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お昼に見た月 [月や宇宙・宇宙開発]

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 お昼休み、空は比較的明るく、ところどころ青空が広がっていました。
その青空のかけらに、ぽっと白いお月さまが・・・。
月齢は、その時点で、4.34。 およよ、いつの間にか月が、三日を過ぎていました。
今晩は、職場の納涼会、さてさて・・・。
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「発掘された日本列島2010」にもいきました [博物館・展示会]

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 昨日(2010年7月14日)のこと、江戸東京博物館にも出没しました。
お目当ては、こちらの企画展示室。展示室の入口の上にタイトルが出ていました。
全国各地の遺跡調査の成果を持ち寄った展示会で、この江戸東京博物館が皮切りとなる巡回展。
なかなか見応えがある感じがしました。
展示室を入って最初に迫る大型の埴輪群。
古墳に建てられてしばらくして襲った大地震で、古墳のマウンドが崩壊し、
墳頂辺りから滑って落ちた埴輪群がそのまま埋もれていた、という発掘成果でありましたが
地震国日本の地下の文化遺産にもそうした痕跡が残っているのだなぁと・・・。

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 それから、このところ注目を増している奈良県天理市の纏向遺跡。
卑弥呼の都かもしれない・・・。邪馬台国畿内説・・・。
そうしたことで多くの人々の関心を惹きつけています。
オタク的には、この写真に見るような全国各地域の土器が集まっていること。
わが山梨でよく見られる上段右端の、S字口縁台付き甕なんてのをじっくり見たりして、
卑弥呼の時代に思いを馳せたのであります。

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 それから、かわいらしい水鳥のような埴輪・・・。
親鳥の上に子の鳥が乗っているなんてのもありましたよ。

 この展示会は、江戸東京博物館で7月25日(日)まで(詳細はこちら)で、その後は、
青森県・宮城県・大分県・香川県・大阪府などの会場を巡回します。
皆さんも一度いかがですか・・・?!
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お名前募集中、(仮称)東京湾臨海大橋 [what's new]

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 今日は、夏休みがとれましたので、ちょっとがんばって、こんなの見てきました。
前回は新木場からのチャレンジでしたが、今日は、ゆりかもめに乗って大接近を試みました。
 この写真は、ゆりかもめの車窓から写したものです。
でも、ちょっと迫力が足りないなぁ、ということで、目指したのは・・・。

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 東京ビッグサイト。この中か、その先辺りで期待した写真が撮れるぞぅー。
ワクワクしながら、うろうろした結果、答えはバツ。
写真の高い建物の最上階に展望レストランがあって、そこならと思って攻め寄せたのでしたが、
間が悪いというか、その時間帯は貸し切りになっていたのです。
それから、その先の海岸をも目指してとことこ歩いたのですが、付近は埋め立て地、
工場などに敷地に割り振られ、新木場の先で得られたような展望はまったく得られずじまいでした。

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 かくなる上は、あれだっ!
乗りましたよ、大観覧車。900円也を支払って。
後になって聞くところに拠れば、この5月で、観覧車が建てられている土地の契約が終了し、
成り行きによっては解体ということになるかも、ということで、
なかなか得にくい機会に乗ることができたのだなぁ、と別な意味の感激もありました。

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 で、このとおり、大迫力です。
というか、このままでは、あの鉄でできた2匹の対峙する恐竜のすごさが伝わらない・・・。

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 そこで、鞄の中に忍び込ませておいた300mmレンズ登場。
いかがでしょうか、怒迫力(もっとも、こんなにちっこく縮小したんじゃなぁ・・・)。
こちらは、若洲側の中央径間トラス桁のようすです。

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 そして向かい合った中央防波堤側の中央径間トラス桁です。
どちらも、見ていると、ノッシノッシと歩き出しそう。
現代に蘇った巨大ダイナソー。このバトル、どんな決着になるのか・・・。

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 いやいや、そうではない。左右二つの中央径間トラス桁は、中央部がまだ連結しておりません。
繋がるのはいつなのか。
そこで、工事を所管する国土交通省関東地方整備局東京湾事務所のHPで確認・・・。
わかったことが2つです。

