SSブログ

いちかわだいもん・27 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

100221ichikawadaimon27a.jpg

 先日見た、昭和町上河東にある、東京電力(株)の送電線、市川大門線の27号鉄塔です。
実は、この鉄塔、2010年1月25日の「身延線の車窓から・・・変電所めっけ!!!
に登場した、あの送電線鉄塔なのであります。
(なお、27号鉄塔の左側の青いお空に白いひっかき傷のように見えるのは飛行機雲です)

100221ichikawadaimon27b.jpg

 初めの写真は、市川大門寄りの方向から、甲府市街の方向に向かって見たものですが、
今度の写真は、その反対、すぐ左手に太陽が出ていて、かなり逆光です。
この写真で、左上方から27号鉄塔を経て、右下方につながっていくのが市川大門線の
2回線、6万6千ボルト送電線なのであります。
そしてこの27号鉄塔で分岐が行われ、向かって左方向に伸びています。その先には・・・。

100221ichikawadaimon27c.jpg

 27号鉄塔の南側の根元を見ていますが、その右手前方の施設に、
分岐線はつながっていきます。
そう、そこが、例の身延線電車の車窓から見たという変電所なのであります。
その名も常永(じょうえい)変電所。

100221ichikawadaimon27d.jpg

 27号鉄塔のプレートの1つです。
これによると、平成4年6月に建造されたもので、高さ40数メートルの送電線鉄塔だとわかります。
市川大門線自体は、もう少し古い送電線なので、この平成4(1992)年というのは
立て替えを意味しているようです。
おそらくこの時に、常永変電所も整備されたのではないでしょうか。
言い換えれば、常永変電所の新設に合わせ、27号鉄塔が改築されたと言えそうです。

100221ichikawadaimon26a.jpg

 市川大門線26号鉄塔です。その向こうに小さく25号以下が並んで見えます。
出発点は、山梨変電所。
出発後しばらくは、山梨線の鉄塔におんぶして来まして、
途中で、天竜南線19号鉄塔にだっこされたとき、玉幡線や国母団地線という兄弟が生まれます。

100221ichikawadaimon28a.jpg

 こちらは、市川大門線28号鉄塔。
1月25日の記事でもふれていますが、この28号鉄塔においても分岐が行われています。

100221ichikawadaimon28b.jpg

 28号鉄塔のあんよの1つに付いているプレートです。
昭和63年3月の建造で、高さ53メートル。
あれれ、これもその時点で立て替えられたもののようですね。

100221ichikawadaimon28c.jpg

 南側から見た28号鉄塔です。
そして左側に小さく、先ほどの27号鉄塔が見えています。
そしてさらに、画面右端に見えるのが山梨大学医学部と附属病院です。
この28号鉄塔は、大学病院に高圧給電をするための分岐線を確保しているのでありました。
医学部と附属病院の歴史は、もっと古いので、いまある28号鉄塔からダイレクトに
高圧給電をするようになったのは、病院の規模が高められた(?)昭和63(1988)年
のことだったのではないでしょうか。

 単に送電線、でもそこに社会があり、歴史があるのであります。

ワイドビューふじかわ3号 あっと鰍沢口-市川大門 [鉄道・電気機関車]

100220minobusen12fujikawaNo3.jpg

 富士川左岸堤防に「しばもじ」が現れる場所で、振り返ると・・・、
ワードビューふじかわ3号、甲府行き下り特急が走るのが見えました。

100220minobusen13fujikawaNo3.jpg

 身延線の特急は3両編成ですが、その先頭車両は、クハ372-1でした。
となると2号車はモハ、最後尾はクモハだよな・・・。

100220minobusen14fujikawaNo3.jpg

 果たして2つ目の車両ですが、手前の樹木が邪魔になり、正確にはわからなかったのですが、
どうやらモハ372-1のようでした。

100220minobusen15fujikawaNo3.jpg

 3両目ですが、これもはっきり写りませんでしたが、クモハは読み取れました。
クモハ372-2ではないかしら、数字のハイフンの前の1文字には自信がありません。

 ところで、何でエートマンは、こうした車両の記号にこだわるのでしょうか。
それは・・・いずれ・・・。

 いずれにしても、身延線の車窓から、この「しばもじ」はよく見えるのですよね。
電車に乗られる方も、火の用心。「消えるまでゆっくり火の元にらめっ子」でお願いしますよ。

しばもじ2010 [消防防災の巻]

