神式の・・・ [悲しみの記憶]
知己旧恩のある方のところにご不幸があり、通夜式にうかがうことがありました。
式場の入口に「二礼二拍手一拝で」との表示があるのを見て、心中に若干の動揺がはしりました。
「し、しんしき・・・どうしよう」
まあ仏式がほとんどで、一・二度あちら式の献花による参列をしたことはありましたが、
神式は初めての経験でありました。
式場にはいると玉串を係の方より手渡され、時計回りに回して、
根元の方が祭壇に向くようにお供えし、二礼二拍手一拝をとのこと。
しかも拍手は、忍び手で・・・とのこと。
うろたえつつも、音がしないように・・・くらいに受け止めて、つつがなく(?)お参りをすませました。
後で調べてみると、「忍び手」は手が合わさる寸前で手を止める・・・との説明に接しました。
なかなか、よのなか、むずかしい・・・ものですね。
写真は、別な場面で見た玉串の写真、完全に参考写真です。
梅雨入り2011 and so on [悲しみの記憶]
雨が降ってる土曜日、そう5月最後の・・・。
そんな日にスケッチした景色の1つは、これでした。
遠くに赤白7段塗り分けの送電線鉄塔、甲西線7号鉄塔、それに。
手前の橋は、五明川に架かる五明第五橋。
錆色の鋼製桁に、レンズに付いた雨粒が重なってにじんでいます。
当地では、昨日(2011.5.27)、梅雨入りした模様です。
そんな梅雨入りが耳目に及んだ日、すなわち2011年5月27日に、
とても切ない野辺の送りがありました。
ご功績は、すごく大きくて、簡単に受け継ぐなんてことはいえないけど、
出来ることなら、少しでも近づけるように、していきたい・・・・・・。
秋山先輩、ありがとうございました。
《追記》画像リンク調整および記事本文末尾の修文をしました。2018年1月13日
西方の茜空 [悲しみの記憶]
今日の夕方、夕焼けに染まる西のお空を見ました。
写真の左半に櫛形山、右半に南アルプスの間ノ岳・北岳と続く山並みがシルエットになっていました。
こちらは櫛形山の上の夕焼けのようすです。
今日は、エートマンが住む地域で最年長の方の野辺の送りがありました。
西方浄土への道が明るく照らされているようすと見て取りました。合掌。
[補記:画像データ・カテゴリ設定など再整備しました 2023.9.12]
枯れ葉よ・・・ [悲しみの記憶]
公園の芝生の中に見た光景です。人為的ではないと思います。
北風が吹き飛ばしたクヌギの枯れ葉、冬枯れの芝生に刺さって、立ち上がっていました。
まるで、日時計みたいに・・・。
あの陰の先に初冬の太陽がいるのでした。
この枯れ葉に、どんな意味を探ってみようか・・・。
うん、ノーベルの命日に当たり、ノーベル賞授与式が行われ、今年は特別な状況があるということか。
それとも、知人の御尊父の野辺の送りがあることのメモリアルか。
とにかく、どうでもよろしいエートマンの心象スケッチ・・・。
夕立に寄せて・・・ [悲しみの記憶]
エートマンの出撃は、今日も午後が中心、でも、雲行きがあやしくなり、
午後5時には帰還しました。そしてその直後に、夕立に見舞われたのです。
写真は、エートマンのアジトの2階の窓からの、夕立のようすです。
初め、この窓ガラスには、雨は当たることなく、遠くの稲妻を撮ろうと思っていたのですが、
すぐに風向きが変わり、この窓に激しく大粒の雨が吹き付けるようになりました。
動画ででも紹介しないと、その迫力は伝わらないかも・・・。
でも、ここで夕立の迫力を正確にお伝えすることは、ポイントではありません。
本州の各地を広く大気が不安定な状況が覆い、各地で雷雨があったりしたようです。
そんな中、たいへんな悲しい事故が起こっていました。
埼玉県の防災ヘリ「あらかわ1」が、山梨県との県境近くの谷川に墜落、
搭乗員のうち5名の方が亡くなられたという事故のことであります。
聞けば、滝壺に落ちた方を救助するために、救出作業を展開している際の事故とか。
危険度のある山道を、休日を利用して、楽しまれている中で、誤って転落されたようですが、
その方の救出のため、深い谷川の上空でホバリングし、
秩父消防の2名の隊員を吊り下げて降下させている際に、何らかの原因で、
安定を失い、墜落に至ったということで、若いというか、働き盛りの精鋭5名の命が失われたとは、
やはりどう考えても、かなしい、やりきれない思いがしました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げますとともに、同様な事故が今後、
繰り返されないことにも祈りたいと思います。
[補記:画像データ・カテゴリ設定など再整備しました 2023.9.12]
お別れの日に・・・ [悲しみの記憶]
今日(7/28)は、お世話になった先生をお送りする日となりました。
写真は、昨夕のものですが、甲府市の中心部で、あるイベントしており、
それが終了し、撤収作業をしようとする頃、たいへんな夕立があり、
カミナリも鳴り響き、とてもたいへんでしたが、
その頃、お通夜が内々で行われていました。
今日、先生をお送りした後、思い出話をする時間がありましたが、
その時、昨晩のカミナリ、「きっと先生が怒っていらっしゃった・・・」とか、
「よく怒られたなぁ」とか・・・。
そう、私も一度ひどくしかられたことを思い出しました。
先生がお元気な頃、いっしょにバス旅行をしたとき、
見学からバスに戻る時間ぴったりにバスに戻ったのですが、
「遅いじゃないか、みんな待っているんだよ」と。
とても厳格な方でありました。
(時間前行動は当たり前だよ!・・・でも、いまだにできてない・・・ごめんなさい)
先ほどの写真の街路灯のクローズアップです。
甲府市のメインストリートの街路灯にふさわしく、
山並みや富士山、そして武田菱が透かれた・・・
甲府市を強くイメージする意匠が用いられています。
先生は、この甲府に住まわれて60年余、大きな貢献をなされ、
武田の歴史の掘り起こしや啓発にも尽力なさいました。
これからも暗い雲に覆われたとき明るく照らす街路灯のように、
私たちをお守りいただきたいと思います。
[補記:画像データ・カテゴリ設定など再整備しました 2023.9.12]
えとき・・・ [悲しみの記憶]
南部町(旧富沢町)の最恩寺さんの境内でお見かけした観音菩薩さまのお像です。
身延町の南松院さんの境内でお見かけしたお釈迦さまのお像です。
身延町(旧中富町)の円光寺さんの境内でお見かけした日蓮上人のお像です。
今日のお話は、これら3点の画像で始まる絵解き話。
このあと、「続き」からご覧ください。
ちょっとかなしいゆうやけをみた・・・ [悲しみの記憶]
今日は、少し悲しい夕焼けを見ました。
セレモニーホールを背景にした夕焼けです。
まだまだ・・・ご無念のことと・・・・お祈り申し・・・・ます。
《以下追記:2007.7.27 21:10》
その後、帰り道。信号待ちのたびに、見る景色にカメラを向けていました。
そのうちの2つほどを紹介します。
いずれも“美しい日本”のいまを感じさせてくれる(?)ものと思います。
1つめは、これです。
そして2つめです。
多くを語りません・・・
[補記:画像データなど再整備しました 2023.9.12]