旧橋撤去・・・富山橋(その2) [川と橋の文化誌]
富山橋の旧橋が消えていく・・・その第2弾です。
富士川の対岸、波高島側から見ています。
東詰の上流側の親柱、「富山橋」とあります。
読み方ですが、‘とやまはし’ではありません。「とみやまはし」です。
近くに工事看板がありました。「旧橋を撤去する工事を行っています」
それで、工事期間は、平成22年6月30日までとなっています。
前回にもふれましたが、遠くからのパッと見では、もう旧橋は跡形もない感じでしたが、
撤去工事は6月までだなんて・・・。
そう、この6月30日は、河川敷で工事が可能な限界であって、7月からは出水期にはいるので、
それまでに工事を終えるということなのでしょうけれども・・・。
で、もう少し近寄ってみてわかりました。
4つの橋脚の基礎部分が残っているのでした。
仮に東詰から順に1,2,3,4と順番を付けてみました。
この日は、日曜日で、工事はお休みのようでしたが、この基礎部分の撤去が
順次進められているようでした。
そのようすを新橋の上からじっくりと眺めることにしました。
まずは、仮にP1とした橋脚です。
現況の河川敷の高さからだいぶ彫り込まれています。
その真ん中に、ぼんやりとまだ削り残された橋脚基礎が確認できます。
こちらはP2としたものです。
富士川の流れは、せき止められているのですが、河川堆積物の隙間から水が差していて、
流れがない分、きれいに澄んでいます。とてもきれい。
これも順に、基礎の最下部まで掘り取られていくのでしょう。
ここで、現状の橋脚のようすをもう少し望遠レンズを通して、細かに見ることに・・・。
もうかなりブレーカー攻撃を受けているためにか、コンクリートは柔らかに見えます。
そこに浮き上がっている鉄筋は、細くて本数が少ない感じ。
当時は、こんなのがスタンダードだったんでしょうね。
新しい富山橋のほぼ中央部から、東詰を見ています。
一番手前がP4。P1に次いでかなり解体が進んでいるようです。
その向こうがP3、そしてP2が見えます。
こんなふうに、まだ旧橋は橋脚の基礎部分が残っていました。
これは6月ごろまでに、すべて撤去されていくのです。
それにより旧橋は、まさしく「跡形もなく」消え去ります。
かつてのトラス橋の富山橋の一部を記憶するとともに、工事の安全を祈りたいと思います。