せいじんはし [橋と川の文化誌]
今回は、富士川の支流・横川にかかる橋のお話しです。
ここはだいぶ交通量が多いみたいですね。
車の流れが切れたときに、もう一度撮りました。
橋の南詰めに「東南湖」という交差点があり、橋の上に
右折レーンが設けられていますので、けっこう幅の広い橋となっています。
重要そうな橋の割には、欄干に明確な親柱が見られません。
北詰寄りの下流側の欄干の下に、竣工年を示すプレートがありました。
「平成元年6月竣功」とありました。
北詰上流側の部分には、「せいじんはし」と、ひらがなの橋名がありました。
いったいどんな字、どんな意味で名付けられたのでしょうか。
どんな意味でそうなったのかは不明ですが、
漢字での表示が「聖人橋」だということが、南詰め下流側のプレートにより判明しました。
下流側、すぐ近くにかかる横川北橋から、今回の話題の聖人橋を見たところです。
コンクリート製の桁橋のようです。
なお、蛇足ですが、聖人橋がささえている道路は、
県道26号富士川南アルプス線といいます。
以前には、県道増穂若草線と呼ばれていたのですが、
先般の平成の大合併の最終となる富士川町の誕生を受け、増穂が「富士川」に変わり、
若草は「南アルプス」市に合併しているので、富士川町が成立した2010年3月8日付で、
このような路線名に変わったようです。
なおなお、「聖人橋」をネットで検索したところ、富山県にもあるようで、
そちらの方が圧倒的に記事の数が多かったです。
山梨の橋については、全体的にしっかりした情報があまりなくて
ちょっと残念な気がしました。
聖人橋の近くに、ここを流れている橋の名称の表示板がありました。
横川です。プレートの左手には、遠く南アルプスの主峰・北岳が見えていました。
なおなおなお、このほど、こんな川の名称表示板を集めたブログを
別につくりました。よろしければ、そちらも見てやってください。
ブログ名は「やまなしの河川」 URLは http://fun.ap.teacup.com/yamanashi_rever/ です。
あの赤い橋の説明板見つけた・・・ [橋と川の文化誌]
今回の記事は、あの赤い橋についての詳細レポの“予告編”という感じです。
富士川支流の戸栗川が、その合流点にさしかかる辺り、
県道803号内船停車場線の戸栗川橋北詰にそれはありました。
そこからは、また実によく、あの赤い橋が見えるのです。
この画像サイズでは、内容がよくわからないよう・・・。
なので、またおいおい、細かく見ていきたいと思います。
北杜市の小水力発電所 [橋と川の文化誌]
先の清里線52号鉄塔および清里変電所のすぐ近くに、
こんな看板が立っている場所がありました。
(相変わらずですみませんが、みかんです)
てんぐはしせんようきょう [橋と川の文化誌]
天狗橋の少しだけ上流側、旧天狗橋の存在したと思われる位置よりも
わずかに下流側に、それはありました。
これがその全景です。
こちらは、それに付けられていた、“道示プレート”に似た形式のプレートです。
これにより、その名前は「天狗橋専用橋」ということがわかりました。
でも、いったい何の専用橋なのかしら。
これについては、設置者の名前がヒントになりそうですね。
1973(昭和48)年8月には、「日本電信電話公社」といっていたのですね。
懐かしいといったら、年齢がすぐに見当付いてしまいますね(笑)。
いまはそれを引き継いだ日本電信電話株式会社になっていて、
その略称NTTの方でよく知られています。
ちなみに、電電公社が民営化され、NTTが誕生したのは、1985年4月1日であり、
これは前年に定められた日本電信電話株式会社法(1984年12月25日法律第85号)によるものと
NTTの公式HPの会社概要のページに出ていました。
NTTの専用橋とくると、もうそこを渡るのは、人でも車でもなく、通信回線ですよね。
各地の幹線道路には、道路下に通信管路が埋設されています。
