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那口翁頌徳碑の裏面のこと [地域の小さな歴史]

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 午前に所用で出かけた帰り、ちょっとだけ、寄り道して立ち寄り
ました。先日の調査で、裏面の情報に接してはいたのですが、内容
を記録する時間がなかったので、写真だけでもということでした。

231003naguchi_ou_shotokuhi02.jpg

 で、裏側はこうでした。光の当たり方が非常にわるく、“記録”
になりませんでした。またの機会に・・・でありました。
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那口熊蔵さんの頌徳碑、もうすぐ建碑100年に・・・ [地域の小さな歴史]

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 昨晩の地元の研究会でのお話に触発され、このブログでも過去に何度か
ふれている那口熊蔵さんの頌徳碑のこと、あらためて見つめ直してみました。
2006年撮影の碑文の写真から、碑に込められて地域の歴史をしのんでみたわ
けですが、大正13年春の建碑でしたから、来年の春に100年を迎えるという
ことで、なんかいい節目に再会できた感じでした。
 ちなみに、碑文のなかに記されていた「摂政宮」さんが、富士山麓から甲
府に向かわれた節に、ここをお通りになられたのが大正11年とのことで、
建碑のきっかけになったこの出来事からは、確実に100年経過でした。
 何かできるかな・・・。

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200年前の題目塔 [地域の小さな歴史]

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 前回の記事の富士橋の新橋東詰付近に、題目塔が見られます。
向かって左側の面が正面で、ここでは右側面が見えています。
この右側面に、次のような刻字が観察されました。

   文政六癸未歳 九月十三日 願主舟場中

 文政6年は、西暦では1823年。ちょうど200年前に当たります。

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 それから願主の舟場中についてですが、『角川地名大辞典』19の「黒沢河岸」(p.348)
の項(上掲写真参照)に拠ると、富士川に注ぐ新川の南側、すなわちこの石碑のある
一帯に「甲州三河岸」の1つ、黒沢河岸があって、とくに「舟場」と呼ばれていたと
理解できます。
 このことから、石碑(題目塔)は、黒沢河岸の機能に従事していた大人衆の結縁に
よって造立されたものと考えられます。

230903hi02.jpg

 こちらは題目塔の正面寄りの景観ですが、碑の正面に「南無妙法蓮華経」の題目が
日蓮宗独特の髭文字で彫り込まれ、その左側に

   日蓮大菩薩 五百五十遠忌 御報恩謝徳

とありました。
 日蓮(1222~1282)の550年の遠忌を記念して、「報恩謝徳」の心を表するという
願意が読み取れそうです。もっともちょうどの550年経過ではなく、いくぶん早く祈願
をこめて造立されたとみられます。

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近隣集落の古民家建築 [地域の小さな歴史]

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 元日の午後の散策で、少し離れた集落の中を歩いてみました。そこでは、いく
つかの古い民家建築を見ることが出来ました。今回はそのスケッチです。
 最初は、突き上げ屋根のある切妻藁葺き屋根民家で、波板鉄板葺きに変わって
いる建物です。百年は経っていそうな感じ、養蚕を盛んにしていた頃の建築様式
だと思われます。

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 最初のと狭い通りを隔ててのお隣に、切妻藁葺き屋根で、同様に鉄板がかけら
れた建物の妻面が見られました。こちらはずいぶん軒の出が小さく、土壁の痛み
が激しくなっています。

210101kominka03.jpg

 痛みが激しいせいで、土壁の下地などが観察できるのがまたおもしろです。

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 そこから少し歩みを進めると、土蔵が見られました。役割を終えかけたような
梯子が味を添えています。

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 すぐにまた別な土蔵が見られました。

 こんなふうに、歴史を伝える建物群、いったいいつまで残っていくのかしら…。

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161104投稿「久々の古レール観察」一部訂正 [地域の小さな歴史]

