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一戸さんの忠魂碑 [忠魂碑の類]

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 前回、金桜神社の黄金の桜を紹介しましたが、
その金桜神社には、これまで何度もお参りしてきましたが、
それは、拝殿などがあるところの脇の駐車場にとめてのものでした。
それで、今回は、下の鳥居から石段をずっと登っていくことにしました。
しかし、このとき、正午過ぎで、空腹感に襲われていたので、
長く急な石段を登るのには、若干エネルギー不足・・・。
そこで、この写真の右手にある「宮川」さんというおそば屋さんに入り、
腹ごしらえをしてからのチャレンジでありました。
とてもおいしいおそばで、おまけに筍と蕗の煮物をサービスしてくれて
満足感いっぱいでの金桜神社参りとなったのです。

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 お腹がいっぱいになったところで、石段手前で、すこしおそばが落ち着くまで
あっちこっちキョロキョロと・・・。
一番最初に目がとまったのが、この忠魂碑です。

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 陸軍大将一戸兵衛さんの書になるもので・・・

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 背面にまわると、昭和3(1928)年11月に「帝国在郷軍人會宮本村分會」
により建立されたことがわかりました。それも「御大典紀年」として。 一戸兵衛さんは、安政2(1855)年、青森県生まれで、
大正4年に陸軍大将となっており、大正8年には退役しています。
現役を退いた後、大正15年から在郷軍人会長に就任しており、
昭和6年になくなっています。
 在郷軍人會は、明治の末年から大正・昭和初年と、わが国が軍国化していく路線を
民間の立場から支える装置で、最終的に多くの人々を
悲惨な先の大戦の戦場に駆り立てる役割を果たしたのですが、
現在社会においては、その意味を理解する人も少なく、日の当たらない存在となっています。
 こんなものは、日が当たらない方がいいに決まっていますが、
歴史に向き合わない姿勢は問題を生むことになりますので、
時々こうした過去の歴史を伝える記念碑として、眺めて歩くのです。

 そうそう、これまで見たなかで、一戸兵衛さんの書になる忠魂碑は、
山梨県内ではほかに、恵林寺(甲州市)の境内のものと、武田神社(甲府市)の一隅のもの
などがあります。
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コメント 2

不断齋

昨日、奈良県五條市の賀名生(あのう)へ行ってきました。こちらは南北朝期の歴史に興味をもっておりまして。北畠親房の墓前の忠魂碑がすごかったので揮毫を見ると一戸大将でした。どうすごいかと言うと、狛犬のように前両側に飾り立てがあり、何と直径20センチくらいの大砲の弾です。時代の背景が感じられました。画像はそのうちサイトにアップしたいです。どんな大将かいなと調べると、この記事に行き着きました。いやー、見てる人もいるんですね。忠魂碑。
by 不断齋 (2008-06-09 18:44) 

bnvn05

不断齋さま、遠くからご来訪いただき、コメント頂戴し、感謝申し上げます。
大砲の弾を模した忠魂碑があることは、承知していましたが、山梨ではまだ確認していません。
記事本文にも書きましたが、そう難しいことを考えているのではなく、たんなる備忘録的に見たことを書き連ねているのです。よろしければ、またお出かけください。
by bnvn05 (2008-06-10 23:27) 

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