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きんじろうさん [そんとくさん]

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 甲州市塩山上萩原の法幢院さんに、先日(5/27)にお参りしました。
この境内で、いくつか発見がありましたが、
その1つにこんなものが・・・

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 二宮金次郎さんの石造です。
でも、ふつう、昔、学校の校庭の隅っこにあるのがふつう。どうして・・・

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 でも、台石に刻まれている文字を読んで、その謎が理解できました。

かないかりじんじゃ [神社まいり]

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 甲州市塩山の神金地区にある金井加里神社にお参りしました(5/27)。
明治8年から昭和29年に旧塩山市に合併するまで、神金村と呼ばれた
この地域の名は、もう一つの古社である神部神社とこの金井加里神社の
社名を一字ずつとってできたのだということを、
ここを訪ねる前に知人に教えていただいていました。
 果樹園の中に続く参道を登っていくと、その由緒ある神社が
鎮座しておられるのでありました。

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 参道を上り詰め、随神門の前までたどりました。
左手に手水場があり、右には社号を記した石柱が立っています。
右手の立派な石の標柱の文字は、昭和後期の山梨を支えた政治家故内田常夫さんの
書になるものだと標柱の右手側面に記されています。

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 随神門から拝殿までの石段からなる参道をうかがいました。

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 拝殿とその前の一対の狛犬です。
狛犬は、まだ新しいもので、平成17年に奉納されていることが
台石に記されていました。
地域の大切な神社に寄せられる信仰が息づいていることが感じられました。

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 拝殿の前に設置されているこの神社の文化財として説明板です。
これによりますと、この神社は、大永3年(1523)に
田辺土佐守という方によって創建されたもので、
当初は山王権現と呼ばれていたそうです。
それが今の呼称となったのは、江戸末の元治元年(1864)のことと。
 それから、今の本殿は、寛文8年(1668)に建て直されたもので、
江戸時代初めの建築様式を伝える貴重なものとして県指定文化財になっていると。
また随神門も、本殿に続いて整備されたようで、これまた県指定文化財。
 とても立派な神社だと名前から思っていましたが、中身もすごいのです。
創建者の田辺土佐守さんは、ひょっとしたら、当時の金山経営に関係した方でしょうか。

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 こちらは、拝殿の背後の本殿。
説明板にあるとおり、重厚な構えだと、素人目にもわかるありがたい建物です。

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 本殿の脇の社叢の中を、妙なる蝶がヒラヒラと舞い続けていたので、
それにさそわれるように進むと、細道が続き、これをたどっていくと
何と、この神社にお参りする前に訪ねてきたあの「あるお堂」が
その細道の先に見えるではないですか。
 こんな地元の方しか知らないような道を教えてくれた妙なる蝶については、
別のブログで紹介していますので、ご参照ください。
 クロアゲハ(『やまなしの自然余聞』から)

火の見ちゃん 16 [火の見櫓]

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 この写真は、1つ前の記事の初めの写真の再掲です。
今回は、火の見櫓の話題ですので、この写真のお堂の背後にご注目ください。
ほら、前回は見逃していた火の見櫓が、目に入ってきたでしょう。

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 お堂の西脇から見上げてみました。
この火の見櫓、遠くからお堂を認識する前に、
  アア、アソコニモ火の見櫓ガ立ツテイルナア・・・
と、思って注視しながら近づいていったのですが、
近づいていくと、ただ火の見櫓がある・・・だけでなく、
「サンカクダ!!!」という気持ちがわいてきました。
で、この写真のとおり、やっぱり平面が三角形の火の見櫓だったのです。

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 お堂の見学が終わって、その後で、
  コノ火の見櫓ハ、ドコカラ登ルノダラウ・・・?
と、疑問に想い、しばし、あちこちと登り口を探してみました。
で、わかったことは、三角形の火の見櫓は、お堂の背後の小高い場所にあり、
その高台には、こちらの写真を写した辺りから、上がっていくのだろうと・・・。
でも、登り道は、草に閉ざされてしまっているようでした。
  アレッ、ソレデハ肝心ノ、火の見櫓ノ役割ハドウナルノダラウ・・・?

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 少し離れて、火の見櫓の上の方を見ました。
風見鶏の部分(風向計)が壊れていて、ちょっと悲しくなりました。
と、同時に、もう消防の人たちも、小型化された無線機や携帯電話などで、
火災などに関する情報を入手する時代で、
直接、火の見櫓に登り、火元を確認したり、
望楼につり下げられた半鐘をたたいて火急を知らせることもなくなり、
上まで登ったりすることは、めっきり少なくなってしまっているのかしら。
時代の変化が感じられた、甲州市塩山上萩原上条の火の見櫓でした。

あるお堂 [地域の小さな歴史]

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 昨日(5/27)、甲州市塩山上萩原の山入りの集落で、
あるお堂を見ることがありました。

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 お堂のある集落を別な場所から眺めましたが、
突き出し屋根のある、独特な形式の古い民家がたくさん残っているところでした。

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 このお堂、何というお堂なのか、わかりませんでしたが、
軒先にこの写真のような表示がありました。
「一木百観音像」という文化財がお祀りされているお堂のようです。

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 お堂の周りは土壁で、漆喰が塗ってありまして、
茶色く変色していますが、そこにたくさんの落書きが残されていました。
こういうの、とても好きなので、じっくり楽しませてもらいました。
しばらく見ていると、落書きは、昭和40年代から
一部50年代にかけての頃のもののようでした。

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 いちばん気に入ったのは、“エイトマン”
なかなか、上手に描けていて、心の中で、大きな拍手を送ってしまいました。

