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川浦踏切 [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR身延線の芦川―甲斐上野間にある川浦踏切での2010年1月10日のスケッチです。こ
こは、特に人道が線路を横切る踏切なのです。人道踏切とは言え、車道の踏切と変わら
ない施設設備が配されています。(その後現時点までの間に、少し、一部分の施設の配
置が換わっているようですが、今回は特にこだわりません)

180111kawaura_fumikiri01b_100110.jpg

 1点目の写真の一部を切り出してみました。そこには、「71K388M」の数字を読み取
ることが出来ます。すなわち、この川浦踏切が、身延線の起点から 71.388kmの位置に
あることを意味しています。

180111kawaura_fumikiri02_100110.jpg

 人専用の踏切であって、車が来ないことをいい幸いに、踏切の中ほどから上り方向を
見てみました。この踏切からすぐそこは、芦川駅となっています。
 それにしても、このところは、直線の線路になっていますね。

180111kawaura_fumikiri02b_100110.jpg

 またまたすぐ上の写真から、向かって右手の芦川駅のホームの部分を中心に切り出し
を行う形で眺めてみました。
 この画面の右端の部分に、前々回に取り上げた、ハエたたきのような形をした電信柱
を認めることが出来ます。
 さらに、線路のずっと先を見ると、右にカーブを始めていることも読み取れます。ど
こまでもまっすぐなんて、なかなかないですよね。


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甲斐上野駅で見た「マルタイ」 [鉄道-とくに身延線点描]

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 2007年11月24日に、JR身延線の甲斐上野駅の構内で見た保線関係の特殊車両である
マルチプルタイタンパー(MTT)です。
 身延線でJR東海のマルタイを見たのは初めてのことで、これについては、見学して
から数日後の2007年12月1日に、このブログで記事にしていますし、その追加情報を
2007年12月14日に残しております
。マルタイの詳細は、そちらでご確認くださりたく
存じます。
 もちろん、マルタイを見かけた機会はその後もあり、また追って取り上げたいと思って
います。

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古い時代をしのばせる電信柱 [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR身延線の芦川駅の傍らに、それはひっそり建っていました。歴史の生き証人です。
今年、富士-甲府間全通90周年を迎える、歴史ある身延線ですが、かつてそいつは重要
な役割を果たしていたのです。

180103ashigawaSTA02.jpg

 「そいつ」とか「生き証人」とかいっているのは、これ。木製の電信柱です。ちょっ
と似ているけど電柱ではありません。通常の三相交流を伝える電線を支持する電柱には
3つの碍子が付けばいいだけなんですが、4段の腕木にいくつもの碍子が付いていて、
いくつもの電信回線が取り付いていたことを物語っています。
 ちなみに、この電信柱の形状が、あるものに似ているのですが、思い当たるもの、あ
りますか。この形、いまではあまり見かけなくなってはいますが、ハエたたきに似てい
るとされてきました。なので、こうした電信柱には「ハエたたき」のニックネームがあっ
たとも伝えられています。

180103ashigawaSTA03.jpg

 芦川駅のホームを歩きながら、反対側から見ることにしました。電信柱の上の方に焦
点を当ててクローズアップしたものです。碍子の付き方がよく分かります。木製の電信
柱に雨水が染み込んで腐ることがないように、上部にキャップが被せられているのも確
認できます。
 碍子の上端部に留められて、支持されていた電信線はもう、とうに撤去されて、本来
の役割は終わっています。以前には、この前後に仲間がずっと、線路とほぼ並行するよ
うに一定間隔で並び、鉄道の運行に関する情報を伝えていたのです。それが今は、まっ
たくの一人ぼっち。でも、よく残っていてくれたものです。

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 鉄道と関係するものって、なぜ、そう言えるんだっ、といぶかる方もおられるかもし
れません。でも、よく観察すると、木柱のやや上の方に、こうしたナンバープレートが
打たれていて、全体の19番目の電信柱だということを表すとともに、鉄道関連を意味す
るマークが押されているのが、何よりの証拠です。

 身延線の長い歴史を伝えるもの、いろいろありますね。まだまだ出てくると思います
よ。次の話題をお楽しみに・・・。

《追記180501》この記事には、ほとんど同じ内容の過去記事「鉄道通信線のなごり」
 2010年3月17日)と関連の過去記事「電信柱、また見つけたよ~」(2010年7月23日)
 があります。ご参照ください。
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芦川橋梁(再構成版) [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR身延線の芦川-市川本町間に架かる芦川橋梁の2007年5月14日の観察記録です。
この日に現地を訪ねて2日後に、このブログの初版に記事を載せていますが、今回、
身延線90周年を念頭において、再構成を試みました。
 このトラス形式の鋼製橋で渡河する芦川は、御坂山地に源を発し、富士川支流の
笛吹川に合流する河川で、普段は水量もそう多くないのですが、壮年期の山間部に
長い流域を持つため、甲府盆地一帯でも有数の暴れ川として知られているものです。

