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火の見ちゃん50 [火の見櫓]

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 50回目の記念すべき火の見櫓は、笛吹市一宮町南野呂地区で見た
これまた背の高い、年代も古い火の見櫓です。
秋色のモミジを添えて逆光でお出ましとなりました。

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 反対の方向から順光で見ました。

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 この火の見櫓には、3つの鏨彫りによって記された刻銘のある
鉄板プレートが取り付けられています。
これはその1つで、この地域の出身で米国によって成功をおさめられたと思しき方が、
帰朝された際に寄附されたことによってこの火の見櫓ができました・・・というような趣旨で
その日付が昭和27年5月5日とうがたれています。

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 他に別な方が帰朝された記念にサイレンを1基寄贈したという趣旨のプレートと、
それからこの写真の火の見櫓の制作者に関するプレートがあるのでした。

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 「坂野鉄工場」さんはまだご健在か。
甲府盆地の東部には、こちらの製作された作品が多く見られるとの情報をいただいたのは
だいぶ前のこと、ここで情報提供をしてくださった酔人さんに厚く感謝申し上げます。

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 それにしてもこのところの火の見櫓は、スピーカがたくさん付いています。
生き残りをかけた火の見櫓のなかに、放送塔のような機能に特化したものが多く見られる
ような気がします。
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コメント 2

酔人

こんばんは
ご紹介いただき感激しております。
仰るとおり、甲府盆地の東部地域の多くは、銘板の「坂野鉄工場」さんの手になる作品だそうです。残念ながら、山梨市牧丘町隼地区のものは、解体されて失われてしまいました。つい最近、笛吹市一宮町石地区の作品も解体されてしまいました。消防団の再編に伴い、詰所の改築等でそのような運命になってしまったようです。今や、スピーカーがたくさん付いて放送塔のようになってしまい、本来の存在意義が失われつつあるのか、徐々に無くなる運命のようです。地域のシンボルだと思うのですけどね。
by 酔人 (2011-12-19 00:41) 

エートマン

酔人さま、コメントつけてくださり、情報のご提供と合わせ重ねて厚く感謝申し上げます。
地域歩きをしているとき、火の見櫓のある場所は、道祖神場と近接していたりして、集落の中心というか、とても大切な場所という感じを受け、何となく集落観というような規定が出来るかと思うようになりました。が、ご指摘のとおり、その火の見櫓は徐々に機能を失いつつあります。とめようのない歴史の流れですね。
もっともこれまで50ほど取り上げてきたような鋼鉄製の火の見櫓は、1950年代の初め頃に現れ始めたもので、わが国の戦後の疲弊が少しずつにいやされていくにつれてその数を増してきたものだと思われます。
「もはや戦後ではない」と誰かが言った有名な言葉がありますが、歴史的にその言葉が記録されたときよりずっと後の現在、確かな裏付けとしての火の見櫓の掃滅が1つは当てはまるかもなどと思うこの頃です。
何か意味不明なことになりましたが、重ねて感謝申し上げます。
by エートマン (2011-12-19 23:25) 

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