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ちょっとなんですが・・・ [エートマンの日記]

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 今し方まで流れていたテレビドラマで、
夫が急に亡くなってしまったあとの、人間模様の綾を
テーマにしたものをやっていました。

 今日の記事、何にしようかなぁ~、とか、思ってる時に
そんなのが流れていると、話題もちょっと、そっち系になってしましますが
しばしお付き合いを・・・

 上の細長い写真は、先日(10/9)、旦那寺の年中行事があり
もらってきた卒塔婆を立てに、家の墓地に出かけた際、
天気がよく、遠くのお山がきれいだったので、
パチパチと撮影したもので、7カットをつなげてワイドビューにしたものです。

 お墓に入っても、天気だったら、こんなにいい山並みが見られるんだ・・・
って、思いながら撮ったことを、すっかり忘れていて、
今宵、ドラマの成り行きを見るともなく、耳にしながら作業したんです。

 左端に八ヶ岳、そして茅ヶ岳、曲岳、水ヶ森山系、遠く金峰山、甲武信岳もか、
ずっと東にながれて大菩薩・・・すごい・・・
あっ・・・

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 そうです。一番右側のカットを拡大してみますと、
なんと、銚子塚古墳の後円部も見えるんですよ。

 いま、県立考古博物館で、『甲府盆地から見たヤマト』という
特別展が開催されてますが、そのテーマによれば、
わが家の墓から銚子塚古墳を通して、ヤマトも見られるんだ!!!
って、少し短絡的かな・・・。
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川に想う・3 濁川 [川と橋の文化誌]

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 そういえば、このブログでは、いくつかのシリーズが存在しますが、
そのうちの1つに、“川に想う”シリーズがあります、ちょっとご無沙汰ですが・・・
第1回(6/22)は「鎌田川」。 第2回(6/24)は「近津用水(第二平等川)」でした。

 その後も、想わなかったわけではないのですが、今回が第3回となります。
そして、その川は、濁川。

 ここ3日ほど連続で、かなり重たい話題となりましたので、
今回は、さらっと・・・

 まずは、上の写真の説明からですが、
笛吹市境川町の金比羅山付近から見た、濁川流域のようすです。
画面右上の大きなアーチを描く橋は、国道411号の城東大橋で、
この橋の下をわが“濁川”と十郎川がまさに合流しようとしています。
それから画面中央付近で、きつくカーブする土手道が確認できるかと想いますが、
そこで“濁川”と平等川が接近し、
左下に見える甲府市環境センターの東側(右手)のやや下流辺りで合流となり、
さらに“濁川”として流れ下って、甲府市大津町の笛吹川との合流点に向かうのです。

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 川ですから、魚たち(コイなど)をはぐくみます。

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 また水鳥(カルガモなど)に生活の場を提供しています。

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 土手には、花(マルバルコウなど)が咲き、蝶(アゲハなど)もやってきます。

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 そして人も・・・

 何か、川に大きなものを感じました・・・

(撮影は、5点とも 2006年10月16日撮影)


《追記》画像データのリンク等を修正しました。2018年1月3日

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まごべえ・・・ [エートマン・モードの人物館]

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 またまた西高橋町にての話題です。
 付近を散策中、こんな場所に出くわしました。

写真手前の小さな公園のような一角のことです。
右端に寄ったところから、文字がうすくてほとんど読み取りにくい顕彰碑、
それから小さな祠、六地蔵石碑が2つと、
その向こうに火袋を失った六地蔵石幢などが置かれ、
加えて説明板が設置されていました。 

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 説明板の内容をそのままに読んでみましょう。


    桜井孫兵衛政能の濁川改修について(顕彰碑)  江戸時代中期頃までの濁川は蓬沢村の東を流れ、西高橋村の南で笛吹川に合流することから、少しの増水でも濁川の通水が悪くなり、川沿い九ヵ村は濁川の氾濫による水害が絶えなかった。中でも蓬沢と西高橋の両村は田畑の過半数が、沼地に変わるほどの惨状で苦しんでいた。  1694年、代官として来甲した桜井孫兵衛政能は、その窮状を知り濁川の改修を決意、土木工事に才たけた山口官兵衛(素堂)の協力を得て、1696年、工事を行ないそれによって長年の水害から解放され、多くの土地が耕地としてよみがえった。  被害の著しかった蓬沢・西高橋両村では、桜井孫兵衛政能の治水成功に対する感謝と、今後の水防の安全を祈って、この地に祠を建て今日まで地域住民に敬愛されてきました。  このたび埋立処分地整備事業に伴い、石碑をここに移転したものであります。                      2003年3月吉日