それが川を渡る際には、やはり橋が必要で、最近では橋の下に専用管路が取り付けられています。
でもここでは、古い専用橋がそのまま残っているようです(現役かな)。
この橋は、橋の下に下りにくいので、メンテなどの関係で、
古い専用橋がそのまま使われているのではないかと考えられます。
あらかわきょうりょう [橋と川の文化誌]
たいへん強い台風が、いま、近づいています。
そんなムードの中で、話題は、自然に荒川橋梁になりました。
荒川に架かる、JR中央線の橋です、歴史的な・・・。
この橋の上を、一日に何本もの列車が通っていきます。
列車が渡るときは、音が響いて、ゴォーっという感じです。
この橋の下を流れるのは、荒川。
荒川は、東京を流れるのが有名ですが、荒ぶる川ということから名付けられたもので、
洪水を起こしやすい川ということでは、わが国のいたるところにある、
固有名詞と言うよりは一般名詞に近い感じがする川の名です。
この川は、台風などによる大雨が降ると、ごぉーっと言う音を立てて、
大水が流れていきます。
時には、堤防を破ったりして、暴れることも、それで荒川。
荒川橋梁は、下り線が、たいへん古く、手前側の上り線は、新しいのです。
それは、橋脚の姿に、端的に表れています。
古くは、甲府から西側の竜王・韮崎方面へは、単線でした。
上流側に新しく線路を増やし、荒川橋梁も架け足したのです。
それが、こうした橋脚に現れています。
長い年月がんばってきた、いまの下り線の荒川橋梁の橋脚です。
風格がありますね。その昔は、上りも下りも担当していた、中央線の縁の下の力持ち。
長い年月の中では、何度か台風も来て、すごい水流が逆巻くこともあったかと・・・。
これからも、がんばれ、荒川橋梁!!!
じんばはし [橋と川の文化誌]
甲府市の富士見1丁目と池田1丁目を結び、荒川に架かる陣場橋です。
このところの関心の送電線を見ながらも、それから離れ、
しばし荒川の流れを楽しみました。
一昨日(2009年10月4日)の「荒川橋梁渡る14号機」もそんな折に見た電気機関車、
EH-200の14号機のお話しなのでありましたが、今回、ともかく陣場橋です。
池田側のたもとの上流側のプレートですが、
「昭和57年3月竣工」とありました。それは、1982年。
御年、27歳、まだこれから働き盛りです。
荒川の右岸の堤防を少し下って見た陣場橋です。
緩やかに中央が盛り上がる、太鼓橋状になっています。
堤防を河川敷の方へ下りて、再び陣場橋を見渡しました。
笛吹川との合流点から、順に数えて何番目の橋かしら、なんて思いをめぐらせながら、
しばし、橋を見ていた午後、でありました。
川に下りて、流れを見たとき、一瞬、キラッと光るものが目に入りました。
魚です。けっこう、たくさんいるみたい・・・。
淡水魚のことまでは、よくわかりませんが、縦に模様があるようなので、
オイカワのような魚でしょうか。
久々の“橋と川の文化誌”となりましたが、川の中の魚まで、
視線が及び、ほんとにそれらしい記事となりました。
こいさわようすい [橋と川の文化誌]
前々回の記事「平和な昼下がり・・・」の続きのような内容です。
笛吹川右岸で、ずっと向こうにかすかに万年橋が見えるところで、
ある構造物が目にとまりました。
もう少し近くから・・・。
何かの施設のようですが、いったいどのような役割を果たすものなのでしょうか。
構造物のコンクリート部分に埋め込まれているプレートの内容から、
“小石和用水”と呼ばれている、用水路の取水施設で、
主に取水量を調節するスライドゲートと、笛吹川右岸堤防の堤体をくぐり抜ける樋管からなり、
今ある形は1992年(H4)に整備されたものであるとわかりました。
取水部分を見ました。
笛吹川の流れの一部がここに引き寄せられ、用水の始まりの水路に流れ込んでいます。
取水口側からゲート、さらにその先の樋管になっていくようすを
