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お地蔵さんの前掛けに・・・《後日譚》 [いのり・信仰]

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 こちらは、甲州市大和町田野にある曹洞宗の著名な寺院、景徳院です。
このお寺さんが有名なのは、戦国の雄、甲斐武田氏の最後の当主・武田勝頼が
妻子とともに自害し、武田氏がその終焉を迎えた地となっていることにありますが、
毎年春、4月12日の武田晴信(信玄)の命日のころ、この写真にある山門周辺で
サクラがきれいに咲くことでもよく知られています。
先月末の「昭和の日」に、景徳院さんを訪ねたときには、すでに葉桜になりかけていました。

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 その山門の左手側の背後に、こうしたお地蔵さんが見られる場所があります。
実は、このお地蔵さんの、向かって右端の像には、このブログが始まって間もなくの頃、
「お地蔵さんの前掛けに...」という記事を残した経過があります。

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 これらの2点の写真が得られた、2005年11月13日に現地を訪れた折りの記事に
リンクをつけましたが、それだけでは、ちょっと寂しいので、
今し方、4,800件あまりの登録画像の一番初めの方まで遡って、
これらの2点の写真のパスを探し出しましたので、ここに再掲したしだいです。
実に54ヶ月ぶりの登場ですが、2つのその時の写真いかがでしょうか。

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 そしてこちらは、今回の2つめの写真の元データから切り出したものですが、
2005年11月14日のその記事「お地蔵さんの前掛けに...」に出てくるお姿とはっきり違う点があります。
それは、その時に見られ、その時の話題とした、あのお前掛けが無くなっていることでありました。 これにより、2つの時間の隔たりを皆さんにも直接的に確認いただき、
今日の話題にのっていただけるのではないかと思うところです。

 でも、それだけのことなら何も「後日譚」なんて大袈裟に構えなくても・・・
と、皆さんお思いになりますよね。
そうです。今回のお話しはそれだけ、すなわちお前掛けの有無だけにとどまらないのです。

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 話題は、さらにその先へ続きます。そのため、まずは景徳院さんのご本堂をご覧ください。
何度かお参りしている景徳院さんで、この景観は見慣れたものでありましたが、
今回は何を思ったか、さらにその先、ご本堂に右手に進み、さらに裏手まで・・・。

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 ご本堂の裏手に、小さなお堂がありました。
中にかわいらしい仏さまがお祀りされているようです。

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 その仏さまの背後の上部には、こうしたお名前札が取り付けてありました。
曰く 「岩舩地蔵大菩薩」 そうです。いわゆる “岩舟地蔵” さまであられました。

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 かしこみながらお姿を撮影させていただき、さらにかしこみながらここにご紹介です。

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 とてもとてもやさしい表情で、手を合わせ 一心に祈りのお姿のお地蔵さまでありました。
さて、このカットが今回の話題のメインです。よーくご覧ください。
もうお気づきかもしれませんが、この特別なお地蔵さんがかぶられている頭巾、
その色合いと模様、実にそっくりではありませんか、あのお前掛けと・・・。

 エートマン考えるに、例のお前掛けとこちらの頭巾は、同じ方が同じ材料で、
ほぼ同じ頃につくられ、それぞれのお地蔵さまに捧げられたのではないか。
露天の地蔵菩薩立像の前掛けは、4年近くの月日の中で、痛んでしまい取り外されてしまったか。
でも、お堂の中の岩舟地蔵菩薩座像のお帽子は、露天の場合のように痛みはなく、
いまでもこうしてお地蔵さまのおつむをまもっている・・・、
そういうことではなかったのでしょうか(合掌)


《補記:2024.4.29》
  1)画像リンクならびに過去記事へのリンクの再設定を行いました。
  2)長い文を読みやすくするため、若干の修文を行いました。

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