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十五夜の前夜の月 [月や宇宙・宇宙開発]

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 旧暦で8月14日の日の18時30分ごろ撮影のお月さまです。
それで明日は十五夜。きれいなまん丸お月さま、見られるかな・・・。
ススキと団子の用意はどうする・・・?

概成段階となってきた・・・てきなん中 [忘れないように]

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 本日(2011年9月11日)の夕刻、甲府市立のてきなん中の前を通りがかりましたので、
いまの状況をスケッチしました。
今日は、日曜日なので、建設工事はお休みでした。
でも、建設足場の中にのぞき見た新校舎は、骨格だけはほぼ完成の域に達しているようです。

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 工事現場の周囲を囲う仮囲いのパネルに、完成予想図が取り付けてありました。
工期は、平成24年2月までとなっていましたので、3月にはこうした姿が見られることでしょう。

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 再び今日の現在の建築工事現場のようすです。
画面の右側前方に、校庭の中に立てられたプレハブ校舎が見えますが、
そのはるか上空には、まん丸に近いお月さまが輝きを見せていました。

exclamation おことわり
 このブログで「てきなん中」と表記するのは、そのままに表記すると
不適切なコメントが矢継ぎ早にはいるので、やむなく、あえてわかりにくくしているのであり、
この点ご理解をいただきたく存じます。

山梨における増上寺から移出した石灯籠について(リスト) [地域の小さな歴史]

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 徳川将軍家の菩提寺、東京・芝の増上寺から、戦後に事情あって
いくつもの石灯籠があちこちに移出しています。
山梨県内にもいくつか来ていますが、それについてこのブログ
『えーと 何だっけ?!』でも、らんだむに、観察記録しています。
ここで、そう多くないですが、それらについて「目次」化しておきます。
(写真は、2011年9月3日に見た、笛吹市八代町竹居の浄源寺境内のもの)


iモード    所 在 地        員数    被奉献者     記事掲載日(記事リンク)
ドコモ提供 笛吹市八代町竹居・浄源寺 2基  文昭院        2011年9月9日
ドコモ提供 笛吹市一宮町末木・慈眼寺 2基  文昭院・有章院   2007年8月14日 
ドコモ提供 笛吹市八代町岡・善国寺  2基   惇信院        2007年5月6日

実は「甲府宰相」 [地域の小さな歴史]

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 文昭院殿について、少し追記しておきたいことがあります。
文昭院殿、すなわち徳川家宣第6代将軍は、甲府藩主綱重さまのご子息であらせられたのです。
 御年17歳のとき、父君が逝去され、家督を継ぎ、甲府藩主すなわち「甲府宰相」となられます。
第5代将軍の徳川綱吉さまがお世継ぎに恵まれなかったため、宝永6年(1709)に
綱吉さまが亡くなられると、第6代将軍の座につき、これにより甲府家は断絶となっています。
 こんなふうに、文昭院さまというお方は、生前、甲府とは浅からぬ縁(えにし)
があったということ、このことをメモしておくのでございます。

 なお、今回の記事の写真は、前回の記事の2つ目の写真の再掲でございました。

6代将軍に捧げられた石灯籠 [地域の小さな歴史]

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 笛吹市八代町竹居の浄源寺境内において注目された2基の石灯籠のうちの1つです。
参道脇の大きなシダレザクラの影になるような場所に置かれていました。
ここに奉納されるまでの間に破損していたものが補われたらしく、
火袋は新補と見られましたが、ちゃんと三葉葵のご紋も表現されていました。

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 石灯籠の竿の部分です。
雨の中での観察ということもあって、刻銘をすべてきちんと押さえたわけでなく
その点に関しては再度チェックする必要があるかと思いますが、
写真から再現すると

   奉献 石灯籠 両基
     武州 増上寺
  文 昭 院 殿  尊前
   正徳二壬辰年十月十四日
    従五位下蜂須賀飛騨守源隆長

とありました。

 大まかにいえば、この石灯籠は、東京は芝の増上寺さん、これは徳川将軍家の菩提寺ですが、
その第6代将軍、徳川家宣、法名を文昭院殿といいますが、
この文昭院さんの霊廟の前に、各大名がこぞって奉納した石灯籠のうち、
蜂須賀飛騨守さんが1対で奉納されたものの1つだということのようです。
ちなみにこの蜂須賀飛騨守さんは、阿波富田藩5万石のお殿様でした。

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 そしてもう1つ、こちらは前々回の記事でとりあげた「とある石碑」
横に置かれていた石灯籠です。

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 その竿の銘文を見ました。
刻銘の違いは、蜂須賀さんのが「両基」だったのがこちらでは「一基」であり、
奉納者のお大名さんのお名前部分が「従五位下」以外はよく読み取れない状況、
刻銘の周辺で剥落が著しいのでありました。

 とりあえず、大まかな記録ですが、浄源寺さんの境内の徳川将軍の石灯籠のスケッチメモでした。

てんりゅうみなみ35 [エートマンの日記]

image/2011-09-08T08:03:261

今朝は特別な理由でバス出勤となりました。

バスは、途中、天竜南線の下をくぐりました。

携帯による写真はその際、切り取った9月8日の青空と天竜南線35号鉄塔の一部です。

浄源寺さん境内の とある石碑 [地域の小さな歴史]

