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えぼしはし [川と橋の文化誌]

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 この道路は、甲斐駒ヶ岳地区広域農道で、前々回までにかかし祭りを楽しんだ韮崎市円野町から
北杜市武川町を通って同市白州町鳥原までの13,515mをつなぐもののうち、
北杜市武川町柳沢地内でありまして、その先に橋があります。
 その橋が今回のテーマで、前回予告の怪しい話は、さらに次回になります。
すみませんが、はしからず、じゃなくて、あしからず。130907eboshihashi03.jpg

 初めの写真から、さらにていねいに見ていきます。
向かって右手が上流側、左手が下流側で、ほぼ東西方向に架かる橋を西側から見ていますが、
下流側にのみ歩道が設置されています。

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 橋の下流側欄干ですが、明確な親柱は見られません。
従来、一般的に親柱に付いているようなプレートが欄干の横材についていまして、
「竣工 平成16年1月」とありました。

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 橋の歩道を歩いて東詰近くまで進むと、そこには「えぼしはし」と橋の名が
平仮名で表示されていました。

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 その場所から上流側を見ると、「石空川」と前回取り上げた川の名称が記されているのでした。
「石空川」の読み方、しつこいですが、だいじょうぶですか。
(ちなみにこの写真は、前回の記事に使用したものの再掲です。)

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 それから残りの1つ、上流側の西詰めのプレートですが、「烏帽子橋」と
こちらは漢字で橋の名称が表記されていました。

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 橋の歩道を通過中、真ん中辺りで、石空川の下流を見ました。
川の流れの先にあるお山は、中山です。山頂に三角点があって、その標高は887m。
戦国の昔、このお山の山頂一帯には、中山砦が築かれていました。
確かずいぶん以前に、発掘調査も行われていたような・・・。

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 反対の上流側です。この石空川をさかのぼると・・・、はい、それは次回のお話ですね。

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 エートマンの橋観察の定番は、下から見上げること。
ちょっと無理をして、撮影ポイントを探し、5カットほどの写真を結合ソフトでつなげて、
パノラマ写真にしました。
この烏帽子橋は、鋼製桁橋で、鋼製の桁材の表面は人工錆となっています。
つまりメンテナンスフリー。あ、この場合のメンテいらないとは、塗装に関してですが。

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 橋の桁部分を含めた下からの撮影ポイントについては、まったく直感で選んだのですが、
直感がうまく働いたせいか、そこには道路示方書に関する表示が見られました。
1996年版の示方書に基づいて設計されているB活荷重橋、昔でいう一等橋です。

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 お終いは、1基だけ設けられている橋脚の上部の支承部分です。
地震に強い積層ゴム支承が採用されていました。
 この積層ゴム支承については、同じ甲斐駒ヶ岳地区広域農道で、ここより東側の
まだ未供用段階の小武川大橋を取材した際に、細かくチェックしています。
よろしければそちらもご参照ください(・・・こちらから)。
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