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再び旧奈良駅舎 [エートマンのお出かけメモ]

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 JR関西本線、今では大和路線の愛称を持つその区間の主要駅である
奈良駅に降り立ちました。その駅前でのスケッチです。
朝の8時過ぎ、急ぎ足で行き交う人の姿を横目に、そうじっくりしてもいられませんでしたが
朝の空気の中で、凛とした建物、いいなぁと思いながら眺めました。
 どうしてこの旧駅舎に惹かれるのでしょう。
それはなんといっても、2002年(平成14年)から進められてきた奈良駅の
連続立体交差事業により、いったんは解体撤去される運命だったものが、
保存を望む声に押され、曳家工法まで採用して こうしてまた新たによみがえった
建物だからであります。
こういうこと、山梨では想像すらできなかった、残念な想いがあるからです。

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 今は、奈良市の総合観光案内所として利用されているそうです。

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 所用が済んで、お昼過ぎ、再び奈良駅前に戻ってきて、再び仰ぎ見ました。

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 宝形づくりの屋根の頂点には、五重塔の上に乗せられているような相輪塔が
付いています。

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 避雷針を兼ねているのでしょうか。水煙に相当する装飾です。
古都奈良の空に、昭和9年の雰囲気を掲げて、現代から未来への指針となっている
そんなふうに感じられました。

 今回のタイトル「再び旧奈良駅舎」としているのは、次の過去記事を踏まえたものだ
という意味であります。今回は、かなり簡略に済ませていることを、ちょっとばかり
丁寧にメモしております。よろしければご参照ください。
[iモード]「奈良でのスケッチ・2題」2008.11.9

大和郡山駅前の「こなもんや」さん [エートマンのお出かけメモ]

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 このほど大和郡山市を急襲しました。いや急に襲ったわけではなく、急にお泊りする
ことになりました。奈良県内はこの時期、どこのホテルも混んでいて、ようやく見つけた
空き部屋も夕食のないタイプでしたので、外に出てということになりました。
JR関西本線(大和路線)郡山駅の駅前だから何とかなるだろうと安易に考えていました。
けど、当方の考えにあうお店はなかなかなくて、難儀しました。
 そんなとき、目に入ったのは、「こなもんや」さんでありました。
「こなもんや」ということは・・・。

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スパティオの泉 [エートマンのお出かけメモ]

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 「小淵沢温泉湧出地点」という石碑が据えてありました。
スパの源です。

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 碑の裏側です。
曰く、掘削深度 1,500m。湧出温度 58.8℃。泉質 ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉。
これに、平成7年12月15日という日付と小淵沢町(北杜市に合併する前の旧町)
という内容でした。

 今回はスパの入口までで、ナトリウム温泉につかることはありませんでした。
今度ね。

さきみつさんの娘(前編の本編) [エートマンのお出かけメモ]

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 前光さんの娘について、話を前々回のスパティオ小淵沢でのことに戻します。
道の駅であったり、スパとくるので温泉で宿泊も可だったり、体験工房もありと
様々なメニューを提供している同施設の敷地内に、ひっそりと歌碑が据えられていました。

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 歌碑の背面に周り、碑にまつわる情報の収集を試みました。
建碑の主体となった方は、甲府市内の土屋長子さんであり、数名の協力者のお名前と
昭和56年という建造年が確認されたのでした。
 ここで、土屋長子さんって、どんな方? 行き詰まりました。
それはともかく、歌碑と言うから、だれのどんな和歌が詠まれているのでしょうか。

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 それは、こうでした。
歌の終わりに詠み人の署名がありました。白蓮と・・・。

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 さらに碑の傍らに設置されている説明板の内容を手がかりに、
歌碑についての理解を進めることにしましょう。

 そうです。この歌碑に記された和歌の作者は、柳原白蓮さん。いまちょっと話題の・・・。
そして柳原前光さんの次女、燁子さんその人なのでありました。
ようやく前光さんと燁子さん、すなわち歌人の白蓮さんとつながったのです。

 詰めて言えば、小淵沢で白蓮さんの歌碑を見てきましたぁ・・・、というお話であります。
詠われている内容は、時期的にちょうど今くらいの季節のことでしょうか。
ヒグラシの声は聞かれなかったけれど・・・。
ともあれ、これが前編でありますので、その続き、後編があるらしいですよ・・・。
どんなことでしょうかね、お楽しみに。

さきみつさんの娘(前編) [エートマンのお出かけメモ]

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 ここは北杜市小淵沢町にあるスパティオ小淵沢
それにしても、「さきみつさん」って誰だ? どんな関係がある?? で、なぜ娘???

雪見旅・・・ [エートマンのお出かけメモ]

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 赤く輝きを見せるサンシュユの実。
おいしそうだったけど、決して手を出さなかった。それはその赤い実の中に詰まっている
あの味が忘れられないから・・・。
 そんなことよりも、背景の屋根には、雪が積もっている、そんな場所へ
泊まりがけで出かけたのです、この師走の半ばに・・・。
 この雪とサンシュユの赤のコントラストは、飛騨は高山の陣屋跡でのスケッチ。

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 入り口に立つ石柱です。
正面に、「史蹟高山陣屋阯」とありまして、右側面には、「史跡名勝天然記念物保存法ニ依リ
昭和四年十二月文部大臣指定」と、歴史を感じさせる説明が刻まれていました。


 

お伊勢参りは雨の中・・・ [エートマンのお出かけメモ]

