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火の見ちゃん66+ [火の見櫓]

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 北杜市須玉町江草で見た三角火の見櫓の続編です。
三角形の平面の櫓に円形の平面の望楼が付き、六角形の屋根が乗っている
とても素敵な火の見櫓ですが、前々回に見落としていたこと、それは・・・。
 火の見櫓の望楼に上がるのに、櫓とは別材のはしごが、櫓の外側に付いている、
そのはしごは、円形の望楼の内部に取り付いている、ということです。
なかなかこうした構造は、他ではあまり見られません。

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火の見ちゃん66 [火の見櫓]

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 県道23号韮崎増富線を進行中、北杜市須玉町江草地内で見た火の見櫓です。

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 もう少し近づいてみました。この画面の左手前に消防機材庫がありまして
秋の夕暮れに機材庫の正面の赤色灯は、はや点灯を始めていました。
機材庫のシャッターの上部には、「須玉町消防団 江草分団第三部」とありました。
いまはきっと、北杜市消防団の江草地区を管轄するブランチとなっていると思われます。

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 1点目、2点目の写真の撮影方向と反対側から見ました。
これって三角火の見櫓じゃないですか。すごい。

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 もう少し近づいてみました、ほらね。
三角形の平面をもつ構造であることが、これでご理解いただけたのではないでしょうか。

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 この火の見櫓には、さらに見どころがありました。
3つの隅を構造する縦方向の鋼材の1つに、制作者を示すプレートが付いていました。
鋳造によるプレートの中央に「中村ポンプ工場」とあり、右サイドには
「甲府市イセ町 TEL三六二九番」とありました。
また左側は、「昭和XX年X月建設」となっていて、XX年とX月は鏨で彫り込む形式
になっているのでありました。年月はとても読み取りにくい状況でしたが、
昭和三四年八月」と読めそうでありました。
そうであれば1959年製となりますので、御年55歳。長年お疲れさまでございます。

 それにしても、電話番号 すごいですね。たった4桁です。時代が感じられます。

火の見ちゃん65 [火の見櫓]

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 前回の旧国道を散策していって、身延町消防団中富第一分団の消防会館前にでました。

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 建物の前を通り過ぎて、横手をのぞき込むと、そこに火の見櫓があったのです。
特段の建設情報等は見られませんでした。

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 四角い望楼、四角い屋根、ホッソリとスマートな感じがする火の見櫓でありました。

火の見ちゃん64 [火の見櫓]

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 前々回の中の1カット、再び登場ですが、この画像の右上方向を見るとですね、
前面がシャッターで、右側面に赤い電灯が付いた施設が存在するのです。
惹かれるものがあって、そちらに歩みを進めますと・・・。

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 その施設は、やはり消防団の機材庫でありました。
下ろされているシャッターの上部に、「境川村消防団第一分団第三部」とありました。
 そして、その背後には、りっぱな火の見櫓がそびえていたのです。

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 詳細に観察すると、火の見櫓の構造うち、一番下の横材に制作者の名称・所在地を陰刻した
プレートが付けられていました。
ほかに建造年を示すものがないかと、しばらくうろうろしましたが、結局は見つからずでした。

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 秋空にそびえ立つ火の見櫓、いい感じですね。地域の守りです。
「甲府市東青沼町」の「村松鉄工所制作」のそれです。

火の見ちゃん63 [火の見櫓]

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 竹居地区コミュニティセンターを少しひいて眺めました。
画面の右寄りの敷地内に、道祖神場が見られたのですが、それは本来の形かどうか
ちょっと気になるところでした。

 それはともかく、あれがあるじゃありませんか。

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 火の見櫓です。四角い鋼製タワーで、四角い望楼、四角い屋根。

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 ここの火の見櫓は、内側に小さな機材庫が置かれています。
何が入っているんだろうなぁ。
エートマンの住む地区のことを参考にすると、消火用ミニポンプかもしれない。

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 その4つの脚の1つに、施工者と建造年とを示すプレートが見られました。
「神宮司鉄工所」「昭和四十年二月」と読めるのでした。
ということは、御年48歳ということになるでしょうか。