その1)7月下旬には、二基のトラス桁の間に箱桁を架設する工事を実施する予定
その2)東京港臨海大橋(仮称)の名称を公募、募集期間は平成22年7月1日~8月20日

 なぁーんだ、東京港臨海大橋って、仮称だったのか。
そんで、応募しちゃおかな・・・・・。お終い。

《仮称・東京湾臨海大橋に関する過去記事》
1あんだぁ・こんすとらくしょん、東京湾臨海大橋」2009年9月17日<新しい土地利用のかたち>
2東京湾臨海大橋、その後」2009年10月1日<what's new>
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梅雨時のふるさと公園のスケッチ・2 [公園・史跡]

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 前回の記事で取り上げた岡銚子塚古墳を見た場所から、
今度は反対側(東側)を見てのスケッチです。
ちょこっとだけ、ワイドな写真を使います。
一番左手に小さく見えるマウンドは、杯塚(つきづか)古墳です。
その背後にある大きな木は、いつか取り上げたことがある、
甲州蚕影桜(こうしゅう・こかげざくら)でありました。

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 前の写真の中の一部分をさらに取り出してご覧に入れます。
お母さんがピッチャーで、お父さんがキャッチャー、お兄ちゃんバッターで打ちました。
一番右手に弟くんが守っています、ここまでかっ飛ばせっ、って。

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 雨がポツポツする中、みんなが楽しくボールゲームしている光景の手前の方では、
シロツメクサが咲き乱れていました。

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 さらに上のシロツメクサの花の中に、チョウがきていたのですが、それがこれ。
ヒメアカタテハでした。

《付記:使用画像に関するメモ》
 先月末(2010年6月27日)に、このブログで使用している画像のトータルのデータ量が
200メガバイト(mb)に達したことをご紹介しました。
その辺りから、画像処理ソフトの使い方が少し変わり、同じjpeg形式なのですが、
圧縮率が低くなり、それだけ鮮明な画像になってきていましたが、2週間ほどで
16メガバイトにもなってしまいました。
これはたいへん、と一念発起して、圧縮の仕方をいろいろテストして、
今回の記事をアップすることになった次第です。
 今回の使用画像は、通常の280ピクセル幅よりも大きく420ピクセル幅になっています。
にもかかわらず、4点まとめてのデータ量は、160kbで、
前々回の「こちらにも希典さんの・・・」の記事の1点目の写真(166kb)
よりも小さくなっています。
4点ともそれぞれに多少荒い画像にはなっていますが、スクリーンデータとしてはまずまずかな・・・。
 これからも、多少データ量を抑えながらまいりますが、
その辺については、どうぞご理解くださいますようお願いします。
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梅雨時のふるさと公園のスケッチ [公園・史跡]

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 古墳時代前期の前方後円墳、岡銚子塚古墳です。
梅雨時で、折しも、雨が降り始め、光は薄く、モノトーンな感じです。
梅雨の頃には、草よく伸びます。
かなり手入れがされているものの、さすがにこの時期、草が伸びてるなという感じでした。

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 前方部のところに説明板が設置されています。
今回は、歴史の話ではないので、その中身にはふれません。
説明板の手前の芝の中に関心が行きました。

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 ネジバナがいっぱい咲いていました。
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こちらにも希典さんの・・・ [忠魂碑の類]

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 称願寺さんの境内の南側、やや小高くなった部分に、それはございました。

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 付近には、成長したヒノキの木が数本生い茂り、
上の方がヒノキの下枝で隠れてしまっていますが、
なんとか「忠魂」の文字が読み取れました。

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 もっと知りたくて、境内で作業されておられたお寺の方にご了解をいただき、
ほんとに近くまではい上がりました。
それでも全体像は写し取れませんが、「忠魂」の文字が、
希典さんの書になるものだと判明しました。

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 それで、ますます気になって、碑の背後を見させていただきました。
「明治二十七八年役戦病死者」で始まる長文の銘が刻されていることが確認できました。
明治二十七八年役とは、いわゆる日清戦争のことです。

