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「川中島&松代」見てきた報告 [エートマンのお出かけメモ]

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 今日は土曜日・・・ 遺跡調査happyなどもあったようですが・・・、
でも一日まじめに(?)お仕事でしたので、
今日の話はありません。なので・・・

 昨日のことの詳細版です。
 写真は、八幡原の歴史公園で、地元の老人クラブの
元気なお姉さん(?、右端の黄色のはっぴを召している女性)の
名調子を聞いているところです。
ボランティアさんたちが、ボランティアさんの説明を聞く・・・
という構図なんですね。

 まあ、そんなことで、ちょっと、いえ、だいぶ長くなりますが
お付き合いいただける方は、≪続きを読む≫からどうぞ・・・070316hachimanbara03.jpg

 伝説の両雄一騎打ちのブロンズ像の前で、
みんなそろって記念撮影です。
 あちゃ、ちょっとピンぼけですが・・・

 後ろのブロンズ像ですが、本陣に腰を下ろしている信玄に
馬上の謙信が太刀を振り下ろすの図でして、
信玄は手にした軍配で、斬りつける刃を振り払うというものですが、
定番なので、きっといま放映が進んでいる大河ドラマでも
このシーンが見られるかも知れませんね。
 なお、このブロンズ像は、昭和44年に放映の大河ドラマ「天と地と」
の折に、ブームを当て込んで設置されたものなのだと、
彼の黄色いはっぴのボランティアおばあちゃんが教えてくれました。

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 お次は、長野市立博物館。
外観写真がなかったので、前回紹介の松代大橋の上からみた
雪雲に煙る飯綱山を背景にした博物館の遠景写真でがまんしましょう。

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 長野市博の館内見学です。
ここは、一部を除いて、写真撮影が可だと伺いましたので、パチリと・・・
でも、その後は見るのが夢中で、撮影どころではありませんでした。

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 歴史公園と博物館で、午前の部は無事終了。そしてお昼・・・。
「あなたのそば」よりも「信州信濃の蕎麦」が選択されたのです。
こちらの写真は、食事どころの外観で、右がそのお蕎麦屋さん。
で、左は「峠の釜飯」が名物のドライブインです。
そして、一番手前のバスが、今回お世話になった中型観光バスです。

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 食事の後、皆さんがおみやげを見ている間のわずかな時間、
前回の記事となった、松代大橋を猛ダッシュ・・・があり、
“ぜいぜい・・はあはあ・・”しながら、周辺の景観を撮影したのですが、
こちらの写真は、千曲川の上流方向で、画面中央に謙信が布陣したとされる
妻女山が見え、画面の一番右に、その後に行く予定の典厩寺が見えます。

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 午後の一番は、典厩寺。
 典厩寺は“てんきゅうじ”と読みますが、典厩というのは、
信玄の弟の武田信繁の官途名の左馬助の中国流の名称で、
ここで壮絶な討ち死にをしたとされる信繁の菩提を弔う寺として、
この名が付けられたのだそうです。

 境内に入って、初めに案内されたのは、閻魔堂です。

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 当然、閻魔堂の中には、閻魔様が・・・
ご案内の方の説明では、ここには、川中島の合戦に倒れた、武田勢と上杉勢
双方の多くの霊を、「亡くなったものには、敵も味方もない」と
仲良く慰める心が込められているものだとのことでした。

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 こちらは、典厩寺の本堂。
向拝の左右に、上杉の毘沙門の旗と武田の孫子の旗が掲げられています。

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 ちょっと余談ですが、本堂の写真の右隅に映っているウサギが気になって
という方のために、クローズアップ画像をお示しします。
実は石のウサギとカメの像なんですが、なぜかは聞きそびれてしまいました。

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 それから、カエルさん。境内にある立派な灯籠の台石に一体となって
掘り出されたものです。これは、何でも・・・お参りした人が無事
カエルようにとか、ご案内の方がまじめな顔をして解説してくれました。

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 典厩寺といえば、信繁さんのお墓です。
神妙に説明をうかがい、心を込めて、お参りしてきました。

 古い話ですが、大河ドラマ「天と地と」では、
主役の上杉謙信を石坂浩二、武田信玄は高橋幸治、
そしてわが信繁さんは浜畑賢吉という配役でしたねぇ。
(ほんと古いね! あっ、これ、ネットで調べたことだよ)
と、また脇道にそれてしまいました。

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 お次は、海津城。武田信玄が北信地方を安定的に支配するための要として
また上杉軍と対峙する際の本陣として築城されたそうです。
写真は天守台ですが、もちろん武田時代のものではありません。

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 城跡には、風林火山ブームを反映して、関係の幟旗が立てられており、
冷たい強い風に激しくはためいていました。

 武田時代は、海津城といいまいしたが、現在見られる石垣や
復元された門などは、ポスト武田のもので、その名も松代城となった時代のもの。
皆さん、そこのところをよくお分かりいただけたでしょうか。

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 最後は、松代の町の中に残る真田10万石の遺構と
真田宝物館の見学となりました。

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 ここでも、ボランティアさんにご説明をいただきました。

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 そしてご説明により、御殿形式の建物には、身分の差により
玄関が三通りに配置されていることなど、勉強してきました。
この建物については、今朝のNHKテレビでも紹介がありましたね。

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 今朝のテレビ番組では、貴重な文化財を上手に利用しながら
大切に後世に伝えていく取り組みがあるとのことを伝えていましたが、
現在、御殿建物の中では、古いものから少し前のものまでのお雛様が飾られ、
訪れたものの目を楽しませてくれていました。
いくつものお雛様見ながら、こうした取り組みがとてもいいなあ
との思いを強くしました。
まさにアイデア次第でいろんな展開ができるのですね。

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 アイデアといえば、一番の奥座敷に、床の間を背にお座布団と
肘掛けと、さらに「松代藩十万石当主」のプレートが置かれており、
ふつうであれば、少し離れて見るだけなのでしょうが、
ここでは、そのお座布団にすわって記念写真をお取りください・・・と。
なかなか、心憎い演出に思わず、代わる代わるすわってみたのでした。
しばしの十万石のお殿様気分に浸りながら・・・

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 先ほどまで見てきた御殿建物などは、
松代藩の学校の遺構(旧文武学校)でした。
 そして、そのとなりは、現在の松代小学校。
折から掃除の時間で、竹箒でお掃除・・・なハズでしたが、
ほうきを構えて、すわ、川中島合戦の再現か・・・
さすがに武士の師弟が学んだ場所にある小学校の子どもたちであるかな・・・
またまた、脱線気味にですが、心に強くとまりましたものですから・・・

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 次は、真田邸。
国史跡でして、現在、保存整備工事が進められていて、
お庭の一部が公開されているのみでしたが、
よく手入れされ、樹形が整えられたサンシュユが
美しく咲き始めていました。

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 それで、最後の見学は、真田宝物館です。
もう疲れたので、ここから先は割愛です。
それにしても、ずいぶんしっかりとした研修でしたが、
皆さまもここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

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 で、おまけをもう一つ・・・
松代藩の城下町の一角に、通りに面した展示室がありまして
よく見ると古い消防のはっぴやら、半鐘やら・・・
一体何なのでしょうか、と思いながら歩を進めると・・・

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 それは何と、消防の詰め所だったのです。
こちらの写真は別角度で見たものですが、
一番手前が、消防車の格納スペース。
で、一番奥が、その問題の、展示スペースでした。
 もちろん観覧料無料。やはり、信州の教育力のあらわれなんでしょうか。

 以上で、長い長いレポートを終了します。
長いことありがとうございました。ご感想などありましたらよろしくお願いします。
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