唐突に・・・桂川神社のこと [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
今年(2009)の7月15日の記事で似たような写真を載せていますが、
都留市の中心部にある勝山城跡から見た谷村発電所&変電所の写真です。
今回の話題の桂川神社の位置もわかるように、
写真の中に位置関係を書き込みました。
お山を下りた後、こちらの谷村変電所と、その隣り合わせに存在した
谷村変電所をたずねたのですが、そのことは、このブログの記事にはなっていません。
別に秘密にしようとしたわけでもなく、強いていえば、
あること、が引っかかってしまったからです。
あることとは・・・、今回のテーマの桂川神社なのでありました。
こちらが、その桂川神社です。
鳥居の額に赤い文字で「桂川神社」とありますね。
鳥居の先には、神社の本殿が見えます。
引っかかったこと、それは、「あれれっ、拝殿、どうしてないの???」
ということでした。
後日、都留市で開かれた、とあるシンポジウムの後、
地元で歴史の研究をなさっておられる方と、話をする時間が得られましたので、
話の流れの折を見て、このことを伺ってみました。
すると、「あれは、東電さんの神社で、東電の屋敷神さんみたいなものなんですよ」
というお話しでありました。
屋敷神さんの大きなヤツなので、とくに拝殿はいらない、そんな趣旨でありました。
ふーん、桂川神社は、てぷこさんちの屋敷神さんだったんだぁー。
なんか、J-POWERさんちの電力神社に似た感じがするよねぇー。
電力屋さんは、神様を大切にするんだな・・・。
さて、この写真の右端にご注目。
看板が立っているのが、お分かりになりますか。
こちらが、その説明書きですが、板に墨(毛筆)で書かれているのですが、
かなりうすくなっていて、ところどころ読めないところがあります。
基本的には、桂川神社の由緒が書かれているのです。
いま、佐久間電力神社の神様のお力に触発されて、
急に、この桂川神社の由緒書の中身を知りたくなりました。
ここにかかげたデジカメの記録写真を引っ張り出して、読み解こうとしましたが、
完全には、読めません。
なので、誤解もあるかもしれませんが、おそれずに続けると、
桂川神社は、桂川の水で、電力を起こす事業者の中で、
発電の安全を祈るために祀られたようです。
この桂川水系における発電事業の歴史は古く、大正の御代まで遡ります。
この谷村発電所のもう少し上流にある鹿留発電所から、
ここを経由して、遠く新宿の戸塚変電所まで恒長95kmの長距離送電は、
さらに途中で分岐し、大田区仲六郷3丁目にある六郷変電所まで及んでいました。
(分岐から六郷変電所までは17kmだそうです)
で、この桂川神社の由緒書の後の方に書かれていることで、
ぐっと惹きつけられたのは、戸塚変電所と六郷変電所の双方に、
この桂川神社が分祀されていたという事実であります。
実際、「東京電力 & 桂川神社」でネット検索したところ、
『大田区』の公式ホームページの中に、「六郷むかしばなし」という記事があり、
その1節「変電所の池」というお話しの中に、
・・・むかし桂川の変電所といってたんです。 山梨県桂川の水力発電所から電力が送られてきたからで、 今でも構内に「桂川神社」という小さな祠があります。 祭神は木花開耶姫(このはなさくやひめ)、桂川の水源が 富士山だったからでしょう。
という、興味深い部分がありました。
おっと、佐久間電源神社から、芋づる式に、話がどんどん広がってしまいました。
ひとまず、この辺りにして、またいつか情報が蓄積されたら、
こうした話題を掘り下げてみたいと思います。
ちなみに、桂川神社という名前の神社が、入間市木蓮寺870何番地かにも
存在することが、先ほどのネット検索で引っかかりましたが、
きちんと拝殿があり、本殿がある、オーソドックスな神社さんのようで、
そちらの神社の、電力関係との結びつきは、あまりなさそうに見えました。
2009-09-14 23:28
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