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かつて舞鶴城公園(甲府城跡)内にあった「わかふじ号」 [あったとさ]

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        (写真出典:山梨県立考古博物館第38回特別展展示図録)

 このほど、史跡甲府城跡の歴史について確認したいことがあって、ある図書を
開いてみたとき、なんとも懐かしい写真に目がとまりました。以前見たときには
少しも気にしていなかったのに。
 ある図書とは、山梨県立考古博物館の第38回特別展「甲府城のすべて―石垣と
瓦の考古学」1921でありました。その16ページの中に掲載されていたのが、上に
掲げた写真です。
 ただし掲載写真のキャプションには、少し問題があって、あらためて確認する
とノースアメリカン製のT-6Gで、復座の練習機でありました。
 この機は、戦後に自衛隊が発足する中で、訓練用の機材としてアメリカ軍から
供与されたもののうちの1つなのでありました。1960年代の半ばに用途廃止され、
甲府駅近くの舞鶴城公園の一画、歴史的には甲府城跡の稲荷曲輪の南寄りに展示
されることになりました。最初の写真はその最終段階を写したものでした。
 この写真の時、県による舞鶴城公園再整備事業が進められていて、石垣の解体
修理の最中であり、間もなく当該練習機も航空自衛隊入間基地に返還されたとい
うことのようです。

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       (画像出典:ブログ「くろちゃんの甲府城つづりⅡ
  https://blog.goo.ne.jp/koufujyou26/e/c272cb3a1652c554f40d7dae803b228a )

 2010年代に、この公園再整備に平行して進められた発掘調査を担当していた
文化財専門スタッフが残したブログの中にも、関係する記事がありました。そ
の関係ページをスクリーンショットしたのが2つ目の画像です。
 この記事によって、県のかつての青少年科学センターと関連をもって野外展
示され、とくに「わかふじ」号と呼ばれていたことがわかります。

 なお、この機の現在ですが、いくつかの曲折を経た後、身延町内の個人によ
り、再び野外保管されていることが確認できました。
(たとえば http://hikokikumo.net/a3923-1-MinobuTown-Tokumei.htm
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