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変わりゆく橋 [川と橋の文化誌]

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 先日(1/19)訪ねた鰍沢町の箱原地区から鹿島地区を見た景観です。
鹿島集落の背後のお山と箱原地区の田園が広がる景色が強調された景観ですが、
両者の間に富士川が、とうとうと流れています。
 これまで鹿島地区の背高のっぽの「ひのみちゃん8号」や
箱原地区の三角の「ひのみちゃん9号」を紹介しましたが、
それらの存在に気付いたのはたまたまで、ねらいは
この地で富士川に架かる鹿島橋を見ることでした。

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 富士川をまたいで国道52号と鹿島地区とを結ぶ鹿島橋です。

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 上の写真の左手の鹿島橋の欄干親柱です。
石製ですが、「富士川」と書かれたプレートの下に彫り込んで描かれた
線画がとてもいい感じを出しています。
遠い昔の富士川の舟運を思い出させる絵なのです。

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 こちらは鹿島集落側から国道52号方向を見たものです。

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 また上の写真の左手よりに位置を変えてみましたが、
こちらの親柱には、舟運の絵の上に「平成19年3月竣工」とあります。

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 さらに下流側に下がって見てみました。
富士川の流れにしっかりとしたスマートな橋脚を3つ立て
両岸をつないでいます。

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 いつものように下からのぞき込んでも見ました。
4列のI型鋼材を並べて構造する桁橋です。

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 この橋を見た1月19日の前々日は、阪神淡路大震災の起こった日(1995年1月17日)に
当たっておりました関係もあって、この頃は、耐震の話題が多く見られますが、
その大震災からの復興後は、こうした橋梁の構造も耐震性を重視したものになっています。
 例えば、橋桁は、写真に見るように、橋台の上にゴムダンパーを介して据えられていますし、
横方向でも、桁と橋台の間には隙間があってゴムが挟まれていて、
地震の揺れを受け止める工夫がなされています。
取り付けてある通信管や送水管なども、かたい管がその部分では
柔らかい材質の繋ぎ手となっています。
大きな地震で橋が揺れても、だいじょうぶなような配慮が
尽くされているということです。

 ここまで、できたばかりともいえる鹿島橋を見てきましたが、
この昨年春に竣工する以前はどうだったのでしょうか。

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 新しい橋になる前は、こちらの旧鹿島橋が
両岸を結ぶ重要な役割を担ってきたのです。

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 旧鹿島橋は、鋼製の下路ワーレントラスの形式をもつものですが、
ここを訪ねたときには、その解体のための準備工が進められており、
やがて消えていく運命にありました。

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 新しい鹿島橋の上から見た旧鹿島橋です。
細かく見ると2つの橋脚を富士川の流れに立ち上げ、
大きく開く南側2区間を平行弦ワーレントラスとし、
短い北側の1区間は桁橋としています。

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 これがトラス構造と桁構造との接続部分ですが、
一つの橋脚の上に別々に乗っているようすが観察されます。
これはどんな意味があるか、現場では気付きませんでした。
手がかりは、次の2つの写真にあります。

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 こちらは桁橋部分についている「道示」に基づく
橋の企画などを記録したプレートです。
これにより桁部分は、1956年の「道示」に基づいて
1962年12月に鰍沢町が設計した「2等橋」であることがわかります。

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 こちらはトラス橋部分に付けられている同様なプレートです。
これによるとトラス部分は、1964年版の「道示」に準拠した
1967年8月の鰍沢町設計の「2等橋」だとわかります。

 この2つの、時期が違い、形式まで違う組み合わせについての解釈として、
初めは桁橋として4つ程度の橋脚により5径間ほどの
桁橋として1962年に架橋されたものかと推測され、
それが橋脚を減らして、川の流れへの影響を小さくするため
長い径間が確保できるトラス構造の採用により、
1967年に再整備されたものではないかと想像されます。
 こうしたことの実際は、自治体史などを調べればわかることかも知れませんが、
これまでの経験では、橋の歴史の詳細はなかなか記録されていないものです。
またこうしたことも、旧橋の上部構造が解体され、橋脚の基礎まで撤去されてしまえば
まったく分からなくなってしまうでしょう。

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 こちらは、新しい鹿島橋のプレートです。
これによれば1996年の「道示」に基づいて2004年3月に設計されたもので、
クラス別も「B活荷重」で、阪神淡路大震災を受けての改訂の前の
「道示」でいう1等橋であることがわかり、計画も県となっているなと・・・。

 さて、ややオタク的に新旧の橋とそれにまつわる歴史を
簡単に見てきましたが、言葉が足りないところがかなりあります。
その辺はまた他の橋を見ながら考えていきたいと思います。


《補記 2024.3.24》写真の再掲調整ならびにカテゴリ修正と一部修文を行いました。
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