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 少し離れたところから見上げました。果樹園地帯に立つ1965年生まれの火の見櫓。
ここでも、放送用スピーカーがいくつも付けられていて、昔ながらの火の見の役割よりも
地域のお知らせ装置に比重が移っているように思えました。

火の見ちゃん62 [火の見櫓]

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 韮崎市神山町の北宮地で見た火の見櫓です。
四角い平面形の櫓、四角い平面形の望楼、そして四角い屋根。
この画面の右手から電灯線がとりついていますが、これは蛍光灯照明用。
それ以外はスピーカー等なく、すっきりした火の見櫓です。

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 望楼部分から屋根までを望遠しました。
火の見櫓の機能に徹した火の見櫓です。

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 この火の見櫓、前回の武田八幡の二ノ鳥居のすぐ隣に建っているものです。
火の見櫓の文化財指定を受けた古い鳥居との組み合わせ、確か以前にもありましたね。
そう、窪八幡神社参道の重要文化財の鳥居とそのお隣の火の見櫓と例ですね。

火の見ちゃん61 [火の見櫓]

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 甲府市の穴切地区で見た火の見櫓です。
夜の火の見櫓、近くに消防自動車も出ていますが、火事があったわけではありません。

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 消防自動車には、甲府市消防団穴切分団とありました。
この地域の安全、安心をまもるシンボルとしての火の見櫓です。

火の見ちゃん60 [火の見櫓]

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 山梨市東の岩手小学校の脇で見た火の見櫓です。これで火の見ちゃんは還暦。
いや年ではないので還暦とはいわない、60回目の火の見ちゃんとなりました。
手前の建物は消防団詰め所で、シャッター上の庇部分には、
「山梨市消防団岩手分団機動部」とありました。かっこいい名称です。

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 この火の見櫓には、建設の趣旨や年代などが記されていると考えられる
鉄板プレートが確認されました。
しかしながら、たがねの彫が浅いうえ、丁寧なペイントもあって、
文字はまったくといっていいほど判読できませんでした。
(拓本とればわかるかも・・・)

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 回り込んで南側から見ました。
赤い文字で「火の用心」の文字が強烈です。

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 夜、暗くなると光の文字になる気配がありました。

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 平面形が四角い望楼で、屋根も四角。

その屋根の下に設置されているのは、半鐘ではなく、機械式のサイレン。
もはや、スイッチ・オンの機動的な火の見櫓だと感じられました。


《補記:2024.4.14》画像リンクの再設定を行いました。

火の見ちゃん59 [火の見櫓]

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 前回の話題の窪八幡神社(大井俣神社)の鳥居について、少し角度を変えて見たら、
お隣に火の見やぐらが建っているのでありました。

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 平面が円形の望楼が上下2段に設置された、とても背の高い火の見やぐらでありました。
神社の鳥居との間にある建物は、消防機材庫かと思われましたが、OO消防団とかいうような
何の表示もありませんでした。

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 この火の見やぐらには、消防ホースを干す機能が充実していました。

 そういえば、昨日の日曜、各地で消防団の出初式が行われたようでありました。
寒い中、ご苦労さまでございます。お疲れ様でした。


《補記:2024.4.14》画像リンクの再設定を行いました。

火の見ちゃん58 [火の見櫓]

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 少し前に取り上げた蓬橋、東から西詰に向かって渡っていくと、
蓬橋の西方に火の見櫓が見えました。

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 すぐにたどり着くことができました。
蓬沢町の火の見櫓です。

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 火の見のあるところですから、昔からの集落の中心に当たっている場所でしょうか。

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 中心なので地域へ向けた情報発信もここから・・・というように
トランペット型の拡声器が3方向につけられていました。
この火の見櫓は、ご多分に漏れず、火災の現場を探し、半鐘を叩いて火急を知らせる
という本来の役割はもはや果たす必要も薄れ、放送塔なっているように思われました。

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 火の見櫓のすぐかたわらには、甲府市消防団玉諸分団第一部のサインが掲げられた
消防団詰め所が存在していました。
ちなみに、建造年代に結びつくような手がかりは見つかりませんでした。
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