その日、唐招提寺は・・・ [エートマンのお出かけメモ]
紅白の賑やかな幔幕・・・。
およそ古寺には似合わない装い・・・。
あの、唐招提寺で、ご本堂(金堂)が長い期間かけて行われてきた修復が終え、
このほど、創建当初の姿でよみがえった姿が見られると聞いて、
勇んでお出かけしたのですが、2009年11月3日、
この日は、午後から竣工のお祝いが開かれるご様子。
ご招待を受けられたかた以外は、「落慶法要」のセレモニー会場には入れず、
お参りは限定的になりました。
そういえば、確かY新聞の記事に、一般公開は11月4日からと書いてあったな・・・。
こうした、そそっかしさは、エートマンにはよくあるのです。
でもだいじょうぶ。
別なお堂などを拝見して、よろこびました。
わぁ~、軒瓦に「唐招提寺」の文字があしらわれている!
う~ん、こちらの築地塀に用いられている瓦にも「唐招提寺」と。
ぅん? でも違う、何かもう一文字あるよー。
違うんだぁ、何が違う? 軒丸瓦の真ん中に「律」の文字が・・・。
そうか、唐招提寺は、鑑真さんが唐の国からお見えになって開かれた
律宗のお寺さんでしたよね。その「律」の文字が中心に置かれているのです。
こちらの方が、古風? 本来的・・・?
話題は、このほかにも山盛り・・・の唐招提寺にいってきました!
めしもりやま [エートマンのお出かけメモ]
この岩、何かに見えませんか?
もうとうの昔のご存知の方は、何を今さら・・・かもしれませんが、
エートマンは、初めてのご対面でした。
(過去にここを通過していたのに、少しも認識したことなかった・・・悲しい・・・)
この岩は、この角度で見ると、獅子(ライオン)が、えものに近寄り、
いまにも飛びかかろうとしているところに似ているので、
獅子岩と呼ばれています。国土地理院の1/25000地形図にもでてますよ。
この岩の場所は、長野県南佐久郡南牧村。国立天文台から南側に上がったところです。
この獅子岩は、飯盛山の登山口にも当たっています。
それで、こちらが、北西側から見た飯盛山です。
何か、てんこ盛りのご飯の形に似てるから、この名がある・・・?
清里や野辺山地域を訪ねると必ず出てくる名所の1つですが、これも初めて。
(すでに何度かふれているように、エートマンは、知ってること以外は何も知らないので、恥ずかしい・・・)
山頂のシンボルです。
「飯盛山 標高1634m 南牧村」とあります。
実は、山頂は、この日も、たくさんの訪問者で賑わいを見せていましたが、
人混みの写真から、人影がないものを選び、切り出しています。
飯盛山山頂は、360度の視界が開け、西には、八ヶ岳連峰・・・
南東側には、茅ヶ岳や曲岳、そしてこの日はかすんでしまって、
少しも見えませんが、二つの山の間のその先に、富士山も眺望できるのです。
まとめのマップです。
北側の赤い波線の円で示したところが「国立天文台 野辺山」
それからその少し南側に「獅子岩」青い一点鎖線は、分水嶺で、
飯盛山までの登山ルートにもなっています。
実は、たいへんお馬鹿な話なのですが、エートマンはずっと、この分水嶺のラインが
県境だと思っていました(だから、飯盛山の半分は山梨県だと・・・)。
でも、大間違い。黒い太い一点鎖線が、ほんとの県境(昔は国境)なのでした。
知らないことが多くて、何でも勉強になりますね。
野辺山にて091031 [エートマンのお出かけメモ]
エートマン的に“野辺山”というと、これでしょ!
まあ、それくらい馴染みがあるところです。
何度も足を運んでいるところなのに、確認してみたら、
一度もこのブログで取り上げてはいない・・・。
エートマンにはあまり似つかわしくない場所なのか???
