もの言わぬ物にもの言わせる・・・ [地域の小さな歴史]
このところ続いている“大津町逍遙シリーズ”の最終回です。
例の不思議な空間に出くわす直前、そう広くないローカル色豊かな集落内の道路を歩いていたとき、
ある民家の通りに面した物置の壁に、それはそれは不思議な(でもないか・・・)もの見ました。
でもこの写真では、壁にとけ込んでいてわかりにくいですね。
少し斜め横から見ましたよ。これならわかりますよね。
えっ、わからない???
だめですよ、こうしたの、わからなければ・・・。
これはですね、あれですよ、あれ!
いまでは、ほとんど使われることはないと思われますが、
広い水田に、田植えをする際、これを引いて筋をつけて、等間隔に稲の苗が植えられるよう、
目印をつける道具ですよ、たぶん(いい加減な話ですね、でも確度たかいですよ)。
この地域は、かつては、水田稲作が盛んな地域でした。
いまは・・・。
またまた、別な通りに面した土蔵の壁です。
表面を漆喰などで塗り固めることのない、素朴な土壁、そこに歴史を感じました。
伝統的な工法の土壁、藁を切り刻んで、繋ぎ材として、壁の強度を高めています。
でもね、何かの理由で痛んでしまい、すうっとクラックが入ったので、補修がされています。
補修の際には、藁ではなくて、金網を繋ぎ材にしているようです。
面白いですね。
あやー、土壁の中に、なぜか二枚貝の殻が入っています。
なぜかしら・・・、貝塚の近くからでも壁土の素材を採ってきたのでしょうか。
貝塚とくれば、土器が出てきたりする? うーん、これ、土器みたいですね。
土蔵の壁面は、遺跡だった・・・みたいな、思い切り不思議な話でした。
この土蔵の屋根は、桟瓦葺き。それで、その軒瓦は、基本的に素文のものですが、
1つだけ紋様のある軒桟瓦がありました。
こうした状況は大正から昭和の前半ごろの感じかなと思われます(実際はどうかしら・・・)。
壁に掛かっていた農具や、土壁、そして屋根瓦・・・。
もの言わぬこれらの物に、思い切り物を言わせてしまいました。
とある不思議な空間 [エートマン的kokoro]
先週土曜日の空がきれいな大津町の景色、笛吹川・荒川合流点付近から見ました。
前の写真の中心部分を切り出しました。
今回の話題は、この堤防から下って、集落の中にほぼ直線で伸びる道のことです。
集落の中の「道」が話題といっても、何がポイントなのかわかりにくいですよね。
でも、エートマン的には、すごく大きな驚きがあった空間、といえるものでした。
この直線の道、かたわらに止まっている車を指標に見ていただくとわかるかと思いますが、
3車線分あまりありました。
広いのです。だから道というより「空間」です。
実は、この場所のことを最初から知っていたわけではありません。
この道のずっと向こう側から、この空間にさまよい込んだのですが、
ここにたどり着くまでは、軽乗用車のすれ違いも厳しそうな、そんなに真っ直ぐではない
集落の中の道を歩きながら、ここの入り込んだのです。
それで、目の前に開けたこの空間に驚きを感じたのです。
どうしてこうした空間があるのだろう・・・。ワカリマセン。
空間の西の入口に当たる場所に、道祖神が祀られていました。
東側の起点にも、道祖神がお祀りされていました。
この東西の端を道祖神に守られた、不思議な空間、なんかもやもやしています。
そう、こちらの道祖神さんの向こうに、前々回までに取り上げた珉照寺と
その境内の大きなモクレンの木が見えています。
この空間に面したお屋敷の中に、きれいなツバキが見られました。
ところで、大方の皆さんは、ずいぶん大げさに予告した割には、おもしろくなかったゾ、
と思われるかもしれません。
でも、そうたいしたことでもないようなことに、適当に心が動く、
そんなエートマンの「エートマン的kokoro」なのでありました。