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大原発電所の跡 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 駒ヶ岳神社にお参りし、尾白川を吊り橋から眺めての帰り道、ある発見をしました。
この写真は、帰り道で振り返りざまに見たもので、この画面の真ん中に通じる道の左手に
コンクリート製の構造物があるのがそれです。

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 それを近くから撮影したもので、縦長のコンクリートブロックの上部に、
不思議な穴が見られるのでした。いったいなんだろう・・・。
カギはあの不思議な穴の中にあるに違いない・・・。

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 穴の中、覗いてみました。
それはコンクリートブロックの中に斜めに埋め込まれて鋼管でありました。
注意深く観察すると、シームレス鋼管ではなく、円筒形に調整された鋼板を
リベットで継ぎ合わせて作成されたもので、年代物であることが理解されました。
そのような古い製作法による鋼管ですが、なぜかコンクリートブロックの表面に合わせ、
切断されたものであることもわかりました。

 鋼管の構造や傾きなどは、水力発電所に接続する高圧鋼管に近いもの
があるなぁとの考えにいたりました。
付近をもう少し注意してみると、鋼管が通っていた方向と平行するように、
いまは使われていない水路が見られたのです。
 これはやはり水力発電所の落水管とオーバーフロー時のための水路の組み合わせしか
考えられなくなりました。

 それで、帰宅後にさっそくネット検索すると、そこにはかつて大原発電所があったということが
判明しました。
 大原発電所とは、大正10(1921)年3月に稼働開始した駒発電の小規模水力発電所であり、
今回確認した落水管で毎秒0.22立方mの水を落とし、横軸フランス式水車を回して
3,500ボルト・220キロワットの三相交流を出力していたというものでありました。
先の大戦中、電力統制という国策により、駒発電は周辺の小規模発電会社とともに
関東配電に吸収され、戦後は東京電力に引き継がれていきますが、昭和47年10月末に
時代の要求に合わなくなった小水力は廃止される運命となったそうであります。

 忘れられてしまいそうな産業史を物語るりっぱな産業遺跡だったわけで、
甲斐駒ヶ岳、駒ヶ岳神社、尾白川渓谷などの観光資源に加え、もう少し光を当ててもいいかな
などと、この記事をまとめながら夢を見た次第です。

 この記事をまとめるのに当たって、次のWeb情報を参考にしました。(感謝)
雷『白州町”ほっと”ふるさと通信』
    「山梨県における電気事業 白州町、宮川義汎の電気事業 尾白川に会った大原発電所」
雷『水力ドットコム』「発電所ギャラリー 大原発電所」
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