目指す橋があるらしい・・・11個目の万年橋か [川と橋の文化誌]
今日、ふとしたことから、これまで関心を持って追い求めてきたその存在に接する
情報を目にしました。
マップは、早川町の「保(ほ、ないし ほう)」集落です。
そこに万年橋が架かっているらしい・・・近く現地確認したいと考えます。
今日は「川の日」 [川と橋の文化誌]
国土交通省(http://www.mlit.go.jp)のHPの中に、こんなの見つけました。
今日、7月7日は、七夕というのが定番ですが、七夕にちなみつつの「川の日」でも
あるそうです。
このブログ『えーと 何だっけ?!』には「川と橋の文化誌」というカテゴリが
ありまして、川にかかわることになると他人ごとではありません。
なので、もう少し詳しく見てみたいと思います。
### なぜ7月7日が「川の日」なのか
①七夕伝説と「天の川」のゆかりから
②7月が「河川愛護月刊」とされている
③季節的に水に親しみやすい
と、これら3点があげられていますが、<梅雨時の多雨により川の恩恵が大と感じられるから>・・・くらいにいってもいいんかな、と思われます。
###「川の日」を定めた趣旨は...
①近年、都市の発展、治水事業の発展などを契機に、希薄化した人と河川
との関係を見直し、河川に対する人々の関心を取り戻す
②地域の良好な環境づくりなどについて流域の住民・自治体が一緒になって考え、
取り組む、といった地域の活動を支援する
とされています。
以上は、国交省HPにある説明によるものですが、さらに「川の日」には
どんなイベントがあるかなど、そちらのHPをお確かめください。
なお、今回の記事に引用させていただいたロゴは、オリジナルはカッパから緑を
基調としたものになっていましたが、勝手に水のイメージに変えてしまっています。
ごめんなさい。
ますとみおおはし [川と橋の文化誌]
10月の終わりに訪れた瑞垣湖です。
瑞垣湖は 富士川支流の釜無川から分かれた塩川の上流に築かれた塩川ダムによる人造湖です。
静かな人造湖の空気を複数の画像をつなぎ合わせたワイドパノラマで表示しました。
が、縮小率が高いので わかりにくいですね、すみません。
向かって左側に、ニールセン・ローゼ形式の下路アーチ橋が見えますが、
過去に取り上げている鹿鳴渓大橋です。
そして右端のランガー形式かと思われるアーチ橋、それが今回の増富大橋です。
増富大橋側に歩いて移動、瑞垣湖の景観の変化を楽しみながら・・・です。
人造湖に沈んだ地形ですから、襞のある山地を縫って瑞垣湖を周回する道路があり、
いくつかのカーブした道の先に、急に現れた瑞垣大橋。
ほぼ南北に架橋されているので、南詰めからの景観ということになります。
南詰の上流側にある親柱を見ました。近くにある増富温泉を描いたパネルが
色づき始めたツタを添えて絵になっています。
そこに「増富大橋」の文字が見られます。
同じ南詰で下流側の親柱。「本谷川」とありました。
いまは人造湖の水面となっていますが、本来的には塩川のまた支流の
本谷川に架かっている橋だと言うことがわかりました。
南詰めから徒歩で橋を渡ります。で、下流側を見ますと、当たり前に
瑞垣湖の湖面を見渡すことができました。
上流側は、本谷川が形成した峡谷で、秋の彩りを見せていました。
橋を渡りきって、北詰から見た増富大橋です。
下流側の親柱、鳥が表現され、「ますとみおおはし」と橋名の読みが記されていました。
北詰上流側の親柱は、瑞牆山と本谷川の渓谷が描かれたプレートが付き、
「平成3年10月31日竣工」とありました。そうか23歳のお誕生日が来たばかりだったようです。
増富大橋から引き返しながら眺めた 増富大橋とその周辺の景色であります。
引き続き釜無川の川底にて [川と橋の文化誌]
この写真は、何枚かの写真を横につなぎ合わせて合成したもので、
横のサイズが4,000ピクセルほどもありますが、それを1/10に縮めてのせています。
前回の場所から、少し前に進んで、富士川大橋を展望しています。
釜無川も全く干上がってしまったというわけではなく、向かって右側に、
幅約20m位で流れているのでした。
以前の『えーと 何だっけ?!』では、画像サイズが大きくならないように、
