丑年の幕開けの馬頭さん [いのり・信仰]
ここ10年ほど、元日の恒例行事として、歩いて地域散策をしています。ふだん
何気なく見ていたものに思わぬ奥行きを見いだしたり、見逃していたものを見つ
けることが出来たり、いつも収穫が盛りだくさんです。
そうしたなかで、今年は丑年ですが、とある人気の途絶えた場所で見つけた石
仏ですが、頭頂に馬の頭をのせた仏さんです。
はじめ、やったぁ~丑年にウシが見られたとか、バカな状況に陥りました。で
も、すぐに気を取り直して、馬頭観音さんのやさしい表情・・・、とくに お馬
さんがうまく表現できるように、と撮影にいそしんだのでありました。
三猿の一覧 [いのり・信仰]
申年がはじまったかと思い、新しい企画を考えているうちにもう正月も三分の二が経過、
完成までには時間がかかるかもしれませんが、とりあえずスタート。
エートマン編『三猿の図鑑』です。
2016年01月10日「6年前に見た青面金剛さん」
2012年06月18日「竹森玉諸神社境内の青面金剛さん」
2011年10月19日「しょぉめんこんごうさん、あるいはさんえん」
2011年05月13日「さんえん3」
2010年07月08日「しょーめんこんごーさん」
2007年06月14日「慈徳院の石塔」
2007年04月03日「ある石像について」
(この記事の最終更新は、2016年1月20日です)
6年前に見た青面金剛さん [いのり・信仰]
2010年の1月10日に、市川三郷町のとある無住寺の一隅で見た青面金剛の石像です。
このところ、撮りためた過去の写真を見返すことがありまして、調べてみると、
このブログに登場することなく経過し、HDDの中にうずもれていたのです。
石像の下部は、少し埋もれてしまっているようで、青面金剛像の下段に彫られた
三猿のレリーフも隠れ気味です。
そう、三猿なんです。今年は申年。見ザル・言わザル・聞かザルの猿の年なのです。
半分埋もれたようになっているから、すぐに取り上げなかったのかと思うところですが、
この申年の初めに当たり、いきおい載せてみたものです。
トビス峠の天狗さん [いのり・信仰]
前回の写真をまた頭に置きながら、今回はトビス峠のツガの大木の
根元に祀られた古い石像物のお話です。
まずは例のツガの木の根元のようす、ご覧ください。
ツガの木は、尾根の鞍部のいちばん低いところからほんの少し南側、すなわち神座山側に
上がったところに生えていまして、峠を見渡す急な斜面にある、という状況です。
さらに根元に寄りますと、ツガの木に抱かれるように、一体の石造物が
安置されていました。
こういう環境にお祀りされているのは たいていお地蔵さんか馬頭さんですが、
どうやら今回は雰囲気が違うようです。
さらに近づいてご尊顔を拝見。
ああっ、天狗さんではないでしょうか。
トビス峠のツガの木とその根元に祀られた天狗さんを
ローアングルから一枚に納めました。
檜峰神社から神の山・神座山、さらに仏の山・釈迦ヶ岳と続くルート上に
何とも天狗さんとは、いい感じであるなぁと思わずにはいられませんでした。
富士山への巡礼の証 [いのり・信仰]
前回の法久寺さんの、山門の前に いくつかの石造物が並んでいましたが
そのうちの1つに惹かれるものがありました。
石造の観音座像ですが、台座を支える柱の部分にとくに注目です。
富士山がどう関わるのか、続きは「えーと何だっけ?!」詳細版でどうぞ
お水神さん@西嶋 [いのり・信仰]
前回の写真の2カット目の馬頭さんの背後に見えていたのが、このお水神さん。
日常の生活と切っても切れない大切なものが・・・水。
文字通り、その水を司る神さまです。
ないと困る、多すぎてもこまる・・・そんな水に寄せる想いが形になったのでしょう。
ばとうさん@西嶋 [いのり・信仰]
西嶋の集落を散策しているときに出遭った馬頭さんです。
観音の頭上のお馬さんは、羊みたいなお顔。
