かんながら・・・ [巨木・記念木・気になる木]
写真は、2006年6月4日撮影の檜峯神社の大杉です。
( この写真は、3枚の写真を縦方向につなぎ合わせたものです。
画像データサイズが大きくなるので、例外的に250ピクセル幅
としています。)
旧御坂町時代は、町指定天然記念物とされていました。
しめ縄がまわされているので、御神木なのでしょう、おそらく・・・。
つらつらと、思いめぐらすに、こうした自然のなせる技の前に
人はとても小さい存在です。
で、大きな自然と、小さな人とを結びつけてきていたのが、
神(もしくは、信仰の力)なのではないでしょうか。
人がいない地球に、自然はあっても、神は存在できません。
人がいて初めて、神も自然の中に息づいていくのです。
最近、環境が厳しいのは、そうした神の力が、弱まっているから・・・?!
こうくると、宮崎駿の世界、たとえば『もののけ姫』とか・・・。
やはり人にしかできない、神とともにした暮らし、
信仰の力による、バランスのよい関係。
そんなものを再構築していく必要があると、思います。
山の中で誰も見ていないから・・・などと、山林などへのゴミの投棄・・・
しかし、神は見ているのだぞ!!!
その神は、その人の中に存在するか、しないか、が問題。
学校で、知識としての“徳育”をすればいいのではなく、
親から子へ、地域の大人から子どもへ、
ずっとずっと伝えていくべき規範、その底辺に神がいなくては・・・
ごめんなさい、新興宗教をしようとしているのではありません。
戦後、社会規範が壊れてきているのは、
やはり、神さまが見ている、というような生き方がなくなったから・・・
そんなふうに思っているだけなのです。
あの赤いミニ鳥居が、効力を持つのは、まだ多少なりとも
人の心の中に、神の力がわずかながらも存在する証拠。
神は死に絶えてしまったわけではないのでしょう。
環境月間に、神の復活を祈りつつ・・・
2007-06-04 23:59
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コメント(4)
遅ればせながら、私も行って来ました。
熊に注意しながら。ケイタイが圏外だったので、ゆっくり美味しい水を飲んできました。
by nontan (2007-06-08 19:15)
nontan様 いつもながらコメントありがとうございます。行ってこられましたか。
そうそう、お出かけの前にご案内すべきでしたが、行くときは、大きめの水筒など持参され、かむなびの神座のお山に、かむずまる檜峯の大神の神庭に、尊くこそ流れいずる清き水を、有り難く、かしこみかしこみも汲み申し、家に帰りてコーヒーなど沸かすは最高です・・・ということをかしこみもお勧めしまお~す。
by bnvn05 (2007-06-09 03:21)
今回のタイトルですが、正しくは「かむながら」とすべきでした。手元の『広辞苑』によると、「かんながら」は「かむながら」を見よとなっていて、そちらの項では、①神でおありになるまま。神として。②神の御心のままで人為を加えないさま。神慮のまま。とありまして、この記事の意図からすると、後者の方の感じなのです。その辺をうまくご理解ください。
by bnvn05 (2007-06-09 03:27)
そうなんですよ。持参のペットボトルに水を入れてきましたが、もっと大きな容器を持ってくればよかったと痛感しました。
風で木々が揺れる音、鳥のさえずりしか聞こえず、ぼーとしてきました。そうそう、当然仕事もしてきましたよ。
by nontan (2007-06-09 08:22)