今日はとても寒かったァ~ [季節の話題]
うっすら雪が見られました。びっくりです。
・・・と言うのもヘンですが、なぜなら、日本列島の各地で、記録的な大雪になっているわけで、
枯れススキの影にわずかに残る薄雪に、驚くなんて、どうかしてますよね・・・。
今日は、甲府市街北部の桜井町辺りに出没したのですが、もーれつに震えながらでした。
実は、エートマンのアジトがある地域では、寒かったけど、朝、雪は見られなかったのです。
そう広くない甲府盆地で、こんなにも差があるのかと、そこが驚きだったのです。
初めの写真の枯れススキの向こうには、とある墓地が見えてました。
今度は写真は、とあるお寺さんの参道です。
午後のラジオのローカルニュースの中では、甲府でも今朝雪が見られたこと、
昨年に比べて20何日か遅いものだということ、市内で朝になって吹き寄せられたところで
白く積雪のようになっているのが見られたこと、などを伝えていました。
それって、結局、積雪ではないってこと?
でも、こんな状況を見ると、吹き寄せられたというよりも、積雪ですよね。数ミリだけど。
六地蔵さんのお顔には、わずかに覗いた晴れ間から指した日の光が当たっていましたが、
足下は白くなっています。傘を着けてあげなければ・・・という状況ではないですが、
思い切り寒そうです(見ている方がですかね)。
極めつけは、このつらら。
今回の写真は、いずれも本日(2011年1月16日)の午前11時頃の撮影でありました。
それで、今したが、アメダスの気温の観測結果をチェックしてみましたが、
甲府では、午前10時に最高気温2.1℃が観測されましたが、これは、お地蔵さんに
陽射しが当たっていたことと関連がありまして、そのころまではわずかながら
日照があったのですが、その後は、甲府盆地は雲に覆われ、冷たい風が吹き抜けていたのです。
そんな今日のお天気を物語る、本日の気温変化でありました。
ちょい、えらくふる~い橋 [川と橋の文化誌]
今回のタイトルは、「ちょい、えらくふる~い橋」です。
「ちょい・・・」ということは、きっと、ちょいじゃない「えらくふる~い橋」
というのが存在したということをを意味しています、よね! 気になりますか・・・。
はい、元祖「えらくふる~い橋」は、2010年9月19日の記事でありまして、
大月市富浜町に存在する、昭和2年(1927年)建造の「御料澤橋(ごれうさははし)」でした。
少々回り道しました。さて、今回は・・・と言いますと、そこまでは古くないけど、
けっこう古いぜ!・・・という感じの、2011年1月8日に見学したこの橋のことです。
どんどん焼き2011 [まつり・行事]
今日は1月14日。15日が小正月とされていて、各地でその前夜、年越し行事が行われるそうな。
当地では、十四日正月といって、どんどん焼きが行われます。
(毎年、そのことをのせていますが・・・2010 2009 2008 2007 2006)
おらが村さの道祖神場、どんどん焼きの火に照らされ、赤っぽくそまっていました。
昔、コムギを田んぼの裏作でつくっていたことは、麦わらでしたが、今は稲わら。
燃えてるところに、外した松飾りが投げ入れられました。
冬休みの課題で取り組んだお習字を投げ入れる子どもたちの姿、今も変わらずです。
それから、基本ですが、おめぇだまを焼いて・・・。
道祖神祭のどんどん焼きは、この一年の無病息災、五穀豊穣の祈りとともに、
しばし、冬空をこがしていきました。
佐久神社境内の忠霊碑 [忠魂碑の類]
今年の元日にお参りした甲府市下向山町の佐久神社さんの境内でのスケッチです。
大きく「忠霊碑」と書かれた石碑がありました。
立派な書ですが、天野さん(父さんの方)かな、そんなふうにも思いながら、じっくり拝見しました。
近づいてびっくり、天野さんではありませんでした。
「靖国神社宮司 筑波藤麿」さんのお手になる書でありました。
本殿裏の社叢にコウヤボウキが・・・ [季節の話題]
先日訪れた山梨市万力の金桜神社にまつわる話題、もう1ついきます。
それは、このコウヤボウキにまつわること。
神社の境内は、アカマツを基調とした社叢となっていますが、
アカマツの林の林床には、このコウヤボウキがよく見られるようです。
ここでも、本殿の周囲に、とくに多く見られました。
以前、このブログの中で、コウヤボウキを話題として取り上げたときに、
いっぱい集めて、昔つくったような箒をつくってみるんだ、と述べたことがありますが、
今回は、いっぱいあったにもかかわらず、1本も採ってきませんでした。
畏れおおくて、というのもありますが、刈り取る刃物を持っていなかったこともあります。
このコウヤボウキ、小さくてもれっきとした木本、落葉低木です。
だから、簡単には、折り採れません。
でも、子どもの頃には、素手で採って歩いたような・・・。
無理矢理折り取ろうとすると、根っこまで取れてくるのです。それはやはりまずいですから・・・。
神社の境内に、赤い標柱があり、何か書いてありました。曰く、
私たちの貴重な財産「松」
後世まで守り育てましょう
でも悲しいかな、手前に松の切り株が見えるように、社叢のアカマツ、
そうとうに松食い虫の被害を受けていて、枯死するものが多く見られる状態。
アカマツと人間社会の関係が劇的に変化し、関係性を喪失ことなどがその背景にあり、
ある意味しかたないかと。若松を積極的に植えるだけではなぁ・・・。
また昔のような、松葉を掃いたり、コウヤボウキで箒を作ったりする暮らし、やりますか。
あるサイト(岡山理大・波田研のHP)で、コウヤボウキのこと調べなおしていたら、そこに
「将来は珍しい植物の仲間入りをするかもしれない。」とあったのが印象的でした。
NTT新甲府ビル屋上の通信塔も・・・ [ふむふむ そうなんだぁ!]