横幅を280ピクセルに抑えていましたが、こちらに乗り換えたのを機に
ちょっと贅沢に400ピクセルとさせていただくことにしました。
まだまだ小さな写真ですが、当方の環境だとこれくらいがちょうどよいかと・・・。
それでおわかりいただけるように努力をしていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
川底にてごあいさつ [川と橋の文化誌]
so-netブログ初登場のエートマンです。
この場所は、富士川支流の釜無川の、川底に当たる場所。
2月の初めのこの場所は、渇水期で水位が低下したため、
広い河川敷のほぼ真ん中に立つことができたことを示しています。
これまでもこれからも、こんなたわいもない話題を書き留めていきます。
(注:この記事と似た記事が2014年2月2日付で存在しますが、そちらは旧「えーと何だっけ?!」の記事を
こちらに移行させたものです。一方この記事は、この日、すなわち2014年2月4日に、同じ写真を使い
so-netブログにオリジナルで書き込んだものです。わかりにくい話ですが、念のため・・・)
さらに川底で [川と橋の文化誌]
前回の場所からもう少し富士川大橋に寄って見たところです。
数枚の画像をつなぎ合わせた超ワイド・パノラマ写真にしたものをさらにお決まりの
280ピクセル幅にしているので、たいへん見にくくなっていますが、
画面の右端に釜無川の流れが確認できます。
こちらは前回の場所で振り返ったところです。
釜無川の川底で拾った話題は、いま思い切り渇水期だということと、
それから中部横断自動車道の富士川渡河の橋脚群が間近で観察できたということでありました。
さらに川の流れの方に寄りました。
橋脚群の並びをとても近くで見ることができました。
それから画面の左手にクレーンの存在が確認できますが、それはどうも
富士川の左岸に並行して走る身延線を越える工事が進められている現場らしく見えました。
あさはらはし・開通 [川と橋の文化誌]
このブログを続けるに当たって、目に付くいろいろなものをデジカメで記録し、
今日は何にしようかなぁ~、という時間を経て、記事がアップされているのですが、
そうしたなかで、ボツになる、すなわち使われないままで終わってしまう写真が
たくさん、さくさんあるのですが、今回の写真もその一つでありかけました。
今年(2013年)の8月31日に撮影した浅原橋です。それも釜無川左岸上流側から見た
建設中の新橋でありました。
どうしてボツになりかけたか、については、もうどうでもいいことですが、
どうしてまた、今日という日に復活を遂げたかは、重要なことでありました。
今日聴いたニュースで、この新しい浅原橋が今日、供用開始となった・・・からです。
近いうちに、見物にいかなければ・・・。
昭和川砂防 [川と橋の文化誌]
前回見たお水神さんの先に惹かれるものがありまして、
山の方に足を向けると、沢状の地形の中に平坦地が開けたのですが、
そこはどう見ても射場でありました。
写真の中程やや右手に見えるものは、的をおく施設でした。
左手の上方には、擬木の柵が見えたので、公園か何かがあるのだろうか、
さらに足を進めたところ・・・
擬木が設置されていたところは、砂防ダムの上であって、
その先にいくつもの砂防堰堤が構造されていたのです。
擬木のあった砂防堰堤から上流側眼下を見ると、左手にトンネルの坑口が見られたのですが、
とても不思議な感じがしました。
その不思議感は、次の説明板により氷解しました。
「昭和川荒廃砂防事業概要」とタイトルが付された説明板がそれです。
「荒廃」とはどんな意味をもっているのか、新たな不思議感にみまわれましたが、
ともあれ、射場の上は1号ダムで、このダムの完成によってはじめて射場ができたのでは・・・。
そして1号ダムでせき止められた昭和川は、トンネルによって山沿いを人工的に流され、
ずっと上流に当たる場所で、富士川に落ち込んでいくこととなっているようです。
もはや、水神さまもビックリの砂防事業でありました。
あれれ、最上流にはゴルフ場があるのかなぁ・・・。
気付かずに通っていた万年橋 [川と橋の文化誌]