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 先日、思い立ってお伊勢参りをいたしました。
日頃の行いがたたってか、たいへんな大雨になって、駐車場から神宮までに参宮の間、
靴がぐしょぐしょになってしまうほどでした。
 しかしです、傘を差してお参りする人の列は、絶えることを知らない・・・。
式年遷宮の中の、メインの宮遷しが行われた直後の日曜とあったせいもあったようですが
わが国民は、ここまで神詣でに熱意をもっていたか、まるでメッカ巡礼の人の波にも
例えられようかという声も聞かれたほどでした。
それにしても、用意万端、長靴着用の方が多く見られ、それにも感心しました。

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 今回の式年遷宮では、外宮にせんぐう館という展示施設ができていて、
遷宮のAtoZがたいへんわかりやすく示されていました。
雨宿りをかねて、そちらにも参観することに。
それで、せんぐう館の前庭、まがたま池と浮き舞台があるのですが、お天気であれば
その舞台で全国各地の神社に伝わる伝統芸能が奉納されるということになっていたらしいのです。

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 雨天中止かと思いきや、ガラス張りの間で、遷宮記念奉祝行事が行われていたのです。
このとき、どこのお宮さんからの奉納がなされていたのか、少しばかりゆかしく思えて
眺めてみることにしました。

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 それは、緋袴のお稚児さんたちによる舞の奉納であったのです。どこかで見たような・・・。

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 演目札を見ると、何と「河口の稚児の舞」ではありませんか。
わが山梨は、富士河口湖町の河口浅間神社に伝わる県指定無形民俗文化財の奉納だったのです。
いい機会にめぐまれました・・・。

赤・白・赤・白・・・・ [エートマンのお出かけメモ]

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 今日は事情あってお上りをしました。
目的地は、三田。そこで東京タワーをミタ。

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 赤・白・赤・白・赤・白・赤
上から見ても下から見ても、塗装は7段塗り(展望台は除く)。
ここでもそうでしたね。

かいじの車窓から [エートマンのお出かけメモ]

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今日は所要あってお上りしました。

上りのかいじの車窓から見た光景のひとこま、葛野川線の赤白鉄塔です。
携帯カメラの写真です(切り出しなどの補正がうまくできませんでした)。

兼六園で「日本武尊」に釘付けに・・・ [エートマンのお出かけメモ]

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 先日、急な所用で、金沢に行ってきたときのことです。
せっかくなので、兼六園を初見物しました。
雪のある兼六園、雪吊りなどに風情があり、なかなか優雅でありました。

 でも、いちばん印象に残ったのは、これっ。
もうよくご存知の方もおられるかと思われますが、エートマンは初対面だったのでとにかく感激。

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 傍らに説明板がありました。
高札風のもので、メインの日本語の表記の他、英語・ハングル・簡体字・繁体字と
さすがに国際観光都市だなぁ・・・。(わが甲府では、どうだろぅ・・・。)

 ともかく、このような場合において、その内容をよく理解するのに、たいてい
英語がスッキリしていてとてもよいですよ。なので、引きます。

  Statue of Prince Yamato Takeru
  This statue of Prince Yamato Takeru(Japanese Mythological hero) was
  erected in 1880 to commemorate the Ishikawa warriors who died in
  the Satsuma Rebellion of 1887.


 ふ~ん、そうなんだ。

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 ということで、1880年に建てられたブロンズ製の日本武尊像が乗る石の台座、
後で調べたところ、それ自体にも意味があるようですが、そこに刻まれた銘文に注目です。
 中心に「明治紀念之標」と書かれておりまして、その右側にこの書を認められてお方の御名、
すなわち「陸軍大将兼左大臣議定官 / 二品大勲位熾仁親王書」とございました。
うわっ、すごいお方がお出ましになられましたぁ。
 熾仁親王さまのことは、とても畏れおおいので、ここでは深く掘り下げないようにし、
その先に進みましょう。

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 お終いに、もう一度、日本武尊の銅像に注目です。
銅像に関しても話題、盛りだくさんのようです。

 まずは、通常の歴史観でいくと実在した特定の人物とは見なされないお方のお姿である点。
それは、英文の Japanese Mythological hero がよく語っているところです。

 次に、銅像として、わが国最古の作品だとされていること。
よく知られている、東京九段の大村益次郎像(明治21=1888)や
上野の西郷隆盛像(明治30=1897)などよりずっと古いものであるのです。

 それから、制作についてもちょっとした話題があるようです。
当初この像の鋳造は、地元の金沢の鋳物師が担当する運びだったそうですが、
江戸時代から全国的に有名になっていた、富山高岡の鋳物師が横取りをするように
その制作・鋳造に関わったのだそうで、そのため、作品自体に、
やれ頭が大きすぎバランスが悪いだの、やれ左手に持つ草薙の剣の形式が時代に合わないだの、
はては加賀百万石、前田のお殿様ののこされた立派なお庭、兼六園にそぐわないだのと、
揶揄されることも多かったとか。

 いやぁー、建国記念の日の話題として、ちょっと濃かったですねぇ・・・。

 なお、今回の記事を書くのに、次のサイトの記事内容を参考にさせていただきました。
[本]熾仁親王について・・・ウィキペディアの「有栖川宮熾仁親王」の項
[本]高岡鋳物師について・・・室屋長兵衛の「日本最古の銅像 日本武尊像」のページ

《2016年8月21日追記》
 このほど、画像のリンクを修正し、画像の表示を確保しました。
 また、参考情報としてあげた2つのサイトへのリンクのうち、後者、すなわち高岡鋳物師に関するものは、
元情報が削除されたためか、リンク切れとなってしまっています。あしからず・・・。

《補記:2024.4.23》
 アイコンの表示など、さらに修正が必要な箇所が見られたので、対応しました。

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