帯那トンネル [tunnels]
市川三郷町の中を通る県道409号四尾連湖公園線の帯那トンネルです。
この1月の初めごろ、帯那集落側から撮影しました。
最近の傾向として、たいへんシンプルなデザインのファサードです。
そしてまた、最近の傾向として、カーブした線形のトンネルです。
それからプレートですが、坑口面ではなく、トンネル内壁の坑口付近に付けられています。
そしてこれが、帯那トンネルのプレートです。
長さ360m、1997年3月ですか・・・。
さて、今回の帯那トンネルのアップロードにより、
お楽しみのエートマン・トンネル・ランキングは、どうなったでしょうか。
***これまでのこのブログ内のトンネル・ランキング***
第1位 波高島トンネル 742m
第2位 室伏トンネル 580m
第3位 新鳥坂トンネル 479m
第4位 帯那トンネル 360m(今回アップのトンネル)
第5位 照坂トンネル 230m
波高島トンネル [tunnels]
おやおや、工事中のトンネルですか、立派なトンネルが出来るのですね。
なんていう名前のトンネルでしょうか。
ところで、話は飛びますが、このブログのバックグランドにあるアクセス解析によると、
先月からずっと、毎日、「若彦トンネル」という記事をご覧になる方が多いようです。
検索エンジンで、このキーワードによって、エートマン・ワールドに
はまる方もおられるようです。
でもね、しばらくは、若彦トンネルのお話しは出ませんよー。
代わりにといっては何ですが、今日の記事に戻ります。
このトンネルは、国道300号の、工事中の波高島トンネルであります。
富士川の対岸のクラフトパークから、2008年8月18日に撮りました。
(ちなみに、その日あたりでの関係記事は、残念ながらございません)
この波高島トンネルは、既に供用されていまして、
こちらは 2009年12月12日撮影の、供用後の波高島トンネルです。
もう少し近づいて・・・と。
近年完成するトンネルは、ファサードなどのデザインがさっぱりしているな、と感じます。
トンネルの坑口の脇につけられているプレートです。
2008月3月とありますが、これは供用年ではないようです。
長さは、742m。けっこう長いですねぇ。
今回の記事に使用した写真は、すべて下山側(国道52号方面)からの撮影でありました。
さて、お楽しみのランキングは、どうなるでしょうか。
***これまでのこのブログ内のトンネル・ランキング***
第1位 波高島トンネル 742m
第2位 室伏トンネル 580m
第3位 新鳥坂トンネル 479m
第4位 照坂トンネル 230m
(注記:2021年9月5日)
この記事の写真は長らく失われていましたので、4点ともオリジナルの撮影データ
から再調整しました。画像サイズも500ピクセル幅となっています。
また4点目の写真について、2008年3月は、このトンネルの完成年であり、すぐに
供用されず、手前に接続する富山橋の完成をまって供用開始となった経過があること
を付記します。
室伏トンネル [tunnels]
国道140号が山梨市牧丘町室伏地内を通過するところに、
この室伏トンネルがあります。
これも先月末に見たものでありますが、
このところ、この春に開通するらしい「若彦トンネル」について、ネット検索され、
このブログにお見えになる方が多いようなので、直接それとは結びつきませんが、
こちらの室伏トンネルを取り上げることとしました。
今回、取材したのは、室伏トンネルの雁坂峠側出口でありました。
こちら側から入ると、いったん明かり区間があり、すぐにその先に牧丘トンネルが続きますが、
この牧丘トンネルは、こちら側から見ると、大きく左カーブしています。
これは、トンネルの入口に付けられているプレートです。
1998年に完成し、その長さは580mだとわかります。
***これまでのこのブログ内のトンネル・ランキング***
第1位 室伏トンネル 580m
第2位 新鳥坂トンネル 479m
第3位 照坂トンネル 230m
完成が近づく若彦トンネル [tunnels]
雪をいただいた富士山の美しい姿・・・。
でも、今回のお話しは、富士山についての直接的な話題ではありません。
この写真は、この3連休中に、御坂山地の中の新道峠付近から見たものです。
手前に見える湖は河口湖、そこにポコッと浮かぶ島は、鵜の島といいます。
鵜の島の手前の湖岸地域は、富士河口湖町の大石地区になります。
そこに山側から湖に向かう形で新しい道路が確認できます。
この道路こそが、富士河口湖町大石と笛吹市芦川町上芦川を結ぶ県道富士河口湖芦川線で、
手前の山側の延長には、建設中の若彦トンネルがあります。
こちらが、すでに一、二度ふれている若彦トンネルの芦川町側の坑口となります。
来年3月の供用開始との情報でありますが、待ち遠しい気がします。
完成間近で、だいぶできあがってきていましたが、
まだトンネルの銘板プレートは付けられていません。
また、前回までに取り上げた1995年完成の新鳥坂トンネルと比べると、
トンネル・ファサードの装飾はずい、ぶん簡素なものになっていますね。
橋やトンネルには、それぞれに基本的な役割があって作られますが、
建設年代の社会情勢をよく映し込んでいるところがあって、
観察するのに十分なおもしろさがあります。
お金周りのいい時代には、新鳥坂トンネルのようなものが出来るし、
昨今の厳しい(金回りのよくない)情勢では、さっぱりとしたものになりますね。