100220shibamoji01.jpg

 富士川の左岸堤防に、冬枯れの土手の、焼かれて黒くなったのり面をキャンバスに、
大きな文字が浮かび上がっているのを見ました。
一昨日の土曜日のことです。

 これが、どんな意味があるか、このブログご覧の皆さま、およそ察していただけますね。
過去にも記事があります。ブログ内検索エンジンで「しばもじ」を検索すると、
2つほど見つかりますよ。
とはいえ、お手間をとらせたらいけませんので、過去記事の一覧を示すと、次のとおりです。
 1)「しばもじ」 2008.3.9 http://bnvn05.269g.net/article/10818344.html
 2)「しばもじ2009」 2009.3.3 http://bnvn05.269g.net/article/14016964.html

 この記事は、まだ途中、続きがあります。どうぞ最後までご覧ください。

続きを読む


軌道モータカー あっと十島 [鉄道・電気機関車]

100220minobusen04.jpg

 こちらはJR身延線の十島駅の構内です。1つの島状ホームを下り(甲府側)から見たものです。
右端の待機線には、前回取り上げたMTTがとまっていまして、
今回のテーマは、左端、ずうっと先にある、やはり保線用の車両のことであります。

100220minobusen05.jpg

 近寄ったところの全景がこちらです。
この車両は、いったいどんなお仕事をされるものなのでしょうか。

100220minobusen06.jpg

 車両の製造標がありました。
これによると、この保線用車両のお名前は、「軌道モータカー」
型番は、TMC 400NCで、その15号機ありました。
そしてお誕生月は平成4年2月。満18歳かな。
製造者は、富士重工業株式会社。

100220minobusen07.jpg

 製造標のとなりには、「けん引・速度性能表」が貼ってありました。
これによると、勾配0で、250トンの重量を引っ張っても時速45キロ以上はだいじょうぶだと・・・。
そうです、このTMC 400NCは、軌道上の牽引車のようでありました。

100220minobusen08.jpg

 JR東海のロゴがあります。
その下には、自重が19トンあることもわかります。
ある程度、自重がないと重たいものも引っ張れないし、
基本的には、動力源のディーゼルエンジンなどの重さがあるようです。

100220minobusen09.jpg

 こちらは、軌道モータカーの後ろ姿です。

100220minobusen10.jpg

 後部の連結器部分をクローズアップしてみました。
この連結器で、他の車両をけん引したりするもののようですが、
連結器の下にもう一つけん引装置があり(赤く塗装されている)、
そこから連結装置を介して、保線用の専用車両が2つ、つなげられていました。

100220minobusen11.jpg

 こちらがその保線用車両2つ分です。
手前には、発電機と小型クレーンをのせた台車があり、
その向こうには、枕木運搬用の台車がつながっていました。

 この軌道モータカーとその仲間たちは、前回見たMTTと連携して、
保線作業を行ったりするのでしょうか。
いずれにしても、大切なお役目、人目に付かない縁の下の力持ちといえます。
がんばってください。

マルタイ・再び あっと十島 [鉄道・電気機関車]

100220minobusen01.jpg

 今日(2010年2月20日)、JR身延線の十島駅の待機線で、MTTを見ました。
マルチプルタイタンパー、略してマルタイです。
 2007年11月24日に甲斐上野駅構内で見たものと同じものです。
その時のことは、「マルタイ・・・」という記事と「マルタイ・・・追加情報」という記事、
それぞれの当ブログの過去記事に詳しいので、あわせてご参照ください。

100220minobusen02.jpg

 このMTTの出番は、列車の運行が止まった夜間のこと、
昼間は静かに静かに、待機線で体を休め、出番に供えているのでありました。

100220minobusen03.jpg

 今回、MTT、とくにUNIMAT 08-275について、じっくり観察し、
30カット近く写真を撮りましたが、その中で大きな収穫は、こちらです。
前回には気付かなかった、Plasser&Theurerの製造タグのようなプレートであります。
一番上のロゴ、なかなかかっこいいですね。

普通列車・身延行き あっと内船 [鉄道・電気機関車]