 とのことで、近年、付近から移転、整備された
水害の歴史にかかる石造物の保存のための
小公園だとわかりました。

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 こちらは、西高橋町付近を流れる濁川(にごりがわ)です。
左岸の堤防上から、上流方向を見たもので、
中景の堤防の向こうに見える空色がかった屋根の建物は、
大雨などの出水の際、西高橋町側からの水を排水するポンプ場です。

 先ほどの、説明板のことをもう少し確認したくて
『角川地名大辞典19 山梨県』の「濁川」の項を引いてみました。
状況がもっとよく理解できるものなので、関係の記述を引用します。


 貞享~元禄年間の頃、笛吹川の河床が高まり、当河川との合流点がふさがり、雨季になると逆流氾濫して沿岸9村、数十町歩に余る田畑が湖沼と化したという。徳川綱豊領国時代の代官桜井孫兵衛政能は治水の工を計画し、元禄9年3月工を起こし、山口官兵衛信章の協力を得て、西高橋から南方笛吹川の堤防に沿って、増坪・上村・西油川・落合・小曲・西下条の村境に至るまで新たに渠道を通じ、土堤2,150間余を築き、当河川を導き、停水を排して田畑をことごとく旧に復した。住民はその徳をたたえ、蓬沢の庄塚に桜井明神・山口霊神の生祠をたてて祀った。


 この記述中の、「笛吹川」とは、現在の平等川を指し、
また「当河川」とは、濁川のことを意味しています。

 桜井孫兵衛のことは、この地を訪ねるまでは、ほとんど知りませんでした。
山口官兵衛の方は、官兵衛というより、山口素堂の名でよく知られています。

 あらためてウィキペデアで確認すると、次のような人となりがあらためてわかりました。

山口素堂(やまぐち そどう)は、江戸時代前期の俳人・治水家。
本名は信章。通称勘兵衛。
生没は、寛永19年(1642年) - 享保元年8月15日(1716年9月30日)
生れは甲斐国で、家業は甲府魚町の酒造家。
20歳頃で家業の酒造業を弟に譲り、江戸に出て漢学を学び、
さらに俳諧の道に進む。
また治水にも手腕を発揮した。 

 たいへん、長いお話となりましたが、
「まごべえ・・・」というタイトルの割には、
桜井孫兵衛のことはさておき・・・という感じになりました。
また機会があれば、彼のことも、もっと深く知ることが出来るでしょう。

 さても、じっくり歩いてみることで、付近の歴史がずっと心にしみこんできました。
ほんとに、時間をかけて歩いてみると、いろいろなものが見つかります・・・ね!
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こうきょうじ [寺院めぐり]

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 ふたたび高橋寺について、です。
ちょっと、執心しました。
で、もうちょっと、じっくり見てみようと思います。
少し、お付き合いください。

 高橋寺は、山号を隆富山といいます。
曹洞宗の寺院で、笛吹市八代町米倉の竜安寺の末寺として
天文10年(1541)に、丹竜という人によって建立されたといいます。
開山は、宗節というお坊さんです。

 このお寺が建立された頃は、戦国時代。
当地は、高橋(たかはし)村といいました。
でも、寺の名称の読みは、“こうきょうじ”・・・です。

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 さて、高橋寺の境内の入口に、上の写真のような
「萬霊等」(万霊塔に同じ)が立っています。
背面の文字を読むと、嘉永年間の建碑で、
この寺の17代目の住職の瑞峰の時のものだとわかります。
「嘉永」の文字の下がうまく判読できませんでしたが、
いずれにしろ1850年前後だということになります。