なお、蛇足ながら付け加えますと、とかく「ムダ」という言い方が多くされますが、
ほんとにムダかどうかは、そう簡単に決まらないのではないかなぁ・・・との
つぶやきをここで発しておきたいと思います。
新鳥坂トンネル [tunnels]
笛吹市内で、県道36号・笛吹市川三郷線が鳥坂峠を越えるところに、
この新鳥坂トンネルがあります。
前々回の記事、「エートマン的菊花展」の会場ということでも取り上げましたが、
このトンネルのコンクリート製のファサードには、芦川町側の入口でキクが、
反対の八代町側の入口には、スズランが描き出されています。
トンネル・ファサードに、相互に、反対側の特産植物を配置した形になっているのです。
トンネル出口の上部には、「新鳥坂トンネル」の文字が見られます。
その向こう側には、紅葉したお山の模様が目に入ります。
トンネルの芦川町側ファサードの左手に、建設にかかるプレートが見られました。
1995年5月の竣工でしょうか。長さは479mとなっています。
このトンネルは、八代町側から入ってかなりの部分まで直線でいきますが、
芦川町側では、ご覧のとおり、緩やかなカーブを描く線形になっています。
今でこそ、通行量はそう多くないようですが、
その先、現在建設中の、仮称・若彦トンネルが供用されると、
笛吹市や甲府市方面と富士河口湖町を初めとする冨士北麓地域との行き来がより円滑になり、
通行量も増大するのではないかと思われます。
仮称・若彦トンネル建設中・・・ [tunnels]
先日、上芦川の新道峠に、富士山を見に出かけたときのことです。
下界でも雲が多く、どうにもならなかったので、
あそこまで行けば、雲海の上の富士山が見えるかも・・・。
で、結論的には、五里霧中でした。
芦川渓谷の下流方向、雲の中に太陽が燃えていますが、
ここも下界とそう変わりませんでした。
時折、薄日が、新緑あふれる芦川渓谷に、差し込むと、
息をのむようなさわやかな景色が広がります。
晴れていれば、向こう側に南アルプスの山々も見えることでしょう。
林道を途中まで降りてくると、交通整理のガードマンさんが、
今まで通ったことのない道に、進路を指示してくれました。
で、その道をずんずん下っていくと、未舗装になり、
何かしら大きな工事現場を通過することに・・・。
振り返ってみると、建設中の新しいトンネルが、ぽっかり口を開けていました。
建設中のトンネルファサード、将来、完成の折には、
トンネルの名称が入るであろう額が見えます。
このトンネルのことが気になって、ネットで調べようとしましたが、
検索キーワードが浮かびません。
ようやく分かったことは、県道河口湖芦川線という路線の
若彦トンネル(仮称)だということでした。
いつ頃完成するのかしら・・・。
トンネルの更新 [tunnels]
できたてのトンネルを通ってきました。
「照坂トンネル」です。
ある場所を目指して車を進めているとき、それまでは通行止めの表示があったのに、
今回はすすっと進んでいって、あれっ、大丈夫なのかな・・・と。
でも、大丈夫でした。りっぱな新しいトンネルを通ることが出来たのです。
何の飾り気もないトンネル・ファサードの一角にプレートがつけられていました。
「2008年7月」とあるので、まだ供用されたばかりだとわかります。
いつ供用されたどんなトンネルなのか知りたくて、
山梨県のオフィシャルHPをのぞいてみたのですが、すぐに答えはなく、
トンネル名をキーワードに検索をかけてみました。
そしたら、次のような希望どおりの記事がヒットしました。
「道路の供用開始について」
これによって、平成20年7月26日(土曜日)10時30分頃に
供用開始されたことがわかりました。
こちらは、新しいトンネルの横にまだ残っている古いトンネルです。
名称が「照坂隧道」となっているのに時代を感じます。
新旧を一緒のカットで見てみました。
新しい方は、まだあまり知られていないためか、あまりまだ交通量が多くないようです。
また古い方は、まもなく入口を閉じる工事が始められるようです。
《後書き》
この記事を配置するカテゴリーに悩みましたが、
あえて「地域の小さな歴史」にしました。
歴史というと、ずっと昔のこと、そんなの関係ない・・・
とか、思われる方もおられるようですが、
私たちは、歴史のまっただ中にいるのだ、ということを
こうした話題から感じとっていただけたらなぁと思います。
新しいトンネルが出来て、古い隧道は消え去っていく。
そこには一定の必然があって、だれにもとめられない、ずっと動いていく。
どうせ、歴史の中にいるのだから、そこのところをきちんと受け止めて、
もっと前はどうだったのか、大きく歴史をとらえ、
反対に、その先をどうしていったらいいのか、行動する。
そうですね、歴史の流れから抜け出ることは出来ないけど、
行動することは出来そうですね。
《追記 2010.4.20》
「右左口トンネル」という記事を書きながら、過去記事をチェックしたところ、
この記事の末尾の「後書き」がもう実情にあっていないことに気付きました。
確かに最初は「地域の小さな歴史」というカテゴリだったのですが、
2009年11月23日の「新鳥坂トンネル」をアップするに当たって、
「tunnels」というカテゴリを新設しまして、それ以前の記事もトンネル関係は
すべてこのカテゴリに変更したという経過があります。
そのことを追記しておきます。よろしくご理解ください。