またまたいちのへさんの [忠魂碑の類]
先月の下旬に見た、笛吹市内のとある小学校の敷地内の忠魂碑です。
よく見られる形の石碑で、中央に「忠魂碑」と大書されています。
「忠魂碑」の文字の左側に、文字を書された方の、肩書きと御名が記されています。
すなわち、「陸軍大将 一戸兵衛書」と。
これはまた一戸さんの書だったのです。
碑文の裏側にまわると、
主催 帝國在郷軍人會境川村分會 / 昭和三年六月 建立
とありました。
一戸兵衛さんは、1855(安政2)年、弘前藩士の子として生まれ、1915(大正4)年
軍人として最上級の陸軍大将にのぼっています。
退役後、1926(大正16=昭和元)年から帝国在郷軍人会の会長を務め、
1931(昭和6)年に亡くなっています。
一戸さんの晩年の在郷軍人会長だった時期には、彼の書いた「忠魂碑」の書が、
全国津々浦々に行き渡り、そこここで忠魂碑が起こされ、人びとに「忠なること」を強いた・・・
憲法記念日という日に、あえて・・・。
出来立ての送電線鉄塔(その2) [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
さて、もう一度、出来立ての新線(その名称は未確認)の3号鉄塔について、
もう少し細かく見ることにします。
こちらは例の3号鉄塔を北東側から見たものです。
この写真の一番手前の脚の部分に注目してみました(次の写真)。
真新しい山形鋼材の基礎に近い部分に、テプコのマークを先頭に何かの記号が
刷り込まれていました。
いちばん初めのテプコのマークに続くのはTとNの組み合わせで商標かなぁ。
その後「オT」そして「3号」それから「F1D」。
いったいこれらにはどんな意味があるのだろう・・・。
きっと鉄塔を建設する際の、それぞれのパーツが記号化されていて、
この情報で、プラモデルを組み上げるみたいにして、建設するのかも知れない・・・。
今度は、四角い平面の対角の方向から見てみました。
こちらにもその記号列がプリントされていましたが、最後の文字だけが「D」ではなく、
「B」となっていました。
そうか、鉄塔の4つのあんよには、A・B・C・Dとそれぞれ記号が付けられているんだ、きっと・・・。
そして「3号」というのは3号鉄塔用の用材だという意味だったんだろう・・・か。
その他のパーツにも、1つひとつ、数字が付けられていました。
(その数字にアルファベットが付くものもありました)。
ほら、こっちにも。それぞれの数字(記号)をもとに、組み立てが行われるのだな、
そんな確信を持ちました(勝手にですが・・・だから違うかも)。
業界の人なら簡単にわかる、常識のようなものでしょうけど、
部外の素人さんには、こんなことがちょっとした謎で、
送電線鉄塔を見る楽しみの1つにもなります。
古くなると(時間が経つと)消えてしまうので、こうした出来立てのほやほやでなければ
わからない限定的な情報だと思われます。