水際ぎりぎり(まさに背水の陣)で撮ってみました。
先ほど見た取水口からの水は、樋管により堤体をくぐり、
ここに出てくるのです。
堤防に沿って左右に分かれ、その先、その先へと用水が供給されていきます。
こうした用水路の始まりの部分、大切なものだと思いました。
そんなに大それたものではないが、そこに歴史は深く、重要性が感じられました。
にしざわおおはし [橋と川の文化誌]
山梨市三富川浦にある西沢大橋を訪ねました。
(今回のは、“続きを読む”昨日も使わずに、長くなりますがお許しください)
この橋は、一般国道140号の雁坂トンネル(有料)の整備・
供用開始にあわせて建設されたもので、雁坂トンネル側と川浦集落側とを
4分の3周くらいの円弧を描いて結びます。
川浦側の欄干親柱の一つに「平成8年3月竣工」の文字が見られました。
さらに、橋の中央寄りに歩を進めました。
その部分で、下流側を見たところです。
遠くに広瀬湖の湖面が光って見えました。
それから橋の、川の流れの真上辺りから、直下をのぞき込んでみました。
川の急な流れを調整するいくつかの堰堤が設けられていますが、
そこに見られる深みの透明感のある、まさに水の色、
見ているだけで涼しくなるものがありました。
さて、この橋ですが、とても大きくて、しかも
ぐるっとループ状になっているので、全体を把握するのは難しいです。
近くにある道の駅に、地図模型がありましたので写真に撮り、
その一部、西沢大橋のある辺りを切り取ってみました。
橋を渡るというよりは、谷間の空間を使って、大きなループで
標高差を緩やかにつないでいる橋なのです。
まだまだ続きがあります。
例によって、橋の下から観察しました。
とても雄大な構造です。
こんな構造物を作り上げてしまう・・・。
人の力は、すごいなぁ・・・。
橋の下をくぐり抜けて、雁坂トンネル側の橋のたもとに出ることが出来ます。
雁坂峠側から見た西沢大橋の渡り始め部分です。
で、また片側につけられている歩道をつたって、流れの真上辺りに進みました。
そこから下流側を見たものです。
反対方向に目をやると、西沢大橋に来たばかりのころは見えていた鶏冠山、
すっかり雨雲に包まれてしまいました。
その辺りは、笛吹川の源流域。
そして、あのずっと向こうは彩の国埼玉の秩父地域になるのですね。
てんじんはし [橋と川の文化誌]
昨日の記事にもちょっとだけ登場した天神橋をクローズアップします。
芦川に架かる鋼製桁橋で、赤い欄干がポイントになっています。
国道に通じる側から見た状況です。
手前の欄干の下にあるプレートには、「平成17年5月竣工」とあります。
まだ満3歳になったばかり・・・。
その反対サイドにある同様のプレートを見ました。
平仮名で橋の名称が記されていますが、よく見るとその文字は、
地元の小学校の児童の書になるもののようです。
近年、こうした取り組みが時々見かけられることがあります。
橋もそうですが、公共物が大切にされない時代に、自分たちの財産という認識が生まれ、
そういう意味でいいのかもしれません。
川の左岸側から見た橋の前景です。
先の方の側(北詰)だけに隅切り(というのかな)が施されています。
また右手の欄干親柱近くには、ミミズクを彫り込んだ石のオブジェが置かれています。
芦川の清流越しに、右岸側を望みました。
橋の下流側に、以前に架かっていて、すでに取り外された橋の
橋台の跡が確認できます。
最後に、鋼製の橋桁に付けられていた「道示」プレートです。
天 神 橋 2005年1月 上九一色村 道示(2002)・A活荷重 [以下略]
とありますので、2002年の道路示方書の規定に基づいて設計された、
古い言い方では「2等橋」に相当するものです。
2005年1月には構造が完成していたことがわかります。
ちなみに各地にこうしたりっぱな橋を残してくれた県内有数の鉄鋼構造メーカーは
もうありません。これからできる橋は、どんな会社で作るのかな・・・。