「これでしょ」じゃ何だかわかりませんよね。
45m電場望遠鏡。パラボラの口径が45mもあるのです。
時を同じくして、学生のグループとおぼしき若者たちが見学に見えていて、
聞くともなく聞こえてきたのが、「自重で歪むんですよね」とか。
そう、パラボラの構造自体の重さで、歪むのです。
で、歪んだら、はるか彼方から来る電波を正確にデータとして活かせない。
それでは困る。でも、だいじょうぶ、その歪みを計算し、補正して歪みを除去しているらしい・・・。
そんなのが、もう、30年近くも前に出来ていたのですよ、スゴイですよね!
45mもあるパラボラアンテナで受けた宇宙からの電波をキャッチする部分です。
いくら大きなアンテナでも、集めた電波を効率よくまとめていかなければ意味がない。
そういう意味で心臓部、いや目とか耳とかで受けた信号を
おつむに伝えるために働く部分に当たるか・・・。
やはり、優れた感性が大切・・・ですよ。
敷地を隣り合わせた地元自治体の文化施設がありまして、
そこの屋上展望台から見た、45mアンテナを中心とした野辺山天文台の概観です。
これでもすべては収まりきれないのですが・・・。
天文台見学の後、近くの飯森山に登ることに・・・。
お山の見晴らしのきくところから、あらためて眺めた野辺山天文台でございます。
奈良でのスケッチ・2題 [エートマンのお出かけメモ]
奈良の話題ばかり続いて恐縮ですが、
忘れん坊のエート・マンのメモという性格のブログなので、
もう少しだけお願いします。
1つめの話題は、JR奈良駅の周辺でのこと。
写真は、奈良駅前の通りの朝の表情を撮ったものです。
この中に話題の主が写っているのですが、小さくてダメなので、
次の写真をご覧ください。
話題の主なのに、とりあえず、しっかりと写したものがなくて、すみません。
これは、旧奈良駅舎です。
なぜ、これを取り上げたか、といいますと、話は長くなりますが、
奈良駅は、JR関西線とJR桜井線が乗り入れていて、その運行本数が多く、
駅周辺の踏切が、「開かずの踏切」状態で、問題になっていたようです。
そこで、奈良県では、駅を建て替え、駅の前後の間、二つの路線を連続効果にし、
交通混雑の緩和を実現しようと「JR奈良駅付近連続立体交差事業」を起こしました。
この事業により、昭和9年に2代目の駅舎のしてできあがった旧駅舎は
取り壊される運命となっていたそうです。
しかし、この駅舎、歴史ある奈良の町の雰囲気によくあった、
たいへん優雅な歴史的建造物で、解体を惜しむ声が高まり、
奈良県では、2004年5月に、曳家(ひきや)工法、すなわち建物を基礎から切り離し、
少し浮かせた隙間にコロを挟み、引きずって移動させる工事によって、
18m北側に移転し、保存を図ったということなのです。
さらに先の写真の一部を拡大してみました。
移転保存がなった旧駅舎の向こう側に、地上から持ち上げられた線路とホーム、
それに停車中の電車の一部がご覧になれるでしょうか。
ともかく2004年5月11日から4日間、このことを扱っているブログなどによると、
4億円ほど(注意:事業主体の情報ではありません)をかけて、移転保存を成し遂げた、
そのことがすごいなあと、現地を訪ねてみて、少し前の話題ではありますが、
感激しながらも思い出し、いろいろと調べ、メモとした次第です。
こちらは、移転工事のようすを記録した奈良県の工事所管部署である
「JR連続立体・幹線道路建設事務所」のホームページの一部です。
右側に、曳家をしている旧駅舎の施行状況の写真がでています。
そうそう、写真を整理していたら、前夜に撮影したものが出てきました。
こちらが移転され保存されている1934年完成の旧駅舎の前景です。
いいものを大切に何年でも・・・そうした努力の積み重ねで今があるのですね。
この旧駅舎は、いまのところフェンスで囲われたままですが、
来る2010年の「平城遷都1300年祭」にあわせて、新たな利用が始まるようです。
なお、駅周辺の土地区画整理や鉄道・駅舎の連続高架化などの事業も
