“ボロ電”見てきました [鉄道・電気機関車]
増穂町長沢の利根川公園の一角にある、通称「ボロ電」の
静態展示を見てきました。
真性てっちゃんではないので、今まであまり足が向かなかったのですが、
野次馬根性ですね。
あまりにも、ありふれた写真となりましたが、
お決まりなカットも必要かな、と。
電車の中には入ることはできないのですが、
内部のようす、ちょっと工夫してうまく撮ることが出来ました。
(決して中に入ったりしたわけではありません。ガラス越しです)
さて、ここからがエート・マン的世界。
電車をのせているレールです。
鉄道のレールには、側面に製造に関わる情報が刻印(陽刻)されています。
写真でもお分かりになるかと思いますが、書き起こすと
- 50N LD <マーク> 1968 ll
となっています。
初めの50Nは、レールの規格で、50は、50kg/mを意味しています。
またNは断面形状の規格です。
その次のLDは、鉄の製造方法に関する記号で、
この場合は「純酸素転炉」での製綱を意味しているそうです。
<マーク>は、そう書いてあるのではなく、製鉄会社のマークがあるという意味です。
このマークは、北九州市の八幡製鐵株式會社の社章です。
そして1968は製造年。それに続く2本の縦棒は、月の表示。2月ですかね。
こちらは、反対側のレール。同じ八幡製鐵製ですが、
1964年7月の製造で、製造方法は最後のOHから「平炉」と分かります。
どうして、そんな細かいことがわかるのか・・・。
それには、とても便利でおもしろいサイトがあるのですよ。
「古レールのページ」というのですが、
いつもお世話になり、ありがとうございます。
レールのことは、それくらいにして、再び電車です。
この地域を走っていたころの最終段階で、山梨交通が運行を担当していたのですが、
その社章が付いています。
静態展示されたところのかたわらに説明板がありました。
「ボロ電」の歴史を伝えています。
この電車が走っていた頃のことは、littlealps4383さんのブログ、
「Minami-Alps.Photo.Magazine」の2006年8月3日の記事に詳しいのでご参照ください。
長い、地域に結びついた歴史は、ともかくとして、
エート・マン的には、なぜこの電車がここにあるのかが気になりました。
説明板の最後の方を見ると、ボロ電が昭和37(1962)年に廃止された後、
そこで使用されてきた車両のうち2台が、長野県上田市を走るローカル線、
丸子電鉄に移籍し、さらに神奈川県の江ノ島電鉄に移ったそうで、
そこでチョコレート色に塗られ、チョコ電の愛称で親しまれたが、昭和61年4月に退役。
そこで役割を終えた車両1台が、ここ増穂町に引き取られたということです。
その後、平成4年には、覆い屋がかけられ、またlittlealps4383さんの情報では、
2006年の6月に、チョコレート色から、この地を走っていた往時の色である
明るいオレンジ系の現在のカラーリングに塗り替えられたということです。
いまも多くの人々に愛されて、守られている「ボロ電」でありました。
ここ増穂町も、まもなく、お隣の鰍沢町と合併し、「富士川町」となるそうですが、
「ボロ電」は、ずっとマイペースで、歴史を伝えていってくれるだろうと思います。
2009-06-08 23:06
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