まもなく・・・ [ぶんぶん文芸]
まもなく日付が変わります・・・
今晩は、旧暦でいうと、7月30日。
月齢は29なので、月はありません・・・
唐突な始まり方ですが、先ほどまで風呂につかり
窓の外のいちめんの闇の中から入ってくる
コオロギの鳴き音に聞き入っていたところ、
何やら、やってきました・・・
湯殿辺に 時を操る 術知るか
蟋蟀鳴きて 処暑は更けゆく
今日、8月23日は、暦の上で「処暑」、
自然に季節は移ろっていくものですが、
声高らかに歌うコオロギ。そやつが、まるで
自分が季節を動かして居るんだぞ、と言わんばかりに
聞こえてしまったのです。
やぁ、ひさびさのあれですなぁ~。
今晩は、旧暦でいうと、7月30日。
月齢は29なので、月はありません・・・
唐突な始まり方ですが、先ほどまで風呂につかり
窓の外のいちめんの闇の中から入ってくる
コオロギの鳴き音に聞き入っていたところ、
何やら、やってきました・・・
湯殿辺に 時を操る 術知るか
蟋蟀鳴きて 処暑は更けゆく
今日、8月23日は、暦の上で「処暑」、
自然に季節は移ろっていくものですが、
声高らかに歌うコオロギ。そやつが、まるで
自分が季節を動かして居るんだぞ、と言わんばかりに
聞こえてしまったのです。
やぁ、ひさびさのあれですなぁ~。
いずの・・・ [ぶんぶん文芸]
まだ梅雨明けしないけど、世の中は、もはや夏休みモード。
あ~あ、海とか行きたいな・・・
昨日は、休みだったけど、忙しく終わっちゃたし、
今日は日曜だけど、仕事なんです。
そんなんで、以前の伊豆の海の画像(03.3.24撮影)でも眺めて見ますです。
箱根路を 吾が超え来れば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄るみゆ (源実朝)
急に文学講座になりますが、作者の実朝(1192~1219)は
鎌倉幕府の第3代将軍であるとともに、歌人としても知られています。
鎌倉幕府の創設者、頼朝と妻・政子の間に次男として生まれ、
源氏の血統が自己で絶えることを予見していたといわれ、
現に、27歳の若さで、鶴岡八幡宮の境内で、甥の公暁により命を絶たれます。
しかし、短い生涯に、宮廷文化に強く傾倒し、すぐれた和歌を多く残しています。
その歌風は、現実感の深い情感豊かなもので、
万葉集のそれに似たところが注目され、万葉調歌人とも評されているのです。
・・・と、この夏休みはこんな感じで終わってしまうのでしょうか???
つぶやき・・・ [ぶんぶん文芸]
写真2点で始まりました。上は、“桑の実” 下は“七覚川”・・・
前者は、七覚川のほとりでの撮影で、両方とも6月5日に中央市豊富地内で・・・
こんな写真が2つくれば、自然に次の歌がつぶやかれます。
桑の実が熟れてゐる
石が笑ってゐる
七覚川がつぶやいてゐる
これは放浪の歌人とされる山崎方代の歌です。
方代は大正3年、旧右左口村(甲府市右左口町)の農家で、
8人兄弟の末っ子として生まれました。最後の子として「生き放題、死に放題」と
そんな父の思いから方代と名づけられたそうです。
昭和18年、出征中に砲撃の影響を受け右目の視力を失い、
復員後は、放浪生活を続け、昭和60年に肺がんのため亡くなっています(71歳)。
素朴なぼくとつとした口語の作風で知られ、望郷の念や
恵まれない日常をテーマにしたなど多くの歌を残しています。
七覚川は、この写真の付近では、水が伏流し、
雨の後を除くと、石ころばかりの水無川になりますが、
最近では、富栄養化の傾向があって、夏場は草に覆われてしまうようです。
七覚川の遠くに写る山の稜線の低くなったところが右左口峠で
七覚川の源流はその付近になり、途中、方代の生誕地を通過し、
撮影地を経て、最後は笛吹川に合流します。
方代には、他に次のようなこれとよく似た歌も見られます。
不二が笑っている
石が笑っている
笛吹川がつぶやいている
[補記:画像データの再設定およびカテゴリ変更をおこないました 2023.11.9]
ひさびさの・・・ [ぶんぶん文芸]
ぶんぶん文芸します。といっても今回は自作でなく
いわば鑑賞のコーナーっていう感じです。
北の方より駒鳳凰農鳥と
我が目を移す雪の高山 生更
愛宕山の西向きの山腹の道路脇に伊藤生更の歌碑があります。
雄大な南アルプスの眺めを詠んだものですが、歌碑の背面の記から
美知思波短歌会により『美知思波』発刊30周年と
創始者の伊藤生更の生誕80年の記念として昭和38年に
立てられたものであることがわかります。
昨日(3/20)このような画像がとれたのですが
これを見ていると、自然にこの伊藤生更の歌が浮かんできたのです。
もっとも愛宕山あたりでは、前景の山に隠れて北岳が見えず、
鳳凰の次は、いきなり農鳥になってしまいますが
この画像ではみんな見えます(ちょっと甲斐駒がかすんでいますが)。
(参考)やまなしまなびネット 山梨の文学碑伊藤生更の歌碑
いわば鑑賞のコーナーっていう感じです。
北の方より駒鳳凰農鳥と
我が目を移す雪の高山 生更
愛宕山の西向きの山腹の道路脇に伊藤生更の歌碑があります。
雄大な南アルプスの眺めを詠んだものですが、歌碑の背面の記から
美知思波短歌会により『美知思波』発刊30周年と
創始者の伊藤生更の生誕80年の記念として昭和38年に
立てられたものであることがわかります。
昨日(3/20)このような画像がとれたのですが
これを見ていると、自然にこの伊藤生更の歌が浮かんできたのです。
もっとも愛宕山あたりでは、前景の山に隠れて北岳が見えず、
鳳凰の次は、いきなり農鳥になってしまいますが
この画像ではみんな見えます(ちょっと甲斐駒がかすんでいますが)。
(参考)やまなしまなびネット 山梨の文学碑伊藤生更の歌碑