100214minobusen01.jpg

 JR身延線の内船駅で普通列車みました。
・・・という、何のことはないお話しです。

100214minobusen02.jpg

 富士駅を12時52分に出て、身延駅に14時3分に着く、3両編成の下り普通列車の
先頭車両は、クハ312-2332でありました。

100214minobusen03.jpg

 2両目は、モハ313-2606でした。そして・・・、

100214minobusen04.jpg

 3両目は、クモハ313-2606でありました。
どうということはないのですが、身延方向に2両目と3両目となった箱は、
クがあるかどうかだけの違い、同じ車体番号でありました。
こういうことってよくあるのかなぁ・・・。てっちゃんでないからわかりません。

室伏トンネル [tunnels]

100131murobushitunnel01.jpg

 国道140号が山梨市牧丘町室伏地内を通過するところに、
この室伏トンネルがあります。
 これも先月末に見たものでありますが、
このところ、この春に開通するらしい「若彦トンネル」について、ネット検索され、
このブログにお見えになる方が多いようなので、直接それとは結びつきませんが、
こちらの室伏トンネルを取り上げることとしました。

100131murobushitunnel02.jpg

 今回、取材したのは、室伏トンネルの雁坂峠側出口でありました。
こちら側から入ると、いったん明かり区間があり、すぐにその先に牧丘トンネルが続きますが、
この牧丘トンネルは、こちら側から見ると、大きく左カーブしています。

100131murobushitunnel03.jpg

 これは、トンネルの入口に付けられているプレートです。
1998年に完成し、その長さは580mだとわかります。

***これまでのこのブログ内のトンネル・ランキング***
第1位 室伏トンネル  580m
第2位 新鳥坂トンネル 479m
第3位 照坂トンネル  230m

おーるど・ふえこま [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

100131oldfuekoma01.jpg

 大変恐縮ですが、甲州市塩山藤木の上藤木・八坂神社の前の
葡萄畑の中に、こんなポールが立っていました。
むかしの木製電柱みたいなのですが、途中で切れていて、
切れたところに「1」とか「2」という表示が付いています。
これ、なんだろうなー。

100131oldfuekoma02.jpg

 実は、エートマンには、すぐぴんと来るものがありまして、
念のため、周りを見渡すと、真上に送電線がとおっていました。
東京電力の笛駒線です。
で向こうに見えているのは、笛駒線9号鉄塔です。

100131fuekoma01.jpg

 現在の笛駒線9号鉄塔は、昭和52年5月に建造された高さ31mの送電線鉄塔です。
昭和52年(1977)以前は、どうだったんでしょうか。
たぶん、木製の送電線鉄塔じゃなくて、送電線木塔だったようです。

100131oldfuekoma03.jpg

 こちらは、今回問題にした木柱から、笛駒線8号鉄塔を見ているのですが、
大きく「1」と掲げられている木柱は、笛駒線の1号回線を支える送電線木塔だったのです。
いま見られるよりも高い木塔が、鉄塔に更新され、その際「1」の表示板の
すぐ上で、切り倒されて、根元部分だけが葡萄畑の中に残されていた・・・
それが今回の話題だったのであります。

八坂神社のエドヒガン [巨木・記念木・気になる木]

100131yasakajinja13sakura.jpg

 西面する八坂神社の・・・、(あれ、まだ八坂さん、きり付かないの? ま、最後までよろしく)
正面の脇を南北に通じる道路がありますが、神社正面から北側を見ています。
すると境内の外れに、歴史を経た樹木があるではありませんか。

100131yasakajinja15sakura.jpg

 その気になる木の根元に、こんな表示板がありました。
いわく、「八坂神社のエドヒガン」
表示板はかなりよごれていて、本来の美しさがうまくつたわりませんが、
春爛漫の頃、見事に咲き誇る そのエドヒガンの写真が添えられていました。

100131yasakajinja14sakura.jpg

 サクラは、基本的には落葉樹。
今の時期は、冬枯れの姿しているのは当たり前ですね。
しばし目をつむって、春爛漫のその姿を想像してみました。
う~ん、でも、実際を見るしかないな・・・。結論です。

上藤木の八坂さん(続々編) [神社まいり]

100131yasakajinja04.jpg

 いろいろと、興味ワクワクの八坂さんでありますが、今回できりをつけましょう。
神社は、およそ西面していまして、拝殿の北側から境内を見ています。
写真の手前に入り込んでいる樹木は、梅の木です。
ここをお参りしたのは、実は、1月の末のことでしたから、
この梅、いまはかなり咲いているのではないでしょうか。

100131yasakajinja08.jpg

 こちらは、拝殿の裏の本殿を眺めています。
ここの神社、拝殿の護りが堅いように思われました。