 一般に万霊塔(ばんれいとう)は、寺院の入り口に建てられ、
「三界万霊塔」のように、「欲界・色界・無色界」すなわち世の中すべて
を意味する「三界」という言葉が付くものも、よく見られます。
「三界万霊塔」は、すべての霊を供養します、という意味となるようです。
 すべての霊を供養するといっても、個々の家の供養はそれぞれの
家を護る人が行うのであり、こうした万霊塔は、無縁となった仏を
供養する塔の場合が多いと考えられ、
また飢饉などで大勢の死者が出た時など鎮魂碑としても建てられるようです。

 これは想像ですが、高橋寺のある場所は、たびたび水害にさいなまれてきたところ、
あるいは嘉永年間の頃に、多くの犠牲者が出るような災害があったのでは・・・。
 そんなふうな歴史も想像に難くない環境にある高橋寺でありますから。

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 さてさて、もう一つ。
こちらは、やはり高橋寺の境内に見られる、庚申信仰に関する石塔です。
上の立ち姿の像は、青面金剛かと思われます。
そして、その下には、「いわざる」と「きかざる」が
浮き彫りにされています。「みざる」はなぜないのでしょうか。
当時の祈りのかたちに、特別な何かがあるのかもしれません。

 最後に、高橋寺の歴史を記載するのに、『甲斐国志』に基づいていますが、
手元にすぐに、刊本の同書をチェックするべきでしたが、
なかなか出てこなかったので、秋山敬さんのお仕事
  『甲斐国志』『寺記』所載寺院索引(稿)
という便利なご本を利用させていただきました。
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ねらいは・・・ [エートマンの日記]

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 専用ヘリコプターのかわりに、高いお山にのぼり、
ねらいを定めました・・・ うん! あそこだ!!!

 えっ...どこ、どこなの・・・
あのね、真ん中へんのずっと下の方・・・
ほら、よく見て赤い三角のお屋根が目印。わかんないかなぁ~~~

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 わかりやすく、地図を用意しました。
そうです。甲府市西高橋町です。
北東側は七沢町に接し、北から北西にかけて蓬沢町、
西側に増坪町。東から南にかけては、笛吹市石和町の東高橋地区となります。

 あれっ、東高橋・・・???。
そうです。現在の甲府市東高橋町と笛吹市石和町東高橋地区は、
本来、高橋村という一つの村だったのですが、
現在の平等川にあたる河川が、村を東西に二分してしまったのです。
 1700年ごろの「元禄郷帳」という史料には、
東高橋村と西高橋村とが記載されているので、
このころまでに分かれたものと考えられています。
 
 ここは、甲府市の中心部から流れ下ってくる濁川と、
明治40年の大水害までは、こちらが笛吹川だった平等川とが
合流するところで、標高は255m前後。
昔から、洪水の常襲地帯でした。

 今回は、ねらいをこちらにしぼり、辺りを散策しました。

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 西高橋町の南部のはずれ近くに、曹洞宗竜安寺末の高橋寺があります。
このたたずまいからすると、いまは無住となっているように見受けられます。
でも、里の秋を感じさせる、とてもいい雰囲気を漂わせていました。
ちなみに本堂の左手背後の高木は、エノキでした。

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 西高橋町の北寄りのところに、この神明神社が鎮座しています。
こちらは、戦国時代の文書に、その名が見えるものです。
 すなわち、甲府の八幡神社文書の永禄4年(1561)閏3月吉日付けのものに
武田晴信が、輪番で府中八幡への奉仕を、国内各地の神社に命じているのですが、
26番目のお当番さんとして「たかはしの禰き」(高橋の禰宜)と記されていることが
よく知られています。

 以上、さわりだけを、ざざっとご紹介いたしました。
               (2006.10.16撮影)
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ニュースは・・・ [エートマンの日記]

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 今日は、快晴でした。

 すみきった青空を駆けゆくもの・・・
それは、毎日お世話になっている地元新聞社の専用ヘリ。
いったいどんな話題が、追跡対象だったのでしょうか。

 当ブログも、日々話題集めがたいへん。
ああ、あんな専用ヘリがあったらいいなぁ~~~
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かいちく・・・3 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 またまた東電の送電線「豊富線」の改築工事のレポートです。
この鉄塔(左側)の上での作業だけで、5人ほどが頑張っておられました。
ライフラインのお仕事の皆さんは、曜日がどうしたとかいっていられない・・・。

