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へんとつくりと [地域の小さな歴史]

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 甲州市塩山藤木にある真言宗の古刹、放光寺さんをお参りした折のことです。
お寺の墓地で、地蔵菩薩と思われる像がレリーフされた供養碑に惹かれました。
静かに合掌する僧形の仏さまです。
この供養碑がお祀りされた年代が気になるところで、おそらく江戸時代ですが
よく見ると像の左右に、造立年月日かと思われる日付が彫り込まれています。

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 「安政四巳」とありますので、1857年でしょうか。
問題は、「政」の字です。上に「正」、下に「攵」
現在の常用とされる文字は偏と旁が左右に並びますが、ここでは上下です。
これでも十分に意味が通じる・・・。歴史はそんなふうに見るようです。

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 同じ墓地に偉人の胸像が見られました。
この方の生前の人となりなどは、十分に把握できません。
(わかったときには、「人物館」のカテゴリで記事を載せたいな)
ここで注目なのは・・・。

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 この部分です。「胸像」の文字、とくに「胸」の文字。
これも「匈」が上、そして編の「月」が下になっています。
これは、江戸時代のものではなく、現代のものと考えられます。
ということは、昔も今も、正しい字の他に、状況に応じて
編や旁の並びを変えて、そこにふさわしい、とか、書きやすい、とか
を優先することがあったようです。