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 碑文の末尾の部分です。
「明治四十三年十二月一日建設」「黒駒村有志」「帝國在郷軍人會 / 黒駒分會」
とありました。
 1910(明治43)年に、この地域の有志と在郷軍人会黒駒分会の手によって、
乃木希典さんの書になる「忠魂」の二文字を表に置き、
背後に日清戦争から日露戦争のあたり(完全に銘文を読み切れていないので推定です)までの
戦病没者を顕彰ないし慰霊する銘文が刻まれた石碑であるとわかりました。
 ところで、1910年というと、今年(2010年)でちょうど百年経過ということになります。
それから、在郷軍人会という組織は、この年の11月3日に設立されたということも
この石碑を理解する上で必要なことかもしれません。

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 ちなみに、最初の写真で右手見に見えていた石碑の背面がこちらで、
「日支事変以後戦没者銘碑」と書かれ、1953年10月17日の建碑で、
「黒駒忠魂碑再建奉賛会建之」とありました。
何かもう一つ秘められたものがありそうです。


《関連過去記事メモ》
 これまでのこのブログ内での忠魂碑などに関する記事は、カテゴリ「忠魂碑の類」からご覧ください。

 とくに乃木希典さんの忠魂碑は、ほかに1つありまして、これに関し次の2つの記事があります。
1「希典さんですか・・・」2008年12月7日
2「希典さんの忠魂碑の追加情報」2009年2月20日
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快楽居士(あるいは勝蔵さん) [エートマン・モードの人物館]

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 笛吹市御坂町上黒駒の称願寺さんの境内、鐘楼の西隣に、
そう古くはない、大小3基の、江戸時代風の墓塔を見つけました。
中心のものが大きく、左右のは、水戸のご老公に寄り添う輔さんと格さんみたいな感じ。
 どんな意味があるのかしら、こんな場所に。
そう思いつつ、じっくり拝見すると、何とビックリ・・・。
 幕末の甲斐の国を代表する侠客、黒駒の勝蔵親分ですが、
近年、その頃の侠客と一括りされる人たちの中にも、わが国の近代化の中で、
見過ごすことのできない役割を果たしているものがあるという流れで、
再評価が進んでいるようです。
 なお、左右にお控えの方々については、不勉強でまだよくわかりません。

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 真ん中におわす勝蔵さんですが、右側面には、
  「松岳院安阿快楽居士 / 明治四年十月十四日 俗名勝蔵四十二歳」
とありました。
快楽居士の前の「安阿」は時宗特有の戒名かと思われます。

《付記》
 幕末のそうした面々について、ご維新後の経過も含め、いろいろな取り上げがなされてきています。
ちょっとだけ思い出せるのを列記すれば・・・。

・2004年3月16日から6月6日まで国立歴史民俗博物館で開催された次の展示会。
 「民衆文化とつくられたヒーローたち -アウトローの幕末維新史-
・岩波書店の雑誌『図書』(月刊)に掲載された次の2つの記事
  高橋 敏「山岡鉄舟・清水次郎長往復書簡」『図書』第731号(2010年1月刊)
  高橋 敏「新出の鉄舟宛次郎長書簡」『図書』第737号(2010年7月刊)
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しょうがんじさん・2003 [寺院めぐり]

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 こちら、再び称願寺さんのご本堂です。
ただし、2003年8月に訪問したときの写真です。
御坂道に沿った文化遺産のことをお勉強する機会があり、その取材の一環としてのことでありました。
 前回の記事では、称願寺さんの参道からの情報がまったくありませんでした。
付近の道路事情があまりうまくなく、正面からのアプローチがうまくできなかったため、
墓地の方からのお参りになってしまったからです。
そこで、今回は、ふる~い写真を引っ張り出してきて、ご覧いただこうという趣向です。
何せ、まだこのブログ『えーと 何だっけ?!』が誕生する前のことでしたので、
そうした写真がお蔵入りになっていたのです。

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 さて、2003年8月の写真で語る称願寺さんへのお参りのお話しは、
まずこの御坂道から始めなければいけないと考えます。
 この道、以前は国道137号の本線でしたが、南側に上黒駒バイパスができて、
この通りはすっかり交通量も減り、地域の皆さんの生活道路となっています。
なので、路線バスも引き続きこちらを通りますので、バス停があります。
そのバス停の名は、「道場」 時宗の格式あるお寺は“道場”と呼ばれたことに拠っています。
つまり、称願寺さんの歴史的な呼び名の“道場”は、この地の地名になったのであり、
2010年の現在でもそれは変わりのないことです。