基本的には、「平城遷都1300年祭」をにらんでのものということなのです。
それで、もういつの間にか、2つめの話題になだれ込んでいますが、
「平城遷都1300年祭」の話題です。
この画像は、平城遷都1300年記念事業協会事務局の運営する公式ホームページの一部ですが、
多彩な内容が、もう数年前から準備されていることは承知していましたが、
その関係事業の内容や進捗状況などが見られます。
このホームページ見て、いいなぁと感じたのは、たいへん丁寧な作りの
2010年実施予定の修学旅行のためのガイドブックが
PDFファイルで用意されていることです。
学校の先生方は、必見ですが、そうでない一般に奈良に関心がある方も
とても便利に役に立つコンテンツがいっぱいのガイドブックです。
ここまで、だらだらとしたエート・マンのメモにお付き合いされた方々は、
ぜひ、そのガイドブック(PDF:18MB)をお取り寄せなさり、
存分に楽しまれることをご提案します。
ちなみに、マスコット・キャラクターの「せんとくん」ですが、
さまざまに物議(仏議?)をかもしたことは記憶に新しいですが、
もうすっかり定着しているみたいです。
宿泊したホテルでも、真っ先に出迎えてくれました。
(以上、奈良での話題2つ、おしまいです)
忘れん坊のエート・マンのメモという性格のブログなので、
もう少しだけお願いします。
1つめの話題は、JR奈良駅の周辺でのこと。
写真は、奈良駅前の通りの朝の表情を撮ったものです。
この中に話題の主が写っているのですが、小さくてダメなので、
次の写真をご覧ください。
話題の主なのに、とりあえず、しっかりと写したものがなくて、すみません。
これは、旧奈良駅舎です。
なぜ、これを取り上げたか、といいますと、話は長くなりますが、
奈良駅は、JR関西線とJR桜井線が乗り入れていて、その運行本数が多く、
駅周辺の踏切が、「開かずの踏切」状態で、問題になっていたようです。
そこで、奈良県では、駅を建て替え、駅の前後の間、二つの路線を連続効果にし、
交通混雑の緩和を実現しようと「JR奈良駅付近連続立体交差事業」を起こしました。
この事業により、昭和9年に2代目の駅舎のしてできあがった旧駅舎は
取り壊される運命となっていたそうです。
しかし、この駅舎、歴史ある奈良の町の雰囲気によくあった、
たいへん優雅な歴史的建造物で、解体を惜しむ声が高まり、
奈良県では、2004年5月に、曳家(ひきや)工法、すなわち建物を基礎から切り離し、
少し浮かせた隙間にコロを挟み、引きずって移動させる工事によって、
18m北側に移転し、保存を図ったということなのです。
さらに先の写真の一部を拡大してみました。
移転保存がなった旧駅舎の向こう側に、地上から持ち上げられた線路とホーム、
それに停車中の電車の一部がご覧になれるでしょうか。
ともかく2004年5月11日から4日間、このことを扱っているブログなどによると、
4億円ほど(注意:事業主体の情報ではありません)をかけて、移転保存を成し遂げた、
そのことがすごいなあと、現地を訪ねてみて、少し前の話題ではありますが、
感激しながらも思い出し、いろいろと調べ、メモとした次第です。
こちらは、移転工事のようすを記録した奈良県の工事所管部署である
「JR連続立体・幹線道路建設事務所」のホームページの一部です。
右側に、曳家をしている旧駅舎の施行状況の写真がでています。
そうそう、写真を整理していたら、前夜に撮影したものが出てきました。
こちらが移転され保存されている1934年完成の旧駅舎の前景です。
いいものを大切に何年でも・・・そうした努力の積み重ねで今があるのですね。
この旧駅舎は、いまのところフェンスで囲われたままですが、
来る2010年の「平城遷都1300年祭」にあわせて、新たな利用が始まるようです。
なお、駅周辺の土地区画整理や鉄道・駅舎の連続高架化などの事業も
基本的には、「平城遷都1300年祭」をにらんでのものということなのです。
それで、もういつの間にか、2つめの話題になだれ込んでいますが、