 現在進めているのは、2つある回線の内、2号回線の送電を止め、
切り回し工事をしているので、できるかぎり早く作業を進めて、
また元通り送電していかなければならないのでしょうけれど・・・。
 まったく、あんな高いところで、緊張してお仕事されてたいへん、
見上げたもんだよ、なんて洒落をいってる場合ではなく、
見上げながら、頭が下がる想いで、しばし眺めておりました。

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 そして・・・
改築作業みながら時を過ごすと、いつしか日没・・・
この日の当地での日の入りは、16時40分。
 鉄塔の上で作業に当たっておられた皆さんは、
17時近くに、一人、また一人と、鉄塔を下りられていくのでした。
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ごせん・・・ [エートマンの日記]

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 「ごせん」って、これが音楽の五線とでも・・・?
いえいえ、違いますよ。
昨晩、ちとばかり、ぱらってて、見逃したのですが、
このブログのカウンターちゃんが5,000という区切りを
めでたく通過することができた、ということをいいたかったのです。
 これも多くの方にささえられてのことと、感激しており
また深く感謝申し上げる次第です。

 ちなみに、夕焼け空を横に黒く横切っているのは、
甲信幹線と併架されている敷島線の、送電線でありました。
さらに、同じようなルートで、西の空を目指す2機の飛行機・・・

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 ひこうき雲をつれながら、飛んでいく飛行機見ると
なぜか、どうしてもシャッターを切ってしまいます。

 vapor trail = ひこうき雲

 何かの本に出ていたんだけど、英語の“蒸気のたなびき”っていうのは
とても現実的で、ひこうき雲、それも漢字の“飛行機雲”じゃなくて
ユーミンの歌のタイトルで知られる「ひこうき雲」は、
何か夢(あるいはロマン)があるなあ~、って・・・。

 特に材料ない日だったので、かなりこじつけっぽい記事になりました。
明日は、いいことありますように・・・・・

(写真は、2006.10.10 甲府市伊勢2丁目にて)
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そういえば・・・ [神社まいり]

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 今は、10月。今頃になって、なんですが・・・神無月です。いかにも、この
「美しい国日本」らしい月の旧称ではないでしょうか。
 ともあれ、10月は、各地の神様が、出雲にお集まりになるので、各地は神無
しとなり、出雲だけは神在りなんだとか、と伺っております。

 さて、こうした神を祭り、神の代の昔からの、大切な伝統を重んじるこの国に
あって、やれハロウィーンだとか、そのうちにはクリスマスだとか、最近なんで
もあちらのものをもてはやす風があって、けしからんですよね。

 見てください、この神社。小さいけれどもたいへん立派な構えをしています。
いささか前の撮影ですが、9月の7日に甲州市勝沼町で、拝見したものです。
 さて、この神様、どんな神様だと思います。やはり今は出雲にお渡りになって
いらっしゃって、お留守なんでしょうか。

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 あれあれ、神様のお名前を記した石の額に、カタカナが・・・ 何なに・・・
ボルドウ神社・・・ なんなんでしょうか、まるであちらの言葉みたいですよぅ。

 そうです。ブドウとワインの町、勝沼に、ブドウ産業の神様としてお祀りされ
ていて、明治以来、ブドウ栽培やワイン醸造の技術について、お手本と仰いでき
たフランスは、ボルドーの地にゆかりをもつものだそうです。
 きっと、この神様、出雲には、お出ましになってないのではないかな・・・
 カタカナのお名前の神様、なかなかこの美しい国の八百万の神様の中にうまく
混ぜてもらえないような気がするから、というのが一つ。また、ブドウは、いま
が盛り、その忙しい時に、一月も留守には出来ないだろう、ということがもう一
点です。

 さてさて、実際のところはどうなんでしょうか・・・

《画像調整等》オリジナルの画像が失われたため、再度つけなおしました(2018.12.6)
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とおきやまに・・・ [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 昨日、今日と新着画像がありませんでした。
このため、一昨日(10/10)の日没のようすを紹介します。

 甲府市西高橋町から、南アルプスの山並みに日が隠れた状況です。
この日の当地での日没時間は、16時52分でした。

 またシルエットになって見えるのは、東電の送電線、玉諸線の鉄塔群です。
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