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 山梨県では、地域の文化遺産の活用する歴史文化公園事業が積極的に展開されていますが、
その1つに「御坂路」が選定されていて、称願寺さんも
その構成遺産の中に入っているということが理解される表示が出ていました。
国指定重要文化財他所有と書かれていますが、それについては後でふれます。

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 さて、旧国道から続く参道です。左右に石柱が建ち、右手には山号、左には寺号が刻されています。
左右の石柱の間、すなわち参道を真っ直ぐに進むと、ご本堂に行き着きますが・・・。

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 参道を突き進んだところに山門があります。

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 山門は、四脚門(しきゃくもん・よつあしもん)という形式の建築です。
左右のメインの門の柱の前後にそれぞれ控え柱を建て、その上に切褄の屋根を乗せています。

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 山門を入ると、向かって左手に手水場があります。

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 手水鉢の縁には、水を吐き出し続ける龍の像があります。正に吐龍。
お手水を使い、清めて境内、ご本堂の前に進み出ます。
そして冒頭の写真にと・・・。

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(再掲です)
 2003年8月の称願寺さんのご本堂。
前の記事の2010年7月のものと少しも変わらない・・・。
他阿真教上人の開かれた頃そのままではないようですが、
長い歴史が揺るぐことなく流れているように感じられました。

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 最後になりますが、ご本堂の前に立てられている説明板、ご覧ください。
寺の由緒と指定文化財の一覧があります。
説明板の設置は、お寺さんと御坂町教育委員会の連名となっています。
ただ、御坂町教育委員会は、合併により今はなく、笛吹市教育委員会に引き継がれていまして、
2010年7月現在では、この説明板の御坂町の上に「笛吹市」の文字が貼り重ねられています。
 3つ目の写真のところで、国指定重要文化財他所有のことについて後でふれます・・・
としましたが、その重要文化財は、他ならぬ他阿上人の木像のことであります。
他にも町指定(当時)文化財があり、「・・・他所有」ということになるのでありました。
 なお、お寺さんの縁起については、この説明板の前半にありますが、
画像をクリックすると拡大画面が現れますので、そちらでご確認ください。
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しょうがんじさん・2010 [寺院めぐり]

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 御坂道沿い、上黒駒の時宗道場、称願寺さんを訪ねました。

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 ご本堂の正面の向拝を見上げる形で、迫りました。
江戸時代末くらいの様式、彫刻が多く施されています。
その奥に、「龍王山」の山号額が掲げられています。

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 ご本堂の向かって右手手前に、このお寺さんにとって重要な石碑が・・・。

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 「當寺開山遊行二祖他阿上人眞教大和尚」と記されている石碑です。

 称願寺さんは、時宗を開いた宗祖、一遍上人の後継者、他阿上人が開山となれれた古刹で
その他阿さんを称える石碑なのであります。

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 こちらは、落ち着いた雰囲気がただよう庫裏であります。

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 ご本堂と庫裏の間に、こうした古石塔を集めた一角がありました。
他阿上人の時代までは行きそうもありませんが、五輪塔や宝篋印塔などが寄せ集められています。

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 ご本堂の脇に、変わったものを見ました。
2本のシュロの幹が切り倒されたものが置かれていました。
どうしてそうしたものがあるのか、先刻ご承知の方もおられましょうが、
種明かしは、この後すぐ・・・。

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 境内の南東側に鐘楼があります。

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 この鐘楼に吊り下げられている梵鐘、一見するととても歴史がありそうなのですが、
文化財指定などにはなっていないようです。
鏨彫りされた銘文が見られましたが、うまく読み取ることはできませんでした。
でも、そこには何か歴史がありそう・・・。
ところで、先ほどのシュロの木の意味するところ、ご確認いただけたでしょうか。
つまり、スペアですね。
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しょーめんこんごーさん [いのり・信仰]

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 広徳寺さんの入口のところに、静かに佇んでおられました。
青面金剛さんです。
一般によく見かける青面金剛像とは違い、とても端正なお姿をされていて、
初めちょっと見に、聖観音さんかと思ってしまったほどです。
足下の三猿の像にも注目です。
この画像はクリックすると別画面で大きく見ることができます。
どうぞご堪能ください。
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