「平城遷都1300年祭」の話題です。
この画像は、平城遷都1300年記念事業協会事務局の運営する公式ホームページの一部ですが、
多彩な内容が、もう数年前から準備されていることは承知していましたが、
その関係事業の内容や進捗状況などが見られます。
このホームページ見て、いいなぁと感じたのは、たいへん丁寧な作りの
2010年実施予定の修学旅行のためのガイドブックが
PDFファイルで用意されていることです。
学校の先生方は、必見ですが、そうでない一般に奈良に関心がある方も
とても便利に役に立つコンテンツがいっぱいのガイドブックです。
ここまで、だらだらとしたエート・マンのメモにお付き合いされた方々は、
ぜひ、そのガイドブック(PDF:18MB)をお取り寄せなさり、
存分に楽しまれることをご提案します。
ちなみに、マスコット・キャラクターの「せんとくん」ですが、
さまざまに物議(仏議?)をかもしたことは記憶に新しいですが、
もうすっかり定着しているみたいです。
宿泊したホテルでも、真っ先に出迎えてくれました。
(以上、奈良での話題2つ、おしまいです)
今週のハイライトpart2 [エートマンのお出かけメモ]
前回の記事では、今週のハイライト(もちろん個人的な)として
『正倉院展』に行き、たいへんよい想いをしたことをつづりました。
今回の記事は、その『正倉院展』の“おまけ”のような話題です。
さて、博物館の中で、正倉院展のような特別展は、
常設展(奈良国立博物館の場合は“平常展”)がグリコだとすれば、
特別展自体は、グリコの“おまけ”に相当するものといえます。
以前は、“おまけ”だけで帰ってきてしまっていましたが、最近では、
きちんとグリコ本体じゃなくて、平常展、も楽しむようにしています。
現在の平常展は、「仏教美術の名品」をテーマに構成されていました。
こちらも十分に楽しめました。30分程度の特急状態の見学でしたが・・・。
時間があれば、半日でも見ていたいというものでした。
平常展や正倉院展など、奈良国立博物館の内容は、次のURLの公式HPでご覧ください。
http://www.narahaku.go.jp/
先ほどの写真は、奈良国立博物館本館の東側正面観で、
こちらは、平常展を見抜けて、西側に出て、ふり返りざまの博物館本館です。
天然記念物「奈良公園のシカ」と戯れる時間も惜しみ、先を急ぎました。
今の、『正倉院展』が開催されている頃の奈良は、
様々な文化的イベントが目白押しで、近いところだけでも、
特別公開のされている法華寺も見たいし、
平城宮跡の資料館でも“地下の正倉院”をテーマにした特別展してるし、
飛鳥では、高松塚古墳の国宝壁画の特別公開もあるし・・・
でも、今回は欲張らずに、もう30分ほどを、目の前の興福寺で過ごすことに・・・。
そうはいっても、こちらもけっこうな人出がありました。
左が五重塔、右が東金堂、ずっと向こうに南円堂。
天平の昔の面影を伝える興福寺の伽藍の一部です。
興福寺境内の中程で、工事中の区域がありました。
中金堂の再建が進められているのでした。
いまは、基壇の復元工事が行われている最中でした。
“工事”には、めっぽう関心が向く最近のエート・マンですが、
歴史的な建造物を復元するのにも、基礎はRCでしっかりとという状況に、
目をランランとさせ、ふんふん、そういう風にやるのか~、
これも“グリコのおまけ”の、さらにおまけです。
かたわらに、興福寺の整備計画の概要を説明する看板がありました。
中金堂の周りには回廊も復元され、それの入口となる中門、
その南に南大門、また北西側には、北円堂と、
長い間失われたままになってきた諸堂が、次々とよみがえっていくようです。
数年先の興福寺さんは、だいぶ趣を変えて、私たちを迎えてくれることと思われます。
私たちは、どんなふうにそれに向き合っていけるのか、今から楽しみです。
この興福寺でも、五重塔の内部や東金堂、南円堂などがまとめて拝観できる
1000円のセット券が売られていましたが、