 ちなみに、このお堂に祀られてきた「一木百観音像」は
木食白道さんの作とのことで、いま、県立博物館で開催されている展示会に
出品されているそうです。
展示会の詳細や出品されているここの「一木百観音像」については、
次のURLの関係ページで確認できました。
 http://www.museum.pref.yamanashi.jp/5th_tenjiannai_symbol_013.htm

じょうがさかはし [川と橋の文化誌]

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 一級河川・富士川の上流の笛吹川の支流の重川に架かる城ヶ坂橋です。
この左手(西詰側)の甲州市塩山熊野と、
右手(東詰側)の甲州市勝沼町を結んでいます。

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 この橋は、東詰下流側の親柱につけられたプレートから、
平成11年11月に完成したことがわかります。
 橋の形式は、大まかに鋼製の下路・アーチ橋で、
細かくは、アーチの部材と桁材の間に、垂直方向の吊り材が配置されている、
ローゼ橋という形をとっています。

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 東詰から見た橋の状況ですが、左右のアーチ部材がずれているように見えますね。 

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 橋の下から観察してもわかりますが、左右のアーチ部材や桁材をつなぐ
横方向の連結材が角度をもって設置されています。
これは、橋が川の流れの方向に対し、斜めに架けられていることによります。

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 上流川にのみ歩道が設置されていますが、
これを歩いて渡りながら、下流側を見ました。
欄干には、この地域の特産のブドウやモモがあしらわれていました。
欄干越しの向こう側に鋼桁が赤く塗装された古い橋が見られます。
こちらは、1970年にできた旧橋で、この新しい橋の完成後も存置されています。
新橋がアーチ式で橋脚をもたないことから、解体されることなく、
そちらはそちらとして役割を担っているようです。

にんまり、2万 [エートマンのウェブメモ]

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 ちょっと目を離しているあいだに、なんとカウンターのカエル君が
「20000」というキリ番を示してくれていました。
ずっと待っていただけに、思わずにんまり・・・

 このブログを見に来てくださっているすべての皆さんのおかげです。
これからもよろしくお願いいたします。

新TDKのバラ [見てきたよ]

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 バラの花を見てきました。
って、特段にことわるのも変ですが、とにかく有名なんです、TDKのバラ・・・。

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 甲府市東光寺町にあったときも、かなりりっぱなバラが多くの人を魅了し、
工場が移転した後も話題になっていますが、
今回のは、甲西工業団地に移転した新しい方のTDKの工場でのバラです。

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 会社のスタッフがグループごとに丹精して、工場敷地の周りのフェンスを
いろどっているのですが、道行く人の目をひきます。
先日は、公式な公開があったようですが、
いまは、通りからながめるだけで・・・という趣旨の張り紙が出ていました。

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 けっこう、三々五々訪れる人があり、色とりどりのバラの花を
楽しむ光景が見られました。

川村さんの忠魂碑 [忠魂碑の類]

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 「元帥陸軍大将子爵」といういかめしい肩書きをもった
川村景明さんが文字を書かれた忠魂碑です。
前回の小さな火の見櫓の対岸にありました。
対岸は、市川三郷町の高田地区でありました。

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 こちらは、忠魂碑に隣接して設けられている慰霊塔です。
大きなもので、宝篋印塔を模したものとなっています。
忠魂碑は、第二次大戦へと突き進む段階のものですが、
こちらの慰霊塔は、第二次大戦で戦没された方々の霊を慰めるものでした。

ひのみちゃん 15 [火の見櫓]

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 先日(5/13)、市川三郷町の印沢地区で見た火の見櫓です。
こっ、これだけ・・・???

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 これまでに火の見櫓のことを書いてきた中での高さのアバウトな表示方法では、
2階建てになります。
こんなに低くていいのかしら・・・???

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 ここは、印沢(これで、オシテザワと)と高田地区の境界辺りに位置し、
火の見櫓の建っている場所は、印川(これで、オシテガワと)の
右岸堤防の上なのであります。
 もうお気付きかもしれませんが、堤防のトップと付近の2階建ての
民家の屋根の高さがほぼ同じ。川底のレベルと、1階天上の高さがほぼ同じ。
典型的な天井川なのです。
なので、堤防の上に立つと見晴らしがいいので、
火の見櫓の高さもこんなもので、十分と考えられたのではないでしょうか。
火の見櫓一つとっても、実にいろいろありまして、おもしろいですね、世の中は。

寺院跡?! [地域の小さな歴史]

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 昨日(5/14)ご紹介した火の見櫓のある場所が、今回の話題となります。
そこにある建物の正面には、「上野コミュニティセンター」という文字が見られました。
少し昔風にいえば、地域の公民館ですね。
 つまり、火の見櫓は、公民館の敷地の一角に、
9階建て半の高さで立っていたのです。

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 この公民館の敷地の一角には、こんな光景も見られました。
こうしたものは、今とは違う、その土地の過去の姿を教えてくれるようです。
どんな性格の場所なのか、少し気になりましたので、次に
その一つひとつを観察してみます。

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 はじめは、不動明王の石造物です。

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 その隣の自然石を利用した板碑で、中央に「下野国岩船地蔵大菩薩」と
彫り込まれており、さらに右側には石碑の建造時期を示す、
「享保四年・・・」の文字が読み取れました。

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 おやおや、下の方に“見ざる云わざる聞かざる”の三猿が陽刻されていて、
庚申信仰に関係した石塔であるといえるものですね。

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 次に認められたのは、「三界万霊塔」でありました。
やはり何といっても、寺院があった・・・という歴史を伝えているようです。