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200年前の題目塔 [地域の小さな歴史]

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 前回の記事の富士橋の新橋東詰付近に、題目塔が見られます。
向かって左側の面が正面で、ここでは右側面が見えています。
この右側面に、次のような刻字が観察されました。

   文政六癸未歳 九月十三日 願主舟場中

 文政6年は、西暦では1823年。ちょうど200年前に当たります。

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 それから願主の舟場中についてですが、『角川地名大辞典』19の「黒沢河岸」(p.348)
の項(上掲写真参照)に拠ると、富士川に注ぐ新川の南側、すなわちこの石碑のある
一帯に「甲州三河岸」の1つ、黒沢河岸があって、とくに「舟場」と呼ばれていたと
理解できます。
 このことから、石碑(題目塔)は、黒沢河岸の機能に従事していた大人衆の結縁に
よって造立されたものと考えられます。

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 こちらは題目塔の正面寄りの景観ですが、碑の正面に「南無妙法蓮華経」の題目が
日蓮宗独特の髭文字で彫り込まれ、その左側に

   日蓮大菩薩 五百五十遠忌 御報恩謝徳

とありました。
 日蓮(1222~1282)の550年の遠忌を記念して、「報恩謝徳」の心を表するという
願意が読み取れそうです。もっともちょうどの550年経過ではなく、いくぶん早く祈願
をこめて造立されたとみられます。

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