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 この11月4日に投稿しました記事「久々の古レール観察」の中で、気になる箇所があり、先日再確認を
行いました。その結果、一部について訂正を要すると思われたので、再度メモを残します。
 写真は、問題の観察場所です。赤丸で囲った部分に、11月4日にのせた古レールの刻印が見られたので
すが、古レールは、再使用後に何度もペンキを塗り重ねられるので、だんだんと読み取りにくくなります。
今回の件は、そういうことも要因ですが、何より陽刻の字体の理解が足りなかった部分が大きかった
ようです。

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 再度の観察の結果、こうなりました。どこが訂正されたのか、前回の記事と見比べてください、
というのもどうか、ですね。
 訂正箇所は、製造年を示す4桁の数字の末尾で、前回の記事では「1948」と見ていたのが、
「1946」と読み直されたということです。繰り返しになりますが、たいへん判読しにくい状況
となっています。そこで色鉛筆を用いた干拓(こすり出し)を試みた結果、8ではなく、「9」を
逆さまにした「6」と見るのが妥当と判断されたのです。
 そそっかしいエートマンには、よくある失敗、大目に見てやってください。引き続きよろしくお願い
いたします。

久々の古レール観察 [地域の小さな歴史]

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 とある駅の建物の一部に、転用されたレールを見ました。そこには、刻印(陽刻)があって、
それによって、19481946年5月に日本製鉄で製造されたものだとの理解がうまれました。戦後間も
なく作られ、長く列車の走行を支え、いま本来の役割とは違う形に姿を変えてがんばっている
ものです。

《訂正コメント;16.11.14》
 この時、1948年と見たのは、再度の観察によって「1946」年度と見るべきと判断され、訂正させて
いただきます。詳しくは・・・こちらの後記事で

文化ノ向上ハ・・・(文化の日に) [地域の小さな歴史]

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 笛吹市一宮町の国分地区公民館の敷地の一角に、題額に「記念碑」とだけある石碑を見ました。その
本文は、「文化ノ向上ハ・・・」として始まっているものでした。末尾の方には「郷愛心ヲ結集」「資益
ニ最善ヲ尽くシテ有終ノ美績ヲ挙ゲン・・・」とあり、末行に「昭和十一年一月一日 国分区」と締め
くくられています。とてもすごい石碑、どんな経過で建碑されたのか、とても不思議なものですが、
「文化の日」にふさわしい感じがしました。

西嶋の古いお家たち [地域の小さな歴史]

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 国道52号の旧道に面した町の中に古い面影の家をいくつか見ました。
その1で、土蔵造りのお家です。

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 道路を移動しながら、その家の反対側を見ましたよ。

先の副将軍・・・ならぬ [地域の小さな歴史]

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 前回登場のピカピカの石碑。今回はその中身について見てみます。
碑の中央には、「完成記念碑」と大書されています。
いったい何が完成したというのかな、と その情報、いや上方を見ると
「小曲土地改良事業」とありました。

 つまり小曲地区の田んぼの区画整理(たぶん)が完成したということ
を端的に示した石碑、それがこの碑の性格のようです。
 それがわかると、次はどなたが文字をお書きになったか、ですが。

 左脇に添えられたご署名は、先の副将軍ならぬ、ずっと前の「自由民
主党副総裁」であらせられた金丸信さんでございました。
ここで、すでに歴史ですね。

《追記》画像リンク調整および記事内容の一部修文を行いました。2018年1月15日

がきののど [地域の小さな歴史]

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 一度アップしたデータは、何度も使い回し、サーバーの節約に・・・。
まあ、そんなことはともかく、前回の話題の烏帽子橋、それが架かる石空川、
その上流にどんな秘密があるのかが、今回のテーマです。

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 烏帽子橋から、少し西に進んだところにフレンドパークむかわ(大武川河川公園)がありまして、
その入り口にこんな説明板が立っているのです。
それが秘密の入り口・・・。

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 そんなことがあったんだ~。

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 説明板にあるマップを切り出して、少し書き加えをしました。
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