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佐久神社境内の忠霊碑 [忠魂碑の類]

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 今年の元日にお参りした甲府市下向山町の佐久神社さんの境内でのスケッチです。
大きく「忠霊碑」と書かれた石碑がありました。
立派な書ですが、天野さん(父さんの方)かな、そんなふうにも思いながら、じっくり拝見しました。

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 近づいてびっくり、天野さんではありませんでした。
「靖国神社宮司 筑波藤麿」さんのお手になる書でありました。 筑波藤麿さんって、いったいどんなお方なのでしょう。
現代では、すぐにネットで検索してお答えが見つかる便利な世の中。
今回は、とくにウィキペディアにお世話になりました。

 筑波藤麿(つくば・ふじまろ 1905~1978)さんは、
元々は、藤麿王とおっしゃる皇族であらせられました。
お体がお強くなく、皇族の男子の軍に入れられる例にならわず、
帝国大学で歴史のお勉強をなされ、その後もその道のご研究に打ち込まれた由。
大学を出られて間もなく、臣籍降下なされ、筑波家をたてられました。
1946年に靖国神社の宮司におなりになり、お亡くなりになるまで
第五代宮司をお勤めになられました。

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 さて、その筑波藤麿さんの書のある裏側に回ると、この石碑が昭和34年に
旧中道町によって建てられたこと(文字にすると単純だけどすごいことですよね)
がわかりました。さらに・・・、

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 幾多の戦で尊い命を失われた、旧中道町出身の方々の御名が記されているのですが、
その始まりが西南戦争というから、ちょっと驚きを禁じ得ませんでした。
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