180107ashigawaBrg01_070514.jpg

 ちょっと近づいてみました。平行弦でプラット形式の単純トラス下路橋です。

180107ashigawaBrg02_070514.jpg

 さらに近づいて見ました。ここでは単線で渡しています。

180107ashigawaBrg03_070514.jpg

 そしてズームイン。鋼材をリベット打ちでつないで構造する、かなり歴史的な手法
をとっていることが分かります。
 あらためてこの橋の歴史を確認しますが、それには次のサイトが役に立ちます。

  土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会 『歴史的鋼橋集覧』

 このサイトの「歴史的鋼橋表示」という表示のインデックスから入って、山梨県の
登録された20橋のうち、17番目のIDナンバーがT5-083が、今回の芦川橋梁になりま
す。
 そこの情報によると、この芦川橋梁の架造・開通は、1928年3月で、これは身延線
全通と同じタイミングであり、身延線全通を支えた構造物の1つだと言い換えること
も出来るものと考えられます。

180107ashigawaBrg04_070514.jpg

 この観察時は、風薫る5月。観察に夢中になったあと、長さ46mの芦川橋梁を渡り
きって、新緑の中を特急ふじかわが上っていくのが見られました。

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思い出の身延線車両・4 クモハ115 [鉄道-とくに身延線点描]

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 2006年6月18日に見た身延線の車両です。正直に申しますと、この時、身延線の車両を
見ようとしていたのではなく、その向こう側の甲府駅の待機線にいたEF-64を線路外から
見て回っていたのです。それで、EF-64と身延線の車両が並んでいるのが、かっこいいなぁ
という感じに撮っていたのです。だから、この時、身延線車両が写っているのは、この1
カットのみで、あまり細かなことがわからないままです(先頭なのか最後尾だったのか、
あるいは2両編成か、3両編成か、など)。

180106kumoha115-2011_060618b.jpg

 ともかく、クモハ115-2011の車両番号だけが、この写真から確認できることでした。
 115系は、国鉄時代に開発された急勾配路線のための近郊形直流電車で、1963年から19
83年にかけて製造され、1987年の国鉄民営化もJR東海などに引き継がれた車両なのだそ
うです。それで特に、身延線に投入された車両は2000番台で、1981年から製造され、そ
れ以前の旧型車両と置き換えられたと言うことのようです。
 この車両の投入の始めは、車両の塗装も「身延色」といわれるブドウ色の地に富士山の
雪をイメージした白線が入るものだったそうですが、民営化後には、今回見るようないわ
ゆる「湘南色」に変更されたということです。なお、身延線全通70周年にあたった1998
年には、約1年の間、限定的に「身延色」が復活したこともあったようですが、そんな歴
史を持つこの115系、2006年から現行の313系に置き換えられ、姿を消していったので、
この写真は、身延線の115系運行の最終段階のことと言えるようです。

《追記》この記事の作成に当たっては、「ウィキペディア」の情報を参考としています。
 

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思い出の身延線車両・3 キヤ95系 [鉄道-とくに身延線点描]

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 2002年5月15日に、甲府駅の身延線ホームを、その南側に隣り合う甲府城跡・舞鶴
城公園の高所から見ていた時、見慣れない車両がいるのに気付きました。前進のライ
トが点灯されているので、もうすぐ動き出しそうです。
 この車両は、「ドクター東海」の愛称を持つ、JR東海の検測用の車両で、新幹線の
ドクターイエローと同様な役割を果たすものです。電化されていない路線でも検測で
きるようにジーゼルエンジンで走る、いわゆる気動車です。細かく言えば「キハ95系」
と言われるようです。

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 上の写真から20分近くして、ドクター東海が動き出したのを見てあわててシャッター
を切りました。ちょっと間に合わず、頭がきれてしまいました。
 よく見ると、この検測車にはパンタグラフが付いていますが、たたまれています。
これには、どんな意味があるのでしょうか。キヤ95系に付いているパンタグラフの役割
は、架線の状況をチェックする装置であり、一般の電車の場合の受電のためではないよ
うです。つまり、検測対象の区間まで移動を開始したと考えられるのではないでしょう
か。
 キヤ95系は、JR東海に、こうした3両編成で2基が保有されているそうですが、1基
目は1996年に登場し、2号機は2005年に追加されたとの情報が見られました。こうした
ことから今回見た2002年のものは、1号機(DR-1)だと理解されます。


