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(速報)新「南部橋」開通 [川と橋の文化誌]

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 今日は何の日?・・・というのがよくありますが、
今日は「橋の日」なんだそうです。
8月4日なので、ゴロ合わせですね。

 そんな日に、また新しい橋が供用開始となりました。
県道内船停車場線が富士川をまたぐところの南部橋です。
ローカルニュースで、テープカットや渡り初めのようすが放映されていました。

もう一度、分校の跡 [地域の小さな歴史]

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 山梨県は南巨摩郡富士川町の十谷地区、その集落の中にある分校跡です。
というか、旧鰍沢町立五開小学校十谷分校が昭和56年に、長い歴史に幕を閉じた分校の跡
なのでありますが、これまで「分校の跡」、「続・分校の跡」と2回にわたって取り上げています。
が、またまたここに戻ってきました。その訳は・・・。

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 分校の閉校記念碑の中に、この地区になぜ蔵造り建造物が多いかを考える上での
重要な手がかりが隠されているような気がしたからです。

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 裏面の分校の沿革を記した中に、確か・・・。
そう、本文の2行目、すなわち「明治20年9月 十谷部落火災のため閉校」とありましたね。

 明治8年に時代の空気の中で、新しく設けられた学校、
それが12年後にこの地区を襲った火災のため、閉校となったというではありませんか。
学校がいったんは閉校になってしまうほどのダメージを残した大火と考えられます。
(確かな記録=裏付け、に当たっていないので、思いこみが強すぎるかも知れませんが)

 この地域は、そうした火災から復興を果たしたのでしょう。
その過程で、大切なものを守る蔵造りが大いに採用されたと考えられますし、
戦後になって産業の米といわれる鉄鋼が、まだ貴重だった昭和20年代に、
その貴重な鋼材を使って火の見櫓を建設するという、いち早い機運もそのことに拠っているのでは。

 以上、「山の上のお蔵」についての自由研究は、これで結びとなります。

山の上のお蔵・完結編 [地域の小さな歴史]

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 龍は、古代の中国の社会に生まれた霊獣で、水中か地中に棲むと。
その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔する
と考えられていたそうです。
 それがわが国の蛇神を信じる土俗信仰と結びつき、水の神となり、雨乞いの際に
活躍する神となっていったようです(ウィキペディアを参考に・・・)。

 お蔵に「龍」の文字があるのは、耐火性の高い土蔵造りという技術的な裏付けに
精神的なよりどころを持たせた・・・、つまり鬼に金棒というところでしょうか。

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 屋根瓦の中の鬼瓦に「水」の文字が採用されるのも、いったん火事があっても、
「水」に込めた祈りが守ってくれる・・・。

 このお山の上の方にある集落は、川がずっと下位の谷の方を流れ、
水利が確保しにくいのでないか・・・。
いったん、火災が起こると、小さな火も退治しがたく、大火になってしまう・・・。
そんな地域柄があるのではないかしら。
だから、鬼に金棒のような蔵造りに力を入れてきた。

 そういえば・・・。

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 昭和26年に完成の、80余名の賛同・寄附による火の見櫓の存在も、
これまで見てきた中では、かなり早い出現の部類。寄附者の多さも注目されますね。
火の見櫓に寄せる想いが、他よりもずっと強い地域柄ゆえでしょうか。

 そういえば・・・、火の見櫓の向こうに鎮座まします鈴鹿神社は、
よく見ると、何と土蔵造りではありませんか、本殿の覆い屋が。

 この地域に暮らしてこられた人びとは、ある時期、非常に火除け、
ないしは火伏せに強い関心を払ってこられたように受け止められるのです。

 神社にまで蔵造りが採用されているところを見ると、相当に痛い思いをした経験が
そのバックグランドにあるのでは、と推理されます。が、果たして如何に。