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「忍村」について [地域の小さな歴史]

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 「忍村」について調べてみました。
忍村と書いて「しのぶむら」と読みます。けっして忍者の里なんかではありません。

 それは、明治8年から同22年までの間、巨摩郡(明治11年からは中巨摩郡)の村名であり、
明治22年から昭和16年までの間、中巨摩郡の自治体の1つでありました。
大和田・藤巻・馬籠・今福・今福新田の5つの大字を編成していました。
富士川の2大支流の笛吹川と釜無川に挟まれた地域で、「常襲水難の地」と評されるほどでした。
南側を流れる笛吹川には、渡船があり、
後に(明治の末年に)桃林橋が架橋されるまで続いていました。
渡しがあった頃、村には河岸場税が徴収されていた、との記録もあったそうです。
昭和16年、田富町の一部となり、現在は中央市の西南端の地となっています。

 以上の記述は、多く『角川日本地名大辞典 19 山梨県』の記事に拠っています。
写真は、中央市藤巻の永正寺境内にある忠魂碑の裏面の銘文の一部です。
「忍村」・・・少しも知りませんでした。この碑文にであうまでは。

たちまちに立ち待ち [月や宇宙・宇宙開発]

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 まん丸お月さま、皆既月食付き・・・を見た晩の次の日ですから、
十六夜かと思ったら立ち待ちなんだそうです。
すなわち旧暦で11月17日ということですね。
それにしても以前として、まん丸に見えました。ちなみに月齢16.18。

天気晴朗なれど・・・ [悲しみの記憶]

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 甲府市の中心にある県指定史跡・甲府城跡の、わずかに往時をとどめる内堀から
天守台までを一気に眺めた写真です。
こちらも16世の末から近現代までの歴史を物語る大切な場所。

 それにしても、爾霊山の思い出を受けて「天気晴朗なれど・・・」ときたものの、
何故に甲府城跡なのでしょうか。それには訳があります。
ことわっておきますが、写真は先週金曜日、午前に甲府に雪が舞った後のものです。
それ以来、天気晴朗な時間が続いていまして、そんな今日の日曜日・・・。

悲しい知らせが目にとまりました。

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『坂の上の雲』見て・・・ [ぶんぶん文芸]

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 NHK-TVで今晩放映された『坂の上の雲』第3部の「203高地」の回を見ました。
昨日から今日にかけて、忠魂碑の類の過去記事を見直していたこともあって、
何かしら、ドラマに引き込まれてしまいました。
そういう道を通ってきたのだなぁと感じながら見ました。
見た後で、以前203高地を訪れていたことを思い出しました。
1つめの写真は、その時(2002年10月)のものです。

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 坂の上に立つ爾霊山の碑は、乃木さんの漢詩とともに、遠い歴史を映し出しているものでした。
それにしても、あの国で、よくもまあ現在まで残っているものですね。

ビワの花に寄せて・・・ [エートマンのウェブメモ]

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 本未明、我ガ帝・・・イヤ、ワガ ぶろぐ『えーと 何だっけ?!』ハ
年間累積頁閲覧総数四十万ヲ突破セリ!

 ずいぶんと右寄りで始まりましたが、そういうことで、前年比で4万4千ページ余の増です。
 また、アクセス数の年間累計も8万8千余(前年比1万4千増)となっています。
日々ご覧いただいている多くの皆さまに支えられているなぁ、と実感し、
また厚く感謝を申し上げるしだいです。ありがとうございます。

 写真は、昨日、夕川の上流部を徘徊していたとき目にしたビワの花であります。
よく知らないで「季節外れ?」なんて思っていたのですが、調べてみると
ビワの花は、11月の終わり頃から咲き始めて、この12月が盛りだとか。
気ぜわしい師走に、ちょっと暖かみを添えてくれる花でありました。

撮影の試み・・・昨晩の月食 [月や宇宙・宇宙開発]

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[満月] 2011.12.10 18:28

 前々々回の記事「今夜は満月、そして・・・」で使用した写真を再掲しました。
デジタル一眼のカメラに70-300mmズームレンズをいっぱいまで伸ばしての手持ち撮影です。

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[カメラ] 2011.12.10 22:51

 そろそろだなぁ・・・。同じ機材を持って庭に出ました。
ああっ、思いっきり暗いじゃん。感度をいっぱいまで上げて、手持ちの限界に挑みました。
で、撮れた写真見てがっくり。これじゃだめじゃん。
三脚は、あるけど、アタッチメントどこに置いたか・・・。間にあわんじゃん。

