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いまふくさん・みょうほうじ [寺院めぐり]

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 中央市今福の集落内をさまよっているとき、
通りの先に赤い屋根のお寺さんが目にとまりました。

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 境内入口の脇に標柱があり、「今福山妙法寺」とありました。
そう広くないと思われる境内に、二つのお堂が並んでいたのが印象的でした。

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 こちらは、正面の奥手にある本堂です。
ガラス戸の模様や棟の飾りにある紋章から日蓮宗の寺院であることが容易にわかりました。

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 本堂の手前に建つ鬼子母神堂です。
日蓮宗のなかで鬼子母神さんは、詳細はわかりませんが、深い関わりがあるようです。

上野のこうしょうじさん [寺院めぐり]

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 秋の色合いを漂わせていた、市川三郷町上野の光勝寺さんです。
県道36号笛吹市川三郷線に向かって山門(仁王門)を開いています。

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 山門の状況です。

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 光勝寺は山号を市瀬山としていますが、その山号寺号が山門に掛けられていました。
反対側の柱には、「高野山真言宗」と大書された標札が掲げられているのでした。
それと<わらじ>がたくさん掛けてあるのにも少し目を見はりました。

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 山門前のかたわらに、<歴史文化公園・みたまの里>のタイトルのある
説明板が立っていました。
このお寺さんの由緒などがコンパクトに記されていて、うまく理解が出来ました。

じっくり拝見、ほんしょうじさん(その5) [寺院めぐり]

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 今回の焦点は鐘楼に当たります。

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 鐘楼だから、当たり前ですが、鐘が吊られていて、
それを打ち鳴らす撞木(しゅもく)も見られます。
よく見ると、ここの撞木は、シュロの木を用いたのではありませんでした。

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 この本照寺さんの鐘楼の前にも、文化財の説明板がありました。
その内容は別に確認するにして、大まかに言えば
吊されている梵鐘が町指定文化財だとのことでした。

 さてさて、付録としてまた説明板の内容を記録しておきます。


  町指定文化財
   本照寺梵鐘

    元禄九年(一六九一)に鋳造された銅製の
   和鐘で、江戸時代の最盛期(寛文~元禄)の
   所産である。
    笠形の突起が大きく、乳の数が百八箇、鐘
   座の位置が高い等、江戸時代の特色が十分う
   かがえる。

   指定 昭和五十八年三月十日
   所有 本照寺
            市川三郷町教育委員会


ということでありました。

 そんなふうに説明を読むと、実物が気になります。
でもその前に、説明文の中の専門用語がちんぷんかんぷんです。
「笠形の突起」って何のこと? 「乳」って108個もすごい!でも何のことだろ?
「鐘座」って?

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 それで、調べてみましたよ。
便利なサイトのお陰です。

[ひらめき] 参考にしたwebページ『寺子屋NET 蓮浄寺』の中の
「鐘楼・梵鐘について」というページです。
いろいろな解説があり、撞木はシュロよりも脂身の松がいいとか、少々専門的ですが、
図解もあって、なぁーんとなく理解・・・です。

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 縦帯の上部に「南無妙法蓮華経」の髭題目と「広布山」「本照寺」の各文字が
陽刻で表されています。
そして縦帯の下部を挟んだ左右の池の間には鏨彫りされた銘文が見られます。

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 銘文は「甲陽八代郡落居村有寺」という行から始まっていました。
「甲陽」は山梨県の昔の言い方です。「八代郡」も江戸時代の表記でいまは西八代郡です。
「落居村」も今でいうと市川三郷町落居ということに。
2行目は「名曰廣布山本照寺其寺」となり、3行目以下に続きますが、
その辺はちょっとばかり読み取り不能となりました。

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 縦帯を越えて後半の銘文ですが、「元禄第九暦丙子四月十六日」で始まり、
その後に施主と冶工の名が連ねられていきます。
とくに冶工については「甲州山梨子郡上府中」の「小田切三右衛門知徳」と
同じく「野沢忠左衛門義就」とありますが、
前者の小田切三右衛門知徳についてはちょっとだけ耳に覚えがあります。