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 浄源寺さんの境内には、こんな石碑が建てられていました。
この石碑、そう古くはないようですが、どこにそんな注目点があるというのでしょうか。

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 注目すべきは碑文の中にありました。
大切なので、書き起こしてみたいと思います。
碑の文面にタイトルが付されていまして、曰く「献燈碑」と。
で、文面ですが、縦書きであるので数字はすべて漢数字で、原文のまま行きます。

   正徳二年(一七一二年)将軍家菩提所
   武州 芝増上寺に諸國大名より奉献
   ありし大燈籠のうち二基を奇しき因縁
   ありて此の寺に建立することを得たり
   ここに當山供養塔として浄財を寄進献燈
   されし各位の芳名を刻みその佛心を
   後世に傳えるものなり

 うわぁ、将軍家の菩提寺である増上寺関連の
燈籠を二基ゲットしたということらしい・・・。

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 石碑、即ち献燈碑の裏面の状況です。
記書きで8名の寄進者のお名前を刻み、その後に
「昭和五十三年秋彼岸」と、献燈碑の建立時期を刻し、
浄源寺住職(当時)の御名で結ばれています。

 注目すべきは、実はこの石碑ではなく、このお寺さんに奇しくも寄進された
徳川将軍さまに献じられた石灯籠の方なのでありますが、それはいったいどこに・・・。

   

  

竹居の浄源寺さん [寺院めぐり]

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 笛吹市八代町竹居にある滝沢山浄源寺を訪れました。
先日の台風12号の影響下、雨交じりの日にです。
右手の標柱には「浄源禅寺」とありますとおり、禅宗のお寺さんで、
細かくいえば、臨済宗、八代奈良原の広済寺さんの末寺にあたるお寺です。

 ここは参道の入口に当たるところ、ずっと奥に、後ほどご案内する
ご本堂が見えています。

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 標柱のかたわらに、三界万霊塔と並んで、石仏がおわしました。

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 この仏さんには、30有余年前、お会いしたかすかな記憶があります。
その時に同行の先輩に、「如意輪さん」だと教えていただいたのであり、
ネオパンSSというフィルムに、そのお姿を固定していたとの覚えがありますが、
その時の写真は、いまにわかに出てきません。

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 さて、参道を進み、境内地を少し近くから見ています。
参道の右手には、立派なシダレザクラがあります。
それから境内の左手には墓地が存在しています。

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 シダレザクラによって視界が遮られるのを嫌って、墓地の方向から
本堂と庫裏を見渡しています。

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 今回のお終いの写真は、浄源寺さんのご本堂です。
お寺の記録によると、江戸時代に火災に遭い、長らく再建されなかったようですが、
いつの時期か鉄筋コンクリート造のような形式で本堂などが再建されています。
檀家の皆さんのお気持ちが集まった結果だろうと思われます。

 さて、このお寺さんには、もう1つ、注目すべき事実が存在していました。
それは、また後で・・・。

進む山梨リニア実験線工事(8)続き [やまなしリニア]

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 前回の記事の続編(?)です。
「竹居BL  P15」と表示のあるピアの左右で、上部工を支える仮設支持盤のようすが、
違っているのはなぜか・・・。
問だけ発して、正解は後回しとかいって、いつしか忘れてしまっていました。

 この写真は、前回の記事の2つ目の写真を再掲したものですが、
その「P15」に向かって左側は道路になっているので、途中に支持柱を立てることができません。
だから左側は青色のトラス桁で支えている・・・。
右手は高架のために取得した用地なので、必要なだけ支持柱を立てられる・・・。
そんなところが、違いを生んでいるようです・・・これが答え。

 この回答編がでる以前に、皆さんには御察しいただけたものと思われますが、
老婆心まで・・・。

進む山梨リニア実験線工事(8) [やまなしリニア]

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 「竹居BL」のP15です。
・・・って、いったいなんでしょうね。

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 またまた山梨リニア実験線工事の現場レポートです。
正面に見えるピアが竹居工区の高架橋の15番目のもの・・・であります。
というか、1点目の写真は、このピアに着いていた表示なのです。
それで、このピアに左右の上部工を支える支持の状況が異なっていることに
今回のレポートの注目ポイントはありました。

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 まずは左手。
う~ん、左手じゃよくわかりませんね。略東西方向の路線を北側から見ていますので、
向かって左手は、東側にあたります。P16の方向を見ているのですね。
この区間は、青いトラス桁で支えられていて、中間に支持は一つもありません。

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 一方、右手。
1、2、3、4・・・。いくつもの中間支持が見られます。
どうしてこのような違いが出てくるのでしょうか。
正解は後回しにして・・・もう少し観察してみます。

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 こちらは青の仮設トラス桁でピア間の上部工の施工基盤を支えている
P15に沿って建つ受けの部分です。
この部分で、トラス桁の重みだけでなく、その上の型枠や鉄筋、
そしてやがて型枠の中に充填されるコンクリートと、すべての荷重を支えていくのですから、
すごい力持ちです。
(もっとも「すべて」ではなく、多くの荷重は次第にピアで受けることになるわけですが・・・)

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 反対に仮設トラス桁でない方は、こんな具合です。
力を上手に分散して、一見らくらくに支えています。
(ほんとは同じようにたいへんなんですが・・・)