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平和のシンボル [エートマン的kokoro]

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 ご存知の方は、すぐに分かると思いますが、
JR中央線甲府駅から南にまっすぐのびる道路は、戦後にいち早く
中央分離帯付き4車線道路として整備されたもので、
「平和通り」と通称されています。
 市内の高校に通っていたころ、「平和通り」は、南に延伸され
「新平和通り」と呼ばれるようになり、その後さらに、「新々平和通り」と
順に南に向かって整備が進みました。
 現在では、ひとまとめに「平和通り」と通称されるようになっています・・・

 と、ここまでが話の“まくら”でありまして、ここからが本題ですが、

 「昭和」という時代の終わり近くに、山梨で国体が開催された折り
「平和通り」は現在のようなかたちに景観形成されたのです。
その一環として(たぶん)、中央分離帯や歩道に設置されたのが、
冒頭のハトを主題としたブロンズ製のモニュメントであります。
 戦後日本の平和的な復興の証としての道路の名称として「平和通り」があり
その通りのモニュメントとして、平和の象徴としてのハトのブロンズ像が
作られたのです。

 今日、5月3日は、60回目の『憲法記念日』。
平和への思いを新たにするこのナショナル・ホリデーは、平和のうちに
終わろうとしていますが、憲法も平和も一日限りではなく、
永遠のテーマとして日々意識しながら生きていきたいと思うのです。

 なお、写真は、2006年2月1日の22:10の撮影で、
ストロボ撮影したものですが、そのままでは、暗いイメージだったので
ネガポジ反転をさせて、ご覧のような平和のシンボルの造形としてのせました。

“田舎のお店”と“お町のお店” [エートマン的kokoro]

 初めに、あらためてお断りしておきますが、
このブログで“田舎”もしくは“いなか”という言葉を使用する場合、
見下すような意味はまったく持ち合わせず、
ローカルの固有の味わいがある地域という程度に使用しています。

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 で、これは田舎のお店の外観の一部です。

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 またこちらは、お町のお店の外観の一部です。

 この対比は、初めから意図したものではなく、
たまたま収穫した画像を眺めている中でうまれたお話です。

 田舎には田舎の味があり、お町にはお町の味があります。
 田舎のお店は、塩・たばこなど、以前専売品と呼ばれるようなものも
含めて扱う、いわゆる雑貨店で、また、お町のお店は、洋品店でした。

 ここでそれぞれの画像の一部を拡大して、再び対比してみます。

070426inakanoomise02.jpg

 こちらが田舎のお店のクローズアップ画像で
店先を飾る花瓶にいけられた花が、里でも自然領域に近いところに見られる
ヤグルマソウやヤマブキであるところに、とても“らしさ”を感じます。
また武田信玄像と思しきフィギュアも見られます。

070426machinoomise02.jpg

 一方、こちらはお町の洋品店のウィンドウ・デコレーションです。
バニーガール風のフィギュアやらミッキーマウスやらが、
さりげなくウィンドウを飾っています。
写真では分からないですが、けっこう動くオブジェも見られました。

 それぞれが、それぞれでいいということのお話ですが、
それぞれのクローズアップ画像の左端を見くらべて見てください。
何か同じような置物があるのがわかりますか。
 それぞれ、前を通りかかる人の目を引くのに、
それぞれの持ち味を出している中で、ちょっとした共通項があったりして
おもしろいなぁ~と、感じた次第です。
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ある六地蔵について [エートマン的kokoro]

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 昨日、今日と天気がさっぱりしません。花曇りとでもいうのでしょうか。
天気がよくないとデジカメを向け、話題をつかむこともなかなかです。

 そんなことで、写真は、3月30日の撮影の六地蔵さんです。
甲府市上曽根町の県道脇に置かれたものです。
 この県道、昔は中道往還と呼ばれた道で、かなり前のこと、
ある調査の課題で、この六地蔵さんをチェックして、
記録カードに載せたのことがあります。
 実はその時、上段に3体、下段に3体、刻まれている地蔵菩薩の姿のうち、
下段が土の中に埋もれていたのでした。
 それで、6体ならぶ六地蔵が一般的に見られるが、
どうしたわけか、3体のみの特殊なものである・・・
とかなんとか、その写真に、そんなコメントをつけて、
カードを作成したのでありました。
 その後、電柱の立て替えや道路の整備などの関係で、
このお地蔵さまの石像は、いったん掘り出されて現在見るように
お祭りし直されています。
 ここを通るたびに、むかしの失敗が苦々しく思い出されますが、
ものごと一般に、それが氷山の一角かどうか、注意深く見る必要があるなぁ・・・と
あらためて心の緒を締め直していこうと思いつつ、この写真をアップします。


《補記:2024.4.30》画像リンクの再設定とカテゴリ修正を行いました。
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よくあそべ・・・ [エートマン的kokoro]

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 この写真は、きちんとした釈明がないと
不審者が、子どもをねらっているのでは・・・と誤解されそう。

 前々回前回と同じ大田和地区での光景です。
後ろ姿の自転車の女の子たちは、川遊びを終えて、
帰りに向かい始めたところのようです。
 目一杯の望遠で得た画像なんで、ずっと遠くのことですが、
カメラを向けた理由は、右側の女の子が、自転車の
ハンドル持つ手に、なんと網を持っていたから・・・
何か、魚でも追っかけに来たのでしょうか。

 まだ、家に閉じこもってない子がいた・・・

 前々回の諏訪神社の記事に書こうと思っていたことですが、
神社の境内には、それなりの遊具が整備されていましたが、
子どもの姿は、ずっと絶えて久しい雰囲気を持っていました。

 子どもを巻き込んだ すさまじい事件が続いているので
そんなところで遊んじゃだめよ・・・っていう感じがします。

 そんな想いがあったので、こちらの画像のように
子どもがお外で遊んでいた景色に接すると、祈らずにはおられません。

 オン・カカカビ・サンマ・エイ・ソワカ
南無、地蔵大菩薩、子らを護り給え・・・
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めもらんだむ [エートマン的kokoro]

 今宵、読んだ資料の中に、書き留めたいことがありました。
資料というのは岩波書店の月刊PR誌『図書』の2001年4月号掲載の
田辺聖子「武玉川・とくとく清水(十一)―『俳諧武玉川』の世界」で
キーワードは、“涅槃会”と“西行法師”です。

 まず、“涅槃会”ですが、2月15日、釈迦入滅の日とされています。
3日ほどまえのことですが、実際には仏寺では、寒のきびしいこの時期でなく
旧暦でおこなう年中行事になっているようです。
旧暦では、今年の場合、3月の中旬になります。

 そして“西行”。いわずと知れた平安時代末の歌人です。
その西行の最期にまつわり、次の歌が有名です。

  願はくは花の本にて春死なむ その如月の望月のころ

 如月は2月の旧名。望月は満月、すなわち月齢15日。
「如月の望月のころ」とは、つまるところ2月15日の
涅槃会のころということになります。
 現に、西行は建久元年(1190)2月16日に入寂しているよし、
願いどおりの往生と田辺さんは記されています。

 このブログの2月13日の「まんまるおつき」を書く時に
この辺のことを承知して書けば、すご~く格調高かったのに
と、ちょっとばかり悔やまれます。
まあ、「ちどりあし」の歌が似つかわしいということでしょうか???
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