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ひのみちゃん 14 [火の見櫓]

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 久々に背の高い火の見櫓を見ました。
身延線甲斐上野駅の南、約1kmの市川三郷町上野地区にある火の見櫓でした。
2008年1月19日の記事の「ひのみちゃん 8」よりも高い感じでした。
しかも中段にも見張り台と半鐘がつけられていました(ちょっとすごい・・・)。

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 ところで、この火の見櫓には、こんなプレートが
つけられているのが確認されました。
この火の見櫓を制作した会社の銘板のようです。
現在でも甲府市伊勢1丁目に中村ポンプ工作所という会社がありますが、
そこに鋳造で表してある4桁のいかにも年代を感じさせる電話番号は、
その上に3桁の市内局番をつけて、使われているようです。
「昭和○○年○月製造」とある部分は、プレートを鋳造した後から、
鏨で数字を彫り込んであるらしいのですが、何度か重ねられた塗装のせいで、
見ただけでは、ちょっと判読が難しくなっていました。

走湯神社 [神社まいり]

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 風薫る五月。その香しい五月の空気の中で、なぜかしら神妙な心持ちになり、
神社参りを続けています。
 今回の神社は、5月8日にお参りした、
笛吹市春日居町国府に鎮座する「走湯神社」です。
もっとも、はじめからこの神社をお参りしようとしてうかがったのではなく、
西関東道路を桜井ランプから入り、山梨市方面を目指していたとき、
大蔵経寺山トンネルを出てフルーツラインをたどろうとしたのですが、
鎮目ランプを通り過ぎてしまい、何かひかれるものに導かれて、下岩下ランプでおりたのです。
そこで目に飛び込んできたのが、この神社でした。

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 なので、この説明板を見て、初めて「走湯神社」であることを知りましたが、
それはとても衝撃的でした。
 以前、甲府市右左口町の五社神社を調べることがあり、そこに祀られている
五柱の神様の中に伊豆山がありまして、そのとき伊豆山すなわち走湯神社のことを
知ったのですが、調査をご指導いただいた方に「山梨では伊豆山はどんなふうに
分布しているのですか」と尋ねられても、全然応えができなかったことがあったからで、
以来、気にしてはいたものの、伊豆山を具体的に把握することはありませんでした。
 ちなみに、伊豆山走湯神社は、熱海市の伊豆山に祀られているたいへん古く
由緒ある神社で、役行者が伊豆に流された折、ここで修行をされたという伝えもありますが、
何といっても有名なのは、源頼朝が源氏再興を目指して行動を起こしたとき、
ここに祈願したことや後に北条政子と逢瀬を重ねた場所でもあることなどで知られています。

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 そうした神社がここに祀られている。
ちょっとわくわくしてのお参りとなりました。
でも、先の説明板にもあったように、古くは山梨市下岩下にあり、
それを江戸時代になって、岩下温泉のある同市上岩下に遷したが、
さらに明和3(1766)年に現在地に移転されたとこのとで、
以前このブログで、“神社の引っ越し”があることを記録していますが、
この神社も社会の様々な要請を受け、二転三転をしているんだとわかった次第です。

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 石鳥居の額です。うっすらですが走湯社の神号が読み取れます。

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 石鳥居の上には、小石が投げあげられていました。
乗せられた小石の数だけ、願をかなえてあげられたのでしょう。

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 拝殿です。
石灯籠がいくつも並び、そこはかとなく、厳かな雰囲気を感じました。

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 拝殿の背後にある本殿です。

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 この本殿もまた拝殿も、彫刻が目立ち、江戸時代後期の神社建築を
隆盛を感じさせてくれるものとなっていました。

 でも・・・いまだに、ここに走湯神社が祀られている所以はわかりません。
手がかりは、ここから北へ1kmほどのところにある岩下温泉との関係で、
いずれ関係の本などで明らかにしていきたいな、と思います。


(追記2012.4.16)この走湯神社の所在地等について誤りがありました。訂正します。

  (誤)春日居町国府 --->(正)春日居町下岩下
  (誤)山梨市下岩下 --->(正)春日居町下岩下

夫婦木神社 [神社まいり]

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 5月7日の金桜神社詣での直前に、もう一つ近くの神社にお参りしました。
それは、夫婦木神社です。
 以前から、この神社があることは承知していたのですが、
今回が初めてのお参りとなりました。
 一人300円也の拝観料をお支払いし、本殿までお参りしたのですが、
その時に頂いた由緒をしたためたしおりを読み、
それまで「めおとぎ-じんじゃ」と勝手に思いこんでいたのが、
実は「みょうとぎ-じんじゃ」なんだと、ちょっとばかり物知りになりました。