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[カメラ] 2011.12.10 22:53

 こんな時にはコンパクトデジカメで行くべし。
家の中にとって返し、コンデジ君を持って再びチャレンジしました。
手持ちの限界写真を念頭に、感度と露出・シャッタースピードをセットし、
セルフタイマーを掛け、地面に放り出すやり方です。

 ああ、露出オーバーです。
影の部分は拾えていますが、地球くんに食べ残されたところがハレちゃいました。

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[カメラ] 2011.12.10 22:58

 今度は感度をいっぱいまで下げて、やり直しました。
ううっ、アンダー過ぎ。
でも本影とわずかな半影(というのだったかな)の組み合わせなのでこんなもんだな、と勝手に満足。

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[カメラ] 2011.12.10 23:04

 近くにオリオン座がきれいだったので、ご一緒にどうぞ! としました。

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[カメラ] 2011.12.10 23:10

 皆既食になりました。怪奇な色。快気な心。
歓喜にふるえて、でも寒気にふるえて・・・もう、たえられない、これでお終い・・・でした。

「雪」降った・・・らしい [季節の話題]

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 こちらは昨日の甲府市中心部にある県指定史跡甲府城跡とその背後の山並みを見たものです。
午後には、このように晴れて陽が差しましたが、午前には
冷たい雨から一時白いものに変わった時間がありました。
甲府での初雪の観測となったそうです。

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 恩賜林御下賜謝恩碑の左手のスカイラインの下部で、薄くかかる雲の切れ目から、
陽を浴びて白く輝く初の積雪がはっきり見て取れました。

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 そして昨日から今日にかけ、冬らしい冷え込みに見舞われ、
お昼頃になってもまだ融け残っている霜柱を見ました。

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 その後、本日の昼下がり、山梨市のフルーツ公園に出向く時間がありました。
空はきれいに晴れ渡り、陽射しもあって、暖かに感じたものでしたが、
さすがに当地は若干標高が高く・・・、

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 ガラス温室の上に降った雪がまだ消え残っていました。

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 雪が降ったらしい・・・ということを、実感できたのでありました。

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 ところによっては日が当たり、雪の白さが輝いていました。

忠魂碑の類に関するインデックス [忠魂碑の類]

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 これまでこの『えーと 何だっけ?!』においては、時々の関心のおもむくままに、
山梨県内の各地に見られた「忠魂碑」や、忠霊碑などのそれに関連する石碑を取り上げてきました。
カテゴリの中にまとめてあるのでそれでよいとは思いますが、
実際のところ、いくつかたまってきていて、カテゴリ内の1つひとつの記事をチェックして
目的の記事をさがすのにも、いささか厳しくなってきたので、
インデックスを作成することとしました。
当該記事をたどるには記事の番号数字をクリックしてご覧ください。
(写真は、2011年11月12日撮影の中央市藤巻・永正寺の忠魂碑)

「忠魂碑」の部 (配列は、揮毫者の生年順です)

山縣有朋(1838~1922)による・・・
丹波山村・宝蔵寺境内/明治41年/(丹波山村)青年一同/記事

乃木希典(1849~1912)による・・・
笛吹市一宮町・広厳院境内/明治38年/御代咲村軍人家族保護會/記事
笛吹市御坂町・称願寺境内/明治43年/帝國在郷軍人會黒駒村分會/記事

川村景明(1850~1926)による・・・
富士河口湖町河口/明治40年/*建立者不詳/記事
大月市笹子町・笹子駅前/大正10年/帝國在郷軍人會笹子村分會/記事
市川三郷町高田/大正14年/帝國在郷軍人會高田村分會/記事

児島源太郎(1852~1906)による・・・
笛吹市八代町・花鳥山/明治39年/竹野原村在郷軍人會/記事

寺内正毅(1852~1919)による・・・
甲州市塩山竹森・玉諸神社境内/大正8年/帝國在郷軍人會玉宮村分會/記事

福島安正(1852~1919)による・・・
大月市鳥浜町/詳細未確認/記事
笛吹市春日居町・山梨岡神社境内/詳細未確認/記事
山梨市北・窪八幡神社境内/大正4年/帝國在郷軍人會八幡村分會/記事

一戸兵衛(1855~1931)による・・・
富士川町十谷・鈴鹿神社境内/昭和2(ないし3)年/詳細未確認/記事
笛吹市境川町・境川小学校/昭和3年/帝國在郷軍人會境川村分會/記事
市川三郷町高萩地内/昭和3年/帝國在郷軍人會下九一色村分會/記事
笛吹市石和町・佐久神社境内/昭和3年/帝國在郷軍人會富士見村分會/記事
南アルプス市藤田・八幡神社境内/昭和3年/帝國在郷軍人會藤田村分會/記事
甲府市下曽根町地内/詳細未確認/記事
甲府市御岳町・金桜神社境内/昭和3年/帝國在郷軍人會宮本村分會/記事
笛吹市八代町・熊野神社境外/昭和3年/帝國在郷軍人會八代聯合分會/記事