南アルプス市戸田地内を流れる滝沢川に架かる橋が、今回の話題です。
下流川から話題の橋を見ています。
話題の橋は、川の中央に橋脚を1つ置く、コンクリート製桁橋です。
空は、すっかり秋の空。周辺では、稲刈りが進んでいました。
さて、話題の橋は、ほぼ東西に架かっていますが、こちらは東詰。
この東詰に河川名の表示板が立っていますが、反対の西詰にも立てられています。
ちなみに滝沢川は、富士川の支流で、ここから南に流下し、
富士川大橋を過ぎたところが合流点となっています。
橋の東詰で上流側の欄干に、橋の名称の平仮名表示がありました。
「まんねんはし」でした。
同じく東詰で下流側を見ると、竣工年月の表示となっていまして、
「昭和58年3月竣工」とありました。
西詰に渡って下流側を見ますと、橋の名称の漢字表記があり、正しく「万年橋」でありました。
橋の中央から南側(下流側)を見ました。
橋には、北側にのみ歩道がつきますので、下流側を見る場合は、
どうしても下流側の欄干越しとなります。
反対に、橋の中程から北側を見ました。滝沢川の上流方向です。
先般、JR東海よりリニア中央新幹線の予定路線が発表になり、
地元説明会も開催される段階になってきておりますが、そのままいくとすれば、
数年先には、この視界の中にリニア新幹線の高架橋が出現してくることになります。
最初の写真と対になるような感じで、上流側から橋の全景を見ています。
甲府盆地とその周辺に、いくつも見られる「万年橋」
その地名表にまた1つ追加することができました。今回のが10カ所目のものとなりました。
地名表は、こちらからご確認ください。
尾白川渓谷 [川と橋の文化誌]
駒ヶ岳神社のお話は終わったのですが、そこで用いた案内板に再び登場願いまして
尾白川渓谷の話題であります。
赤枠で示した竹宇の駒ヶ岳神社の脇を富士川の支流の釜無川の
そのまた支流の1つである尾白川が流れています。
駒ヶ岳神社を通ってゆく甲斐駒への登山道(黒戸尾根)を少し進むと
吊り橋が現れます。尾白川を渡るのです。
吊り橋のたもとに看板がありまして・・・。
「名水百選」「白州・尾白川」とありました。
そう、これから渡る吊り橋の下を流れる尾白川は、名水百選に選ばれているのだということです。
ちなみに尾白川の読み方(読ませ方)は、「おじらがわ」です。
子どもの頃は、というか大人になってからもずっと、[おじろがわ]だと思っていました。
ネイティブの人々がどう呼称しているのかということは大事で、
そういう意味で難読地名として扱ってもよいかもしれません。
ともかく、尾白川を渡る吊り橋、甲斐駒ヶ岳に続く登山道であります。
右手に「定員5名」の表示もあって、揺れて怖い???・・・いや、そうでもなかった、です。
ただ幅がそう広くないので、すれ違いは少し怖いなと思いました。
多くの場合、譲り合って交互に渡っていましたが、例外のケースもありまして(汗)。
吊り橋の手前左手に、小さくですが平成22年3月にできた旨の表示もありました。
意外と最近のことで少々驚きましたが、以前のものの架け替えがなされたということでしょう、きっと。
渡りながら吊り橋の真ん中辺りで上流側を見ました。
この日は天気があまりよくなく、霞んでいますが、あの方向が甲斐駒の山頂方向なんですね。
エートマンは甲斐駒登山に行ったのではないので、吊り橋を渡ったところで
U-ターンして、また渡って戻ることに・・・。
吊り橋の中程で、今度は尾白川の流れていく末の方を眺めました。
この左手の森の中に、これまで見てきた駒ヶ岳神社があるのでありました。
さらに駒ヶ岳神社を経過して登山道兼参道を戻っていくと、来たときにはあまり気付かなかった
(かなりいい加減な歩き方、関心のゆくものにはじっくりと目を配るのですが、
そうでないものは目に入らず・・・です。困ったものです)
売店がありました。
登山者の方やこの周辺でキャンプをする人などの利用があるようです。
以上、尾白川のスケッチでありました。
今年の夏は、雨が少なく、名水百選の尾白川でさえ枯れてしまうかも・・・、
そんな想いが浮かんだために現地調査に出かけ、おまけに駒ヶ岳神社もお参りしてきた
という辺りがホントのところでありました。