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 参道を上がっていくと、ここでも傾斜地にある神社ならではの石垣積みが見られましたが、
江戸時代くらいまでさかのぼると見られる古い石垣が注目されました。
でも、拝殿近くにまで、参り進んでいくと、そちらの方は石積みの用材に
ドリルの痕がいくつも明瞭に見られるので、
いったいこの神社は・・・と、不思議に思ってしまいました。

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 こちらが、拝殿前の景観です。
この写真に写っている部分は、比較的新しい造成だと感じられました。
 拝殿の後ろには、本殿があるのですが、通常の本殿とは異なり、
コンクリートブロック積みの建物の中に、大きな木が納められているものでした。
 ご案内いただいた神社の方のご説明やいただいたしおりの由緒書によると
昭和33(1958)年11月29日に御神示があり、
ここからずっと奥の甲府市黒平の山中にあったトチノキの巨木で、
中が洞になっているものがあり、これを切り降ろして、ここにお遷しし、
社殿を建立したとのことでありました。
 この神社の神様の依り代である霊木は、写真で皆様にご紹介したく思いましたので、
神社の方に撮影の可否をお尋ねしたところ、
「神様のおられる御霊木、ご覧になるだけで、写真は障りが・・・」
とのことでありました(もっともなことを聞いてしまったとも・・・)。
 写真の代わりに、しおりの一部を紹介させていただきますので、
ご想像くださるようお願いしますとともに、ご興味ご関心の方は
一度お参りをなさることをお勧めします。

   周囲十米余、外形の入口は女性の象徴を示し、内部は   空洞にて上部から長さ五米、周囲二米に近い男性の象徴   が目を見はる計りに垂れ下がっております。    男女が参詣して祈れば必ず結ばれ、子宝の欲しい夫婦   が揃って祈願すれば必ず授かると云う、霊験あらたかな   御霊木であります。

金桜神社参道の大杉 [神社まいり]

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 金桜神社の石段を登ってお参りする途中での話題です。

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 前にもふれていますが、石段は急で、けっこうな登りです。
ということは、石段の両脇は、急斜面。
このため、石段の左右には一定間隔で、石積みが見られます。

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 あれあれ、石積みがところどころで、壊れ、崩れてしまっていますよ。
どうしたことでしょうか。
 石積みが崩れているところをよくよく観察すると、
石積みの後ろ側に大きく成長した杉の木がありますよ。
ということは、年々成長し、大きくなっていく木が、
石積みを押し出してしまったと考えられるのでは・・・。

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 石段の中程から上の方に、杉の巨木が集まっているのですが・・・

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 そこに説明板が見られました。何々・・・

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 甲府市指定文化財[天然記念物]の『金桜神社のスギ群』という見だしで、
次のように書かれています。

   鳥居から本殿に至る長い石段の両側にうっそうと生い茂る   杉木立がある。このうち七本が市指定の天然記念物。樹齢七   百年から八百年と推定され、樹高四十六~五十三メートル、   幹囲は三・八七~六・九〇メートルに達する。昭和三十年の   火災によって、重要文化財の東宮本殿・中宮本殿と伴に、周   囲の巨木も焼失したが、幸いにもこれら七本のスギは難を免   れ、往時の面影を残している。(以下省略)

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 どうでしょうか。ほんとに大きなスギです。
説明板にもありましたが、この金桜神社は、古い歴史を伝える社殿と大杉のいくつかが
昭和30(1955)年の火災で、灰燼に帰してしまいました。
とても残念なことでしたが、残されたスギたちは、とても元気そう。
石積みが壊れてしまうのは何ですが、見方を変えると頼もしい限り。
スギの生長と神社の景観の保全とを両立させるようなことを願いつつ
本殿まで上がっていったのでした。

一戸さんの忠魂碑 [忠魂碑の類]

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 前回、金桜神社の黄金の桜を紹介しましたが、
その金桜神社には、これまで何度もお参りしてきましたが、
それは、拝殿などがあるところの脇の駐車場にとめてのものでした。
それで、今回は、下の鳥居から石段をずっと登っていくことにしました。
しかし、このとき、正午過ぎで、空腹感に襲われていたので、
長く急な石段を登るのには、若干エネルギー不足・・・。
そこで、この写真の右手にある「宮川」さんというおそば屋さんに入り、
腹ごしらえをしてからのチャレンジでありました。
とてもおいしいおそばで、おまけに筍と蕗の煮物をサービスしてくれて
満足感いっぱいでの金桜神社参りとなったのです。

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 お腹がいっぱいになったところで、石段手前で、すこしおそばが落ち着くまで
あっちこっちキョロキョロと・・・。
一番最初に目がとまったのが、この忠魂碑です。

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 陸軍大将一戸兵衛さんの書になるもので・・・

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 背面にまわると、昭和3(1928)年11月に「帝国在郷軍人會宮本村分會」
により建立されたことがわかりました。それも「御大典紀年」として。