五重塔の特別公開には、多くの人の行列が出来ていましたし、
時間の関係で東金堂のみ、300円也の拝観料で、しっかりと見学をさせていただきました。
猿沢の池です。
奈良は、とてもゆったりと時間が過ぎて行くようにも思われますが、
私どもの行動も、道行く車も、実はとてもせわしなく、
そうこうしている間に帰路につく次第とはなりました。
でも、繰り返しになりますが、あの『正倉院展』がメインで、それを十分堪能した上に、
いくつかの“おまけ”も楽しめた奈良行きだったのでした。
『正倉院展』に行き、たいへんよい想いをしたことをつづりました。
今回の記事は、その『正倉院展』の“おまけ”のような話題です。
さて、博物館の中で、正倉院展のような特別展は、
常設展(奈良国立博物館の場合は“平常展”)がグリコだとすれば、
特別展自体は、グリコの“おまけ”に相当するものといえます。
以前は、“おまけ”だけで帰ってきてしまっていましたが、最近では、
きちんとグリコ本体じゃなくて、平常展、も楽しむようにしています。
現在の平常展は、「仏教美術の名品」をテーマに構成されていました。
こちらも十分に楽しめました。30分程度の特急状態の見学でしたが・・・。
時間があれば、半日でも見ていたいというものでした。
平常展や正倉院展など、奈良国立博物館の内容は、次のURLの公式HPでご覧ください。
http://www.narahaku.go.jp/
先ほどの写真は、奈良国立博物館本館の東側正面観で、
こちらは、平常展を見抜けて、西側に出て、ふり返りざまの博物館本館です。
天然記念物「奈良公園のシカ」と戯れる時間も惜しみ、先を急ぎました。
今の、『正倉院展』が開催されている頃の奈良は、
様々な文化的イベントが目白押しで、近いところだけでも、
特別公開のされている法華寺も見たいし、
平城宮跡の資料館でも“地下の正倉院”をテーマにした特別展してるし、
飛鳥では、高松塚古墳の国宝壁画の特別公開もあるし・・・
でも、今回は欲張らずに、もう30分ほどを、目の前の興福寺で過ごすことに・・・。
そうはいっても、こちらもけっこうな人出がありました。
左が五重塔、右が東金堂、ずっと向こうに南円堂。
天平の昔の面影を伝える興福寺の伽藍の一部です。
興福寺境内の中程で、工事中の区域がありました。
中金堂の再建が進められているのでした。
いまは、基壇の復元工事が行われている最中でした。
“工事”には、めっぽう関心が向く最近のエート・マンですが、
歴史的な建造物を復元するのにも、基礎はRCでしっかりとという状況に、
目をランランとさせ、ふんふん、そういう風にやるのか~、
これも“グリコのおまけ”の、さらにおまけです。
かたわらに、興福寺の整備計画の概要を説明する看板がありました。
中金堂の周りには回廊も復元され、それの入口となる中門、
その南に南大門、また北西側には、北円堂と、
長い間失われたままになってきた諸堂が、次々とよみがえっていくようです。
数年先の興福寺さんは、だいぶ趣を変えて、私たちを迎えてくれることと思われます。
私たちは、どんなふうにそれに向き合っていけるのか、今から楽しみです。
この興福寺でも、五重塔の内部や東金堂、南円堂などがまとめて拝観できる
1000円のセット券が売られていましたが、
五重塔の特別公開には、多くの人の行列が出来ていましたし、
時間の関係で東金堂のみ、300円也の拝観料で、しっかりと見学をさせていただきました。
猿沢の池です。
奈良は、とてもゆったりと時間が過ぎて行くようにも思われますが、
私どもの行動も、道行く車も、実はとてもせわしなく、
そうこうしている間に帰路につく次第とはなりました。
でも、繰り返しになりますが、あの『正倉院展』がメインで、それを十分堪能した上に、
いくつかの“おまけ”も楽しめた奈良行きだったのでした。
お出かけしました・・・ [エートマンのお出かけメモ]
昨日と今日、とあるグループで、一泊でお出かけしました。
珍道中のメモ写真をご覧いただきます。
お出かけ先はどこだかお分かりになりますか?