田中義一(1864~1929)による・・・
韮崎市富士見ヶ丘1丁目地内/大正6年/帝國在郷軍人會韮崎町分會/記事
北杜市須玉町・塩川神社境内/大正7年/帝國在郷軍人會増富村分會/記事

鈴木荘六(1865~1940)による・・・
中央市藤巻・永正寺境内/昭和8年/帝國在郷軍人會忍村分會 記事
甲府市下向山町・旧中道支所敷地内/昭和9年/帝國在郷軍人會右左口村分會/記事
甲州市勝沼町綿塚・飯綱神社境外/昭和10年/帝國在郷軍人會綿塚村分會/記事

河内信彦(1866~1944)による・・・
韮崎市神山町・旧神山小学校跡/大正4年/帝国在郷軍人會神山村分會/記事

荒木貞夫(1877~1966)による・・・
韮崎市清哲町・旧清哲小学校跡/※昭和15年/※帝国在郷軍人会清哲村分会/記事

廣瀬 猛(1882~1934)による・・・
甲州市塩山上於曽・向嶽寺境内/詳細未確認/記事

戦後に設けられた慰霊の部
「墓碑銘」/忍野村内山地区内/昭和26年/記事
「慰霊碑」/甲府市蓬沢1丁目・福寿院境内/昭和27年春/記事
「殉国之碑」/市川三郷町宮原・本定寺境内/昭和28年/記事
「日支事変以後戦没者銘碑」/笛吹市御坂町・称願寺境内/昭和28年/記事
「戦没者慰霊之塔」/笛吹市八代町・花鳥山/昭和28年/記事
「慰霊之碑」/南部町内船・八幡神社境内/昭和29年春/記事
「殉国」/南アルプス市曲輪田・諏訪神社境内/昭和29年秋/記事
※「忠魂碑」/韮崎市清哲町・旧清哲小学校跡/昭和31年/記事
「忠霊碑」/甲府市下向山町・佐久神社/昭和34年/記事
「靖国の碑」/中央市今福・妙法寺境内/年未確認/記事

戦前の関係する記念碑の類の部
「従軍紀念之碑」/笛吹市八代町岡・八幡神社境内/明治29年/記事
“日露戦役凱旋紀念奉納碑”/市川三郷町市川大門・八幡神社境内/明治39年/記事

県外で見た忠魂碑の類の部
「石川縣戰死士盡忠碑」/石川県金沢市・兼六園内/明治11年/記事
「忠魂碑」/京都府左京区・阿弥陀寺境内/昭和2年/記事

(注)※印は、戦前の建碑が戦後に復刻されたのもです。

(最終更新:2015年10月7日)

今夜は満月、そして・・・ [月や宇宙・宇宙開発]

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 2011年12月10日の午後6時30分頃撮影のお月さまです。
東の空から順調に駆け上がってきた今晩のお月さまですが、今のところまん丸お月。
でも、今夜は、このあと特別なことが起こる・・・。
それは部分的には9時台から起こるようですが、本格的なものとなると11時過ぎ。
今夜はお天気も大丈夫そうです。寒さ対策をして、今年最後のまん丸お月の
あでやかなショーを堪能しましょう。

永正寺境内の忠魂碑(その2) [忠魂碑の類]

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 中央市藤巻の永正寺さんの境内に立っていた忠魂碑は、
陸軍大将・鈴木荘六さんの書になるものでありました。

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 背面を見ると、

   昭和八年十一月三日
   帝國在郷軍人會
   忍村分會

 と彫り込まれておりまして、さらにその上部には・・・、

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 銅板プレートがはめ込まれていて、そこには「日露戦争」で亡くなった方4名、
「満州事変」で1名、「支那事変」で8名、「大東亜戦争」で56名と、
多くの戦没者の氏名が記されていたのです。
 こうした銅板での戦没者名を記したのは、『忠魂碑』(在郷軍人會の建碑によるもの)
としては他にあまり例がないと思われ、少し不思議な感覚がありました。
しかし、写真を大きく拡大して点検したところ、銅板プレートの下辺欄外に
「昭和二十七年秋彼岸」の文字が確認でき、後から付けたされたものだとわかりました。