観音さんも田舎チックスマイルで、胸で手を合わせる柔和な印象でありました。
南無、馬頭観世音菩薩・・・。
かっしのとう [いのり・信仰]
甲府市小曲町で、自然石に「甲子塔」という文字をきりつけた石碑を見ました。
甲子は、十干十二支の60通りの組み合わせの最初で、「ひのえね」であり、
音で表すときは「かっし」となります。
このあたりのことまでは知っていたのですが、甲子塔というのは、
あまり意識の中になかったので、ちょっと新鮮、どんな性格のものなのだろう、
いろいろと調べて見ました。
参考になったのは、『甲府の石造物』(甲府市役所 1993年刊)という文献、
その224ページにくわしくでていました。
それによると、甲子講の人々が建てた記念碑であることが理解ができました。
芋づる式に疑問が・・・、「甲子講」とは何でしょう。
甲子の日の夜、講に研修する人々が仏寺に寄り合い、大黒天を祀って甲子祭を行う
ことなんだそうで、陰陽道で祭祀を行うに吉日とされる甲子、
それに仏教と神道が習合した習俗と言うことです。
甲子の日の夜の習俗は、甲子待ちとも呼ばれ、子の刻(いまの23時頃)まで起きていて
商売繁盛などを願って大黒天をお祀りするもので、大豆や黒豆、二股の大根などを
縁起物として供えていた・・・そのように解説がありました。
さらに「ウィキペディア」の甲子の項によりますと、甲子の「子」はネズミであり、
ネズミは大黒天のお使いとみなされていたそうで、そうしたことから深夜の
子の刻を皆で待つ行事、となったようであります。
そうしたことが盛んに行われた時分に、それを記念してこのような石碑が建てられた、
と考えられるのであります。
ちなみに今日(2013年10月13日)は壬子であり、この後、直近の甲子は10月25日になります。
ところで、この甲子塔、いつ建てられたんでしょう。
裏にまわって細かくチェックする必要がありましたが、このとき現地では
正面から見ただけで観察不十分。
でも先にあげた文献にきちんと情報がでていました。
明治19(1886)年の10月31日に「朝井村」の人々が建てたということでした。
あれ、朝井村って何だろう。 とても長くなったので、今回はここまで、朝井村はまたいつか。
≪追記151113≫
「朝井村」については、このブログの中で関連記事が2つあります。
まずは「『朝井村』のこと」(2013.10.15)をご覧ください。
それから「秋晴れの夕暮れに・・・」(2007.10.21)をご覧ください。
[補記:画像データおよび関係するリンク情報を再設定しました 2023.10.3]
埴山姫命 [いのり・信仰]
とある道祖神場で見た石碑です。
向かって左手は「蚕影山」で、養蚕の神様です。
問題は向かって右側の文字。う~ん、難しい。
とある道祖神場とは、笛吹市の竹居地区コミュニティセンターのある敷地の一角でありました。
ところで、はじめの写真で見た難解な文字ですが、何とか何とか姫の命(みこと)と
女性の神様のお名前のようだということは、現地でも理解が出来たのです。
しかし一文字目と二文字目が・・・ね。
じっくり眺めていると、一文字目は「埴」(はに)という字だろうと・・・。
で、適当な字を推し当ててネット検索すると、「埴山姫命」(はにやまひめのみこと)では、
という答えに出会いました。
それから芋づる式に、作物を生み出す女神らしいということがわかってきました。
「蚕影山」(こかげさん)と「埴山姫命」が併記されて、そこに蚕がうまくいい繭をたくさん、
それからいろんな畑の作物が豊に実るよう・・・お願い!!!
という地域の皆さんの気持ちがいっぱい込められて建てられたものだ
と考えられるようになりました。
前回の記事で、うまく実らなかったモモの実を畑の隅に捨てた農家の方も、
気持ちは同じ、次はうまくできますように、と神に祈る心持ちなんだろうな。