今日(2011年1月11日)のお昼休み、外はとても寒かったけど、
がんばって外に出て、そのいきおいで、これ撮影しました。
職場の周りにある公園からの遠望であったため、画像にゆらぎがあります。
それはともかく、普段はほとんど気に留めていなかった、NTTの新甲府ビルの
建屋の上に建つ、東京タワーほどじゃないけど、そこそこ大きなアンテナ塔。
それも数えてみれば7段の塗り分けが施されていたのです。
木の陰に「こかげさん」ありました [いのり・信仰]
またまた山梨市万力の金桜神社境内でのスケッチです。
あの長い登り道からなる参道の初めの方に、ヤツデやツバキなどの木々に隠れるようにして
「こかげさん」がお祀りされていました。
一文字目がとても難しい字ですが、いまの漢字で表すと「蚕」 そして全体で「蚕影山」。
養蚕が盛んな頃、カイコの健全な成長とそのもたらす恵みの多きことを祈ったもの。
いまでこそ、県下有数の果樹地帯ですが、その昔は、養蚕もやっていたんですね。
「その昔は」って、どれくらい昔なのでしょうか。
木々に埋もれるようになっていたので、石碑の裏に回り年代を見るようなことはしなかったのですが、
前回の安岡さんと同じような時期ではないかと思われます。
というのも、「蚕影山」の書をしたためたお方の名が、
「山梨縣蚕糸課長従五位勲五等武田七郎謹書」とありましたものですから。
武田七郎さんも、いずれもう少し手がかりを得たら、カテゴリ「人物館」にご登場願いましょう。
つきづきし・・・ [月や宇宙・宇宙開発]
2011年1月10日の午後1時12分のお月さまです。
そして同じ2011年1月10日の午後4時38分のお月さまです。
月が2つ並んで、つきづきし・・・。
古い言葉で「つきづきし」とは、(1)ふさわしい。似つかわしい。好ましい。といった意があり、
また(2)いかにももっともらしい。という意味もあるそうです・・・
ネット辞書であるWeblio辞書「三省堂 大辞林」presentedによればです。
今回は、「好ましい」くらいに位置づけておきたいと思います。
《補記:2024.4.12》画像リンクの再設定を行いました。
安岡正光さんのこと [エートマン・モードの人物館]
前回の山梨市万力の「かなざくらさん」に関連したことですが、
その神号標柱、即ち神社のお名前を記した石柱に、あらためて注目します。
この石柱に記された神社のお名前は、安岡正光さんの書になるものでありますが、
その部分をトータルで表すと「山梨縣知事正五位勲四等安岡正光謹書」となっていたのです。
今回、坂の上の神社へのお参りに気がせかれて、神号標柱の建造年代に意識が届きませんでした。
でも、知事さんが正五位で勲四等となると、半端じゃない(つまり最近じゃない)なぁと。
それで、気になったのであらためて調べてみると、昭和15年1月から1年間在職した
第36代の山梨県知事(当然、官選の)・・・ということが判明しました。
もうちょっと詳しく知りたい・・・。ネット検索で拾った断片的な情報によると、
旧制第一高等学校の出らしい・・・。
京都府警察部長の任にあった時期もあるようだ・・・
もっと細かくいえば山梨県知事は、昭和15年1月19日の拝命で翼16年1月7日に辞している
山梨県知事になる前は、神奈川県総務部長だったらしい
さらにその前には、広島県総務部長も勤めたらしい
結果としてあまり、というか、ほとんど詳しいことはわからなかったのですが、
ともかく山梨県知事の任にあった頃、請われてこの神社の神号を
したためたことがあったということであります。