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まだまだ桜が・・・金桜神社 [神社まいり]

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 まだまだ桜が楽しめるところがありました。
どんな品種なのかは不明でしたが、少し小さめの
薄いピンクの花がとてもにぎやかできれいでした。
 それは、どこかというと・・・

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 甲府市御岳町に鎮座する金桜神社でありました。
こちらに足が向いたのは、その社の名にちなんだ黄金色の桜があると、
聞き及んだからでした。
 拝殿の正面観ですが、建物の左側背後に注目ください。

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 拝殿の左脇を進むと、ありました、ありました。

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 根元からいくつにも幹が立ち上がっていて、
周りに垣根が巡らされ、そこに名札がつけられていました。
曰く「鬱金(うこん)の桜」と。
で、難しい名前のようですが、どんな意味合いがあるのかと・・・

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 この桜の傍らに、この神社の縁起と桜の解説がしたためられた説明板がありました。
桜の部分だけ切り出してみました。
難解な解説ですが、そこには「役行者の託宣」とか「日本武尊が植えられた」とか
ありまして、鬱金(うこん)とは、皇(みこと)のお召し物の色で・・・
この桜の色は、そうした尊い色なんだというようなことのようです。
 末尾の方の説明で、
   現在この神木は六~七代目とも云われ、四月下旬から五月上旬   黄金の大輪の花をつける。    この季節、この桜を拝み、水晶の守りをうけると、一生涯金運に   恵まれ、厄難解除のご神徳をもうけられるものと、全国各地からの   参拝者で賑わっております。
と、ありましたので、あわててお札授与所に寄り、水晶玉を買い求めました。
これで、一生涯、金運にまぎれること疑うことなし・・・(でへへ)。

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 今一度、黄金の桜の詳細を皆様にご覧に入れたいと思います。

御岳昇仙峡 [川と橋の文化誌]

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 甲府盆地北部の山地に源を発する荒川の上流部、
秩父多摩甲斐国立公園で、かつ国の特別名勝「御岳昇仙峡」
があります。
写真は、その中でも最も有名なスポットの1つ覚円峰です。

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 浸食された花崗岩が180mほどに切り立っている覚円峰は
その昔、覚円という坊さんが、この岩の上で修行したと伝えられ、
この奇岩の名は、そこから付けられているそうです。

 ゴールデンウィークは、サービス業の宿命ゆえ、
ずっとお仕事で、かなり消耗し、更新も途絶えていました。
ようやくわが世の黄金数日です。

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 さすがにゴールデンウィークを外すと、有名な観光地も
人影はまばら・・・。
そんななかで、さらに川の上流に分け入り、
地図にもない小さな滝を見たりしつつ、
ささやかな休暇を楽しみました。

しらいがわらはし [川と橋の文化誌]

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白井河原橋) あーら、bnvn05さん。こんにちは。今日は、歩いてわたってくれるんですか?

bnvn05) どうもどうも、白井河原橋さん、おこんにちはです。
    いつもせわしなく通らせていただいているんですが、
    今日はちょっと親しく拝見したくて・・・。

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白) あれー、やですよ。そんな、下からのぞき込んじゃって。

bn) ほほー、白井河原橋さんは、コンクリート製桁橋でしたか。
    なかなか立派な骨組みをなさっていますねぇ。

白) そんなに、じろじろ・・・。いつも人様にお見せするところじゃないんですよ。

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bn) それにしても、ごちゃごちゃした橋脚ですね、白井河原橋さんのは・・・。

白) うっ、まぁあ!!! 失礼な。あまりにも失礼すぎるお言葉。
    これはですよ。世のため人のため、ちょっとずつよくなってもらおうと、
    骨身を太らせてきた結果なのよ。

bn) おっと、それは、失礼しました。お許しあれ。
    はじめは、とてもスリムだったのですね(①)。
    それが下水道管を抱き合わされて(②)、さらに耐震補強された(③)
    とお見受けします。いやぁー、なんとも申し訳ない。
    みんな私たちの便利のための変身の痕なんですね。

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bn) いつまでも下をのぞいていると失礼なので、
    北詰からのご尊顔を拝見・・・・と。

白) そうそう。私のお得意のアングルで見てちょーだいな。

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bn) はいはい。白井河原橋さんといえば、何といっても、4つの親柱ですね。
    これはその1つですが、この橋から直線で3kmほど南東方向にある
    笛吹市境川町の一の沢遺跡出土の縄文土器をそっくりさんに
    すこし大きめにコンクリートで造形されているんですね。

白) そーなんです。なかなか、お目が高い。
    私の一番の特徴なんですよ。ほかの3つの親柱も見てくださいね。