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思い出の身延線車両・2 313系 [鉄道-とくに身延線点描]

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 前回とほぼ同じ甲斐上野-東花輪間の中央市大田和地内での撮影で、時期も同じ2006年の
7月24日のものです。相違点は、こちらは313系の2両編成だということです。
 左手の送電線鉄塔は、前回にも触れた東京電力の市川大門線の鉄塔の1つで、その41号鉄
塔でした。

180105minobusen060724_160528.jpg

 この電車は、上りの2両編成で、こちらのカットでは、笛吹川橋梁を渡り始めているとこ
ろです。
 313系は、いま身延線で一般的に運行されている普通列車としてなじみがあるものですが、
歴史的には1999年に営業運転に登場し始めたもので、この写真を撮った2006年に一気にた
くさんの車両が投入されそうで、それまでの115系から順次、置き換わっていったようです。


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思い出の身延線車両・1 115系 [鉄道-とくに身延線点描]

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 2006年7月24日に、中央市大田和地内(甲斐上野-東花輪)を甲府駅方向に進む3両
編成の下り列車を撮っていました。が、3両編成の全体をうまく撮った写真はありませ
ん。
 この写真は、笛吹川橋梁を渡りきってすぐ、東京電力の送電線、市川大門線の真下を
通過している状況です。この送電線と身延線は、切っても切れない仲、いずれかの後に
そのこともご案内したいと思います。

180105minobusen060724.jpg

 こちらは、もう少し甲府駅方向に進んだところですが、全体が見えるものの、ピンぼけ
でありました。これくらいのサイズにするとわかりにくいですが。
 車両は、いまはもう見られない濃い緑色と橙色に塗り分けられたものでした。ちょっと
時代的というか、のどかな感じがします。
 蛇足ですが、この「のどかな」と表現した感覚については、この現地を訪れた日の翌日
(2006年7月25日)に、このブログに載せた「のどかに・・・」というタイトルの記事
もつながるものでありました。そこにも、今回の115系から1時間と少しして、この付近を
通過する同じ115系と見られる下りの3両編成の電車が、小さく写り込んでいます。
 なお、こちらの2枚目の写真は、2008年3月31日の記事「身延線80周年」の中の7番目の
画像と同じものですが、元データから構成し直したものとなっています。

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「身延線80周年」のときのポスター [鉄道-とくに身延線点描]

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 このブログの過去記事に「身延線80周年」というのがありました。2008年3月31日の
投稿になる記事です。ちょっと長めの記事でしたが、その冒頭に上に掲げたポスターが
載せてあります。これは、その日に甲斐上野駅の構内に掲出されていたものを撮ってき
たものでありました。
 あれから10年が経とうとしています。だから、身延線90周年。正確に言えば「身延線
全通90周年」なのでありますが、このブログでは、長くなるので「全通」の文字を基本
的に省略してしまっています。80周年の時も・・・。

 ちなみに、このブログといっていますが、すでに消滅した初代のブログ『えーと 何だっ
け』でのことで、当時は、サーバーに預ける画像データのデータ量を極力抑えるために
使用する写真の画像サイズは280ピクセル幅で、なおかつ相当に圧縮していました。今
は、環境がだいぶ変わってきているので、500ピクセル幅の画像にしています。
 そこにある冒頭のポスター以外のいくつかの写真は、小さくてかなり見にくいですが、
一見の価値があるかな?! この記事の冒頭にあるリンク(色が変わっている部分)からご
覧くださるようお勧めいたします。


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ワイドビューふじかわ [鉄道-とくに身延線点描]

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 JR東海(株)が運行管理するJR身延線の下部温泉駅に停車中の特急ワイドビューふじかわ
8号静岡行きです。
 身延線自体は、この上りでいえば、甲府から富士までですが、新幹線乗り継ぎの便を考慮
し東海道線静岡駅まで運行されています。
 使用される機材は、373系の電車3両編成で、普通車指定席1両と普通車自由席2両が
通常の編成構成です。
 始発駅と終着駅を除いて11の駅に停車しますが、初めて全線を乗ったとき、驚くのが富
士駅で停車後、ポイント切り替えの時間があり、そこから進行方向が逆転することです。こ
れは身延線から接続する東海道線に乗り換える時の必要な措置と理解されます。

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 特急ワイドビューふじかわのヘッドマークです。海に注ぐ川、すなわち富士川をデザイン
のベースにしているようです。日本三急流の1つとされる富士川の流れが三段の水流で表さ
れているようです。

 現行の特急「ふじかわ」が、この373系によって運行が始まったのは、1995年10月のこと
であったようです。

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