①途中のサービスエリアで ②目的地の一つの博物館 ③泊まった旅館の吹き抜け空間
④豪農の館の大広間 ⑤見たかった冬の海 ⑥イメージ画像(気になったもの)
⑦ある検定のポスター ⑧今日のお昼 ⑨路面の小さな噴水
さて、いったいどこ(何県)でしょうか?
珍道中のメモ写真をご覧いただきます。
お出かけ先はどこだかお分かりになりますか?
①途中のサービスエリアで ②目的地の一つの博物館 ③泊まった旅館の吹き抜け空間
④豪農の館の大広間 ⑤見たかった冬の海 ⑥イメージ画像(気になったもの)
⑦ある検定のポスター ⑧今日のお昼 ⑨路面の小さな噴水
さて、いったいどこ(何県)でしょうか?
「川中島&松代」見てきた報告 [エートマンのお出かけメモ]
今日は土曜日・・・ 遺跡調査happyなどもあったようですが・・・、
でも一日まじめに(?)お仕事でしたので、
今日の話はありません。なので・・・
昨日のことの詳細版です。
写真は、八幡原の歴史公園で、地元の老人クラブの
元気なお姉さん(?、右端の黄色のはっぴを召している女性)の
名調子を聞いているところです。
ボランティアさんたちが、ボランティアさんの説明を聞く・・・
という構図なんですね。
まあ、そんなことで、ちょっと、いえ、だいぶ長くなりますが
お付き合いいただける方は、≪続きを読む≫からどうぞ・・・
なみきみち・・・ [エートマンのお出かけメモ]
昨日、所用あって、八王子までおでかけしました。
帰路に少しだけ甲州街道を走りました。
ずっと続くイチョウ並木に、目を奪われ、
走行中パチリをしてしまいました。
こちらは、昨年の10月16日撮影の、甲府市蓬沢町を通過する
国道20号甲府バイパスの写真です。
このとき、街路樹が、何でイチョウなのかなぁ、と漠然と思っていましたが、
氷解しました。
甲府バイパスは、昭和40年代に整備された歴史の新しい道路ですが、
それでも国道20号なので、現代の甲州街道になります。
江戸の昔、五街道が整備され、その一つに甲州街道があります。
もっとも名称については、初め、「甲州海道」といい、
後に「甲州道中」と呼ばれていたものらしいのですが。
昔の街道には、要所では、街路樹が植えられており、
“並木道”という景観をつくっていました。
東海道は、マツ。日光街道は、スギ。
甲州街道とくれば、イチョウなのです。
そんなことが、JR八王子駅の西側からJR高尾駅辺りまでの
国道20号の並木道から、思い浮かんできたのでした。
今回のお出かけ先は・・・ [エートマンのお出かけメモ]
稲佐山から見た長崎市街です。
昼は昼で、みっちりと仕事し、
夜は夜で、きっちりと充電をし、
充実の長崎でした。
めいおう・・・ [エートマンのお出かけメモ]
これにおわすを、どなたと心得るっ?
ええぃ、頭が高い、控えおろうっ!!!!!
なんちゃって・・・カッコイイえんま様でェ~す。
辞書にはありませんが、冥界の王様、略して冥王さま・・・
横文字でいえば、プルートか。。。
いやいや、そう簡単な話ではないでしょう。
冥王星は、確かにプルートだけど、閻魔大王がプルートといえるかなんて・・・
冥王星の命名のもとは、ギリシャ神話の中での“冥府の王”プルートであり、
存在的には似ているけど、ギリシャ神話がそうだからって、ねぇ・・・
まあ、たあいもない話はこれくらいにして、本日お出ましいただいた閻魔大王は、
信州は、善光寺平の川中島の地にある典厩寺の境内に
厳かにおまつりされている大王様です(2005.11.5撮影)。
武田軍と上杉軍が壮絶な戦いを繰り広げ、たくさんの戦死者を出したあのとき、
双方の亡者の霊を慰めるために建立されたと伝えられています。
惜しくも命を失った多くの戦死者の霊が鎮められている閻魔様の前で、
二度と悲惨な戦争は繰り返さないと、誓ったものでした・・・ハイ。
(あっ、いえっ、全然酔っぱらってなんかいません。
素面でもこんなもんです・・・・・)