に配されていて
たいへんしっかりとしており、そうはいっても現代的です。

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 少し周辺を歩きながら位置を変えて見ました。
左手に見える赤い屋根の建物は、庫裏のようです。

 この記事では、「ようです」という表現が多用されましたが、
工事中であり、本堂に近づくことを遠慮したため、遠目に見た状況にもとづくもので、
断定的に言い切るのがはばかられたためです。

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 また少し見る位置が変わりました。
西面する建物を裏手から見ている状況です。

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 そしてさらに引いてみると、寺の南側を東西に、一段と完成に近づいた
山梨リニア実験線が、ど~んと横切って見られるのでありました。

龍安寺(4) 墓地 [寺院めぐり]

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 山門を入って、川を渡り、しばらく進むと、道が左右に・・・。
左は、本堂へと続き、右は墓地へと。
その墓地の手前にたつ比較的大きめの石碑の存在に目が留まりました。

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 これがその石碑です。
前面の上部に題額状に「墓地改良工事記念碑」とありました。
そして、その題額の下部には、草書による和歌が記されていたのでありました。
流麗な書の読み取り能力はほとんどないので、読み誤りがあるかもしれませんが、
「漸くに 工事おえたる 山すその 奥津城廣し 池に映りぬ」
と、そんな感じでありました。

 裏面を見ると、工事趣旨・経過や賛同者芳名録等が記されてありました。
それによると、墓地の整理工事は、昭和51年9月に起こされて、3年をようし完成をみたそうです。
この建碑は、竣工後の昭和54年10月14日となっていました。30余年前のことでした。

 ちょっと石碑の背後に目を移してみますと、なにやら気になるものが・・・。

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 そう、金富山龍安寺の墓地の背後に、山梨リニア実験線の橋梁部分が見えるのでありました。

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 あの第一米倉橋梁です。

龍安寺(3) 庚申の祀り [寺院めぐり]

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 再び龍安寺の山門前です。
今回のテーマは、右手に見える寺院の名を表した石柱と山門の間の、ちょっと向こう側にありました。

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 山門からその場所を見ています。
何やら石塔類が立ち並んでいますが、どのようなものなのでしょうか。

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 向かって右(寺の一番入口)側に建てられていたのは、萬霊塔でした。
寺院の入口ですから、もっともな存在といえます。
あえて気になったのは、これではなく、この後のもの・・・。

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 こちらの文字塔は「庚申塔」でありました。

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 それから青面金剛さん。

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 お寺の境内入り口ではありますが、庚申の祭祀にかかわる石造物が見られる、
ちょっと不思議に思える状況でありました。
もっとも、こうしたことは、このお寺の場合に限ったことではないようですが。
こうした祭祀が活きていたころ、その時代の人々の考えや信仰のあり方などは、
今となっては、なかなか理解が及びませんが、じっと向かい合っていくと
何かしらわかってくるのかな、と思っています。
気長にじっと・・・、これからも見つめていきましょう。

龍安寺(2) 龍安寺川 [寺院めぐり]

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 前回の最後の写真、もう少し引いて見ますと、
山門から境内に続く参道は、山門を入ってすぐのところで川を渡るのが見られます。

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 上流側を見たものですが、これはその名も龍安寺川であります。
境内を横切る川にお寺の名がある・・・。
何とも雄大な話だと思いました。
このさらに上流は、前々回の記事「進む山梨リニア実験線工事(20)」で見た現場があるのでした。

龍安寺(1) 薬医門 [寺院めぐり]

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 龍安寺の入口、山門を見ました。この門の構造形式は、薬医門と思われます。

 医薬門は、手前に2本(鏡柱)、奥側にも2本の柱(控え柱)を立て、それぞれ桁でつなぎ、
桁の上に束柱を立てて棟木を渡して、切妻の屋根を乗せるもので、
本来は扉もつけ、格式の高い門とされていたものを、扉を取りはらい、
出入りを容易にした医家の門として採用されたことからその名があるとも言われています。

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 ここは、笛吹市八代町米倉。
リニア実験線の工事現場を見回っていた中で、たまたま訪れたもの・・・。
でも、龍安寺って、とってもいいお名前ですね。

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 門をくぐる正面に山号額が掲げられていました。
「金富山」・・・山号も実に縁起がよさそうな・・・。

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 山号額とは反対の側の部分に、門の建築経緯を記録したプレートがつけられていました。
「昭和四十四年十一月三日」(龍安寺第32世の代)に完成したと記されていました。

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 山門を内側から見ました。
控え柱をつなぐ桁の上に小さな屋根がついていましたので、高麗門かな
とも思わせるところがある門でありました。