 そうです、このブログの2006年10月27日の記事「きはらにて2」で紹介している
中央市木原に所在の三星院さんの梵鐘の、市の文化財指定の説明文の中にも、
彼の名が登場するのです。一年違いの元禄10年の梵鐘がそれです。

 ちょっと深くなったところで今回はこれまでとします。

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じっくり拝見、ほんしょうじさん(その4) [寺院めぐり]

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 もう少し本照寺さんのご本堂をじっくりと拝見することといたします。
まずは左側の方向から、本堂の向拝をのぞき込むように見たところです。
茅葺の屋根は、いまは圧延鉄板で覆われています。
二重の繁垂木が採用されていて、深い軒の出となっています。
向拝の内側には、彫刻が豊かな状況が見られます。
それから廻り縁の下を見ると凝灰岩切石で基壇廻りが化粧をされています。
この基壇の化粧はかなり最近のことかと思われました。

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 入母屋造りの妻の部分に懸魚を見ました。
かなり風食を受けていて、そこに経りにし長い歳月を感じさせています。

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 本堂の正面扉の左右にある柱に、赤い「消化器」の表示プレートが取り付けてあるのですが、
他のお堂の場合も含め、みな逆さまに付けられていました。
何か意味があるのでしょうか、よくわかりません。これまた不思議なことでありました。

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 本堂をぐるりの時計回りに廻りながら、観察を進めたのですが、
正面に向かって左手の隅の軒裏を見上げると、野地板が1枚はずれていて、
その内側の状況が観察できました。

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 茅葺の屋根裏が垣間見られたのでした。

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 目先をグルッと変えて、今度は縁の下。
お寺の本堂なんかの裏手や縁の下には、一般的に見て、いろいろなものが
押し込められるように存在しています。
ここでも例外でなく、梯子だとか、古い机だとか、いろいろと見られました。
でも、注目すべきは、そうしたものではありません。
正面側で見られた凝灰岩切石による基壇化粧は、本堂の側面にまわると、すぐに切れてしまいます。
見えるところだけを入念に、それが化粧の本質といえるかと思うほどです。

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 化粧がされていないところでは、版築なのか、それとも地山の削りだしによるのか
にわかには決めがたいものの、初期の基壇のようすと思われる状況が観察されました。

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 お終いは本堂の背面です。
古い注連のストックが目を惹きましたが、さらに強烈なのは、軒の支え、
いわゆる「つっかい棒」です。
歴史的な建造物によくみられる状況ですが、裏側は日当たりや通気性などの点で、
その他の部分より痛みやすいようです。
深い軒を支える構造が痛んで、つっかい棒が必要とされたのでした。

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 本堂の向拝の手前、左右に石灯籠が献納されていますが、
右手の石灯籠のそのまた右手に、小さな石塔が建っていました。
その正面に四行、記された文字に圧倒され、碑の裏手の建立年等の情報の確認はしていません。

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 それはお三方の法名と没年月日でありました。
武田勝頼とその夫人・北条氏、そして子どものものでありました。
でもいったい何故ここに?????
考えてもわかりません。
何かしらのご縁が有ってのことではあるのでしょうけれど・・・。

じっくり拝見、ほんしょうじさん(その3) [寺院めぐり]

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 少し回り道しましたが、ようやく本照寺さんのご本堂の前に到達しました。

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 ご本堂の前は、そんなに広くないので、上の写真のように斜め横から撮るか、
正面から撮る場合は、このように樹木がかかりながらとなるのを我慢して撮るかとなります。

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 向拝の部分を中心に見ました。
なかなか立派な雰囲気があるなぁ・・・と感じました。

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 さらに近づいて見たところですが、ちょっと気になることがありました。
それは、注連縄が張られていて、神社のような雰囲気が見られたことにありました。
不思議な感じでした。

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 境内に看板があり、このご本堂は、市川三郷町の指定文化財だということでありました。

 こうした説明板を見ると、何かそれをメモしておかなければ気が済まないと
そんなふうにこの頃思うことが多くて、例によってそれを記録しておきます。


  町指定文化財
      本照寺本堂
    広布山本照寺は、室町中期、康正元年(一
   四五五)の開創と伝えられる身延山の直末で
   ある。
    かつては、釈迦堂と呼ばれる一宇があって
   釈迦如来立像(像高九八センチメートル・日
   蓮宗形式による十界勧請)が祀られていたが
   現在の客殿に動座し、元禄元年(一六九二)
   下山村大工、石川伝衛門の手により建造され
   たのが現本堂である。
    入母屋造り、屋根茅葺で、正面五間(一〇.
   九メートル)・側面六間(一三.六六メート
   ル)に一間の向拝付きであり、元禄建築の遺
   構として誇りある貴重な文化財である。

   指定 昭和五十八年三月十日
   所有 本照寺
            市川三郷町教育委員会


ということでありました。
 元禄期の建築となれば、もっとその先も考えられるかしら・・・。

じっくり拝見、ほんしょうじさん(その2) [寺院めぐり]

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 本照寺さんは、南向きの小高い地形の上にあります。
なので、山門付近からずっと上がっていくのですが、
その参道も斜面を切り開いて造られているので、あちこちに石積みが見られまして、
それがなんとも歴史的な趣を醸し出しているのです。
写真は、山門脇の石積みのようすです。

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 山門から本堂の方向を見ています。
山門まで何段かの石段を上がってきたのですが、まだその先石段が続きます。

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 その一区切り分の石段を上がって見ました。
その先の石段の上、正面に本堂、左手に鐘楼が確認できます。
実はこの一区切り分上がったところは、単なる石段の踊り場ではなく、
左右に繋がる通路となっていました。

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それで、急に気が変わり、その通路を左側にターンし、
もう少し石積みのようすなど楽しむことに・・・。

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 参道の石段を左手(西側)の脇から見る形になりました。
巧みに石を積み上げ、石段を構築し、その脇の山を留めています。

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 石積みのようすを観察中、ふと目を手前に落とすと、
石灯籠の脇に、りっぱな陰と陽の自然石が置かれていました。
特段の説明もなく、さりげなくでありました。

じっくり拝見、ほんしょうじさん(その1) [寺院めぐり]

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 市川三郷町落居の台の集落の中、納まりつつあったヒガンバナの花を惜しみながら道を行くと
その右手にお寺さんの山門があるのでした。

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 こちら、その道路から山門をのぞき込んだところです。
でも山門までは何段かの石段が存在していました。

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 石段を上り行き、山門を見上げるところまで進みます。
で、大きな寺号を記した額がかけられていました。曰く「本照寺」、日蓮宗の古刹です。

 このあと、何回かに分けて、本照寺さんの境内でのスケッチをお伝えします。

にんしょうじ [寺院めぐり]

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 甲府市小瀬町にある仁勝寺さんです。
このお彼岸の最中にお参りしました。
山号を鳳堂山といい、臨済宗向嶽寺派で、笛吹市境川町小黒坂の聖応寺の末寺ですが、
寺伝に拠れば、長禄年中創建で開基は武田右馬助信長とされています。
やさしくいえば由緒ある古刹です。

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 本堂の前にある説明板ですが、このお寺さんのお宝についての解説のようです。
木造聖徳太子立像がそれで、重要文化財に指定されています。
昭和4年4月6日指定ということですから、早くからその価値が知られていたということになります。
聖徳太子のお像は、全国に数多く造像されたものが伝わっていますが、ここのお像は、
16歳孝養像とされる形式のものだそうです。
お姿をご紹介したいのですが、簡単にはかないませんので、仁勝寺さんのHPで
ご覧いただくことにします・・・・・こちらから

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 ご本堂の裏手には、八角円堂がありまして、宝蔵庫になっているようです。

竹居の浄源寺さん [寺院めぐり]

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 笛吹市八代町竹居にある滝沢山浄源寺を訪れました。
先日の台風12号の影響下、雨交じりの日にです。
右手の標柱には「浄源禅寺」とありますとおり、禅宗のお寺さんで、
細かくいえば、臨済宗、八代奈良原の広済寺さんの末寺にあたるお寺です。

 ここは参道の入口に当たるところ、ずっと奥に、後ほどご案内する
ご本堂が見えています。

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 標柱のかたわらに、三界万霊塔と並んで、石仏がおわしました。

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 この仏さんには、30有余年前、お会いしたかすかな記憶があります。
その時に同行の先輩に、「如意輪さん」だと教えていただいたのであり、
ネオパンSSというフィルムに、そのお姿を固定していたとの覚えがありますが、
その時の写真は、いまにわかに出てきません。

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 さて、参道を進み、境内地を少し近くから見ています。
参道の右手には、立派なシダレザクラがあります。
それから境内の左手には墓地が存在しています。

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 シダレザクラによって視界が遮られるのを嫌って、墓地の方向から
本堂と庫裏を見渡しています。

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 今回のお終いの写真は、浄源寺さんのご本堂です。
お寺の記録によると、江戸時代に火災に遭い、長らく再建されなかったようですが、
いつの時期か鉄筋コンクリート造のような形式で本堂などが再建されています。
檀家の皆さんのお気持ちが集まった結果だろうと思われます。

 さて、このお寺さんには、もう1つ、注目すべき事実が存在していました。
それは、また後で・・・。

じっそうじ・2011 [寺院めぐり]

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 前の日曜日、所用があってお訪ねした北杜市武川町に所在の実相寺さんです。

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 広い境内の中ほどに建つご本堂、先ほどの写真とは少し方向を変えて見ました。
画面の中央やや左手にお立ちあそばすのは、ご存知、日蓮さまです。
そう実相寺さんは、日蓮宗の名刹でありましたですね。

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 実を申せば今回のお参りは2度目、なのでちょっと新しいところに焦点を。
最近にリニューアルされたと見受けられた鐘楼です。
鐘楼は、鐘撞き堂とも呼ばれますが、お寺にあって重要な梵鐘を吊り下げ、
風雨からお守りするお堂ですね。
新しいお堂は、見たところケヤキ材を主とした造りで、木肌も新鮮、さわやかな感じでした。
その中に吊られている主である梵鐘の方はというと、
一見して年代を経た歴史的なもののよう・・・。

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 もう少し近づいてじっくり拝見すると、銘文が彫り込まれていました。
詳細はわかりませんが、この面の銘文の末尾の方に「承応四年七月十六日」と
この鐘が寺に納められたと思われる日付が記されていました。
承応4年というのは、単純に西暦に置き換えると1655年だそうで、350年余の時間が経過しています。
またこの鐘を寺に整備したのは、第11代のご住職、日念さんの時だった
ということも銘文から知られました。

 エートマンは、こうした歴史物にも詳しいなと思われるかも。
実はそうでもなくて、種明かしすれば・・・。

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 鐘楼のかたわらに設置されていた説明板にちゃぁんと書かれていたことの受け売りなのでした。
ちなみにこの説明板は、平成13(2001)年3月に設置されたもので、
「武川村指定文化財(工芸品)」とありましたが、その武川村はいま平成の大合併により、
北杜市武川町になっています。なお、その合併は平成18年3月15日でありました。
また村指定だったこの梵鐘は「実相寺の梵鐘」というそのままの名称で
市指定文化財になっています。

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 さて、実相寺といえば、わすれてならないものがあります。
それはこれ、「山高の神代桜」 国の指定の天然記念物であり、
わが国最古級の桜として有名で、サクラの花の頃にはたいへんな賑わいを見せますが、
いまはこんな感じ、静かにお日様の光を受け、葉っぱの葉緑素プラントで栄養をつくり、
次の春の花を咲かせるための準備をされているようでした。


〔参考〕前回(2008年4月12日)の